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第22話
しかしティトは翌日には起きず、次に目が覚めたのはさらに二日後のことだった。体が回復するために睡眠を多く取っているらしい。そばに居たのはエレアで、ティトと目が合うとすぐに「気分は!」と前のめりに問いかけた。
「……悪く、ないです」
時計を見れば、正午過ぎだった。エレアは学園に居るはずだが、と疑問に思うティトの目に気付いたのか、エレアは「今日は休んだ」と平気で言ってのけた。
「僕もきちんと謝ってないからさ。あんたのことばっか恨んで、ひどいこと言っちゃったし、こういうのは自分でけじめつけたかったから」
「……ふふ、僕、気にして、ないですよ」
「知ってる。だけど、僕が気にしてる。……本当にごめん」
エレアは泣きそうな顔をしていた。強気なエレアにしては珍しい表情だ。
「……僕、七年前から、エレア様とお友達に、なりたくて」
「……変わり者だね、僕なんかと」
照れ臭そうにそう言う頃には、エレアはようやく顔をあげた。
「……レン、は、元気ですか?」
「あ、そうだ、殿下を呼んでくる。次は連れてこようってみんなで言ってて」
「まっ……あの、無理そうなら、落ち着いて、からでも」
「……会わせないほうが怖いよ。今の殿下は見てられない。ご飯も全然食べないし、人形みたいに表情も変わらない。毎晩悪夢にうなされて、眠れてもないみたい。あんたに……ティトにしたことを思い出すたびに暴れて、ずっと泣いてる」
「そんな……」
「本当『呪い』だよね。自分の命と引き換えに、愛する人を傷つけて、最悪殺しちゃうんだから」
忌々しそうにつぶやくと、エレアは「あんたが生きてるのは奇跡だから」と付け足した。
「洞窟から出てきたあんたは見てられなかった。血と肉でぐちゃぐちゃだったよ。その場にいた全員が死んだと思ってた。……あんたを抱いて出てきた殿下が、一番そう思ってたと思う。震えながら『助けてくれ』『おまえたちを許さない』って、静かに泣きながらそればっかり」
無事な顔を見せてあげてほしい。エレアは小さくそう言って、部屋から出て行った。
エミディオは「自死をしないよう監視するのが大変」と言っていた。ティトはレンを救えて良かったという気持ちでいられているが、レンは違うのだろうか。
(別に……死んでなかったし……)
むしろ、今のティトを見せるほうが苦痛を与えるのではないだろうかと、ティトはそればかりが心配だった。
とはいえ、ティトは自身の姿を見れていないためにあまり分かっていないが、日に日に体を覆う包帯は少なくなっている。場所によっては傷テープだけであったり、一部の擦り傷からはすでに傷テープすら剥がされていた。
エレアが出て行っていくらか経つと、軽いノックの音がした。ティトは返事もできなかったのだが、扉が勝手に開く。誰かが入ってきた。しかし足取りは重く、扉が閉まってもなお、その場から動こうとはしない。
「……レン?」
かすれ声で聞いてみるが、反応はなかった。
「レン、僕は、大丈夫だよ」
「……私のことは、怖くない?」
思った通り、レンの声だった。
「もちろん。怖くなんか、ないよ」
「だけど私は、ティトを殺してしまうところだったよ」
「……生きてるよ?」
「それは結果論だ。……死んでいた未来もあった」
声が震えた。泣いているのだろうか。起き上がれないティトには何も分からず、ただ会話をすることしかできない。
「そうだよ。でも、生きてるよ」
「私は……ティトを、幸せにしたかっただけだ。……どうして来たんだよ。こうなることが分かっていたから、君には何も話さなかったのに」
「? 僕は生きてるのに……レンは、僕が、死んでるみたいに、話すんだね」
レンの言葉がピタリと止まる。
「こっち、来て……顔、見たい」
ためらうような気配があった。しかし少しすると、コツンと、床を打つ音が聞こえた。あまりにもゆっくりとした歩調だ。レンがそばまでやってくると、下からでもその顔がよく見えた。
エレアの言った通り顔色は悪く、クマもひどい。目も腫れて、キラキラと輝く美形だったのが、今では程遠く思える。いつもの穏やかな雰囲気も一切ない。レンはただ険しい顔をして、ティトを前に「ごめん」とつぶやいた。
「なにが?」
「ひどいことをした」
「されてないよ。……レンは、大丈夫? 体は、おかしなところは、ない?」
顔色が悪いね。きちんと寝ないとダメだよ。睡眠不足で免疫も低下するんだから。みんなレンのこと心配してるよ。みんなに元気な顔見せてあげないと。言いたいことはたくさんあるのに、そのどれもがうまく出てこない。
レンはただティトを見下ろし、その瞳に涙を溜める。即時溢れたそれはボロボロとレンの頬を伝い、ティトのベッドにシミを広げていく。
「レン?」
「私のことなんかいいんだよ。私は大丈夫だ、どこにも不調はない。だから嫌なんだ。呪いは解けた、私だけが元気で、どうしてティトがこんな目に遭わないといけなかった。私なんか死んでよかったのに。君には幸せになってほしいと、いつもそう伝えていただろ」
レンはベッドサイドの椅子に腰掛けると、目元を手で覆いうつむいた。指の隙間から涙が溢れている。
「ティトはいつも人のことばかりだ。私のこと、誰かのこと、自分が傷つくことも厭わない。そんな君が誇らしく、同時に憎らしくもあった。もっと自分のことを大切にしてくれ。責任を取るために伯爵家からの除籍を提案して、そしてこんな目に遭って、君は大馬鹿だよ。自分の未来を、なにも考えていない」
普段穏やかなレンには珍しく、つらつらとティトを責め立てる。
「私は本当に死んでもよかった。学園で君と再会して、何気ない時間をともに過ごして、それで満足していたんだよ。なのに君はいつもトラブルの渦中にいる。誰にも頼らない。一人で駆け出して、解決までしてしまう。……憎いよ。すごく憎らしい。君はたった一人しか居ないんだ。自分を蔑ろにしないでくれ」
「うん。ごめん」
「そうじゃないだろ。……ティト、怒っていい。私を責めていいんだ。泣いていい。喚いてくれ。私を許そうとしないでほしい」
「……僕、レンと久しぶりに、会えて、嬉しかった」
目元を覆う手が、ピクリと揺れる。震える吐息が漏れ、やがて唇をきつく噛み締める。
「初恋だった。レンを忘れようと、したけど、無理だったよ。だから、レンを助けたかった。生きていて、ほしかった。許すとか、許さないとか、そんなんじゃない」
ティトは確かに、自分の意思で洞窟に向かった。呪いの話を聞いても恐怖心は一切なく、行為中も冷静でいられたし、そのまま死んでも後悔はしなかっただろう。
レンは小さく「大馬鹿だ」とつぶやく。
「レンが無事で、良かった。レンの、治める国を、見たい」
「……うん。もちろん。嫌と言うほど見てほしい」
目元を覆っていた手がゆるりと離れた。やがて血色の悪い顔があらわになるが、先ほどとは違い、レンの表情は優しい。ティトも一気に嬉しくなり、目覚めて初めてようやく安堵に微笑むことができた。
「ティト、これからの私の人生はすべて君に捧げるよ。ともに国の未来を見据えてほしい。一番近くで、どうか笑っていてくれないか」
「…………それは、できないよ」
まさか断られるとも思っていなかったレンは言葉を失った。これから恋人になり、結婚をして、王妃として永くともにいるものだと当たり前に思っていたからだ。ピシリと固まってしまったレンに追い討ちをかけるように、ティトは口を開く。
「僕、平民に、なるんだ。立場が違う。それに、罪人だよ。そんな人が、レンの隣に、立てない」
「……ティトは罪人じゃない。ロタリオ伯爵家はお咎めなしとされた」
「それは、僕が除籍、したから、」
「そうじゃない。これは王家とジラルド侯爵家の決定だ。ロタリオ伯爵には処分が決まるまで自宅謹慎を敷いていたが、すでにそれも解除されている」
「……そう、なの……?」
「未来は君が決めていいんだ。私が怖いのなら、それを受け入れよう。……君は誰かと結婚をしたがっていたから、こちらで相手を探すこともできる」
苦虫を噛み潰したような顔で、レンは渋々言葉を続ける。
「……ダメだな、死ぬと思っていたから受け入れられていたけど……このまま君が誰かと結ばれるところを見続けるのは、正直苦しい」
ティトは罪人ではなく、伯爵家から除籍をされてもいない。つまるところ、治療を終えたら通常通りの日常に戻るということで、それならばレンの隣にいても違和感はないだろう。
諦めていた未来が、突然目の前に落ちてきた。
ティトはその未来が信じられなくて、うまく言葉にすることもできない。
「……私はずっと、生きていることが苦痛だった。呪われた身で、けれど次期国王として期待され、神童と呼ばれ、すべてが矛盾しているように思えていたんだ。私の人生はひどく不条理だった。流されて生きていた。そんなときにティトと出会って、初めて自分の意思を持つことができた」
レンの言葉はゆっくりと、まるでレン自身が噛み締めるように吐き出される。
「白状すると、最初は私も君を疑っていたんだ。ジラルド侯爵に会いたいと言っていたこと、信じられないような前世の話と、この世界のこと、どれもが理解しがたく、何かを企んでいるとしか思えなかった。だけどね、君に言われたままに調査をすれば、君の言葉は本当だったとすぐに分かった。楽しかったよ、私は初めて自分の意思で動いていた」
一番最初はブラックベン公爵と訪れた伯爵家に、そのうち私だけがお邪魔するようになった。その頃にはもう、私はティトに夢中だったよ。そんなことを言うくせに、レンの表情は陰っていく。
「ティトのために戦争を止めることに必死になった。隣国の情勢も、同盟国としてそれとなく助言をして立て直して、五年もかかったけどようやくティトに会えると思った。ロタリオ伯爵にすごく邪魔をされたけどね。伯爵は私がティトを疑っているのだと気付いていて、ティトを傷つけたくなくて会わせたくなかったらしい」
「……レン、辛いなら、話さなくていい」
ティトが表情の暗いレンに気を遣うが、レンは緩やかに首を振る。
「聞いてほしい。……私がどれほど、ティトを愛しているのか」
「……あ、愛……?」
「私にとって、ティトは私とは正反対に居る『光』だ。だからこそ惹かれた。ティトと一緒にいると、私は何者かになる必要がなかった。王族でも、神童でも、王太子でもない。そんな私を、ティトは自然と引き出してくれた。だから隠し名を教えたんだ。呪いのことを伝えるつもりはなくとも、ティトにはその名で呼んでほしいという欲が出た」
レンの手が、ティトの手に重なる。ティトの手はひんやりとしていて、レンは温めるようにそっと包み込んだ。
「君が好きだ。この先もずっと、ともに居てほしいと思っている」
情熱的な言葉とは裏腹に、レンの瞳には諦めが滲んでいた。ティトに一度断られたからかもしれない。宝物に触れるようにティトの手を握り、諦めた瞳を向けるレンはなんだかちぐはぐで、ティトはつい吹き出してしまった。
「……ティト?」
「ふふ、ははは……僕も、レンが好き。レンとずっと一緒にいたい」
二度と言葉にできないと思っていた気持ちは、案外簡単にティトの口から吐き出された。
好きだと伝えれば、さらに気持ちが深まるようだった。これからもレンとともにあれる未来を思い、ティトも鼻の先がツンと熱くなる。
ティトの答えに、レンの瞳は遅れて輝きを取り戻す。そしてすぐにまた涙が溜まり、そんなレンを見たティトは、レン同様に涙を浮かべながら、今度は困った笑みを浮かべた。
レンの手が震えている。しかしすぐに表情からは緊張が抜け、目元がふにゃりと和らいだ。
「……私は、君のそばに居てもいいのか。私は、これからも……良かった。私は、君と生きてもいいのか」
レンは先ほどとは違い、くしゃりと表情を崩した。ティトは何も言うことなく、ただ安堵を繰り返すレンを見守っていた。
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