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5-4 特別な君へ
それはつまり。セレはここから出て行くつもりはなくて、俺と暮らし続けてくれて。その中で何があっても──、俺が好意を寄せていても、いいということ、なのか。
理解した瞬間、頬が熱くなる。
「じゃ、じゃあ。……じゃあ、セレは……」
今度は俺が言葉を選ぶ番みたいだった。しばらく視線を彷徨わせたけど、ふとセレと目が合うと、本当に優しい表情を浮かべているものだから、きっとそうなんじゃないかと思えてきた。
胸が熱くて苦しいほどだ。涙が出そうな気がする。人前で泣くなんて恥ずかしいことだから、どうにか堪えつつ口を開いた。
「俺が、セレのことを好きでも……恋愛対象として見てても、それでいい、ってことか?」
「そうだよ」
「またあんなことになっても? 今度は……今度は止まれないかもしれなくても?」
「そういうことだよ」
「だ、だけど、それじゃ……」
「アズマ」
それでも迷う俺の言葉を止めて、セレははっきりと言葉にする。なんの誤解も生まれないように、真っ直ぐ。
「私も君のことを、対等な関係として、好きだよ」
「……っ」
そればっかりは、俺も予想外で。だってそうだろう、出会ったときセレにとって俺はハムスター、マンチカン、ポメラニアンみたいな枠だったはずだ。そんな存在に好意を寄せたとしたら、人間に置き換えて考えるとだいぶヤバいことになってしまう。
なってしまうのに。どうやらセレは、大真面目のようだった。
「セレ、それは……俺のことをルームメイトとして、好きっていうことなのか、もしくは……」
それ以上なのか。尋ねるよりも早く、セレが答えた。
「君のことを、恋愛対象としても好きになれると思っているよ」
「……なれる、……」
じゃあ、まだ好きではないってことなのか。さっきまで嫌われたかもとか、同居が終わるかもとかそんな不安でいっぱいだったのに。その心配が消えたと思えば、想いが一方通行だとわかっただけで落胆している。贅沢な悩みだ。また一緒に暮らせるだけで感謝すべきなのに。
「実はね、私はまだ年若くて、恋をしたことがないんだ」
「……へっ?」
悶々としていたら、セレがまたそんなことを言いだしたもんだから、素っ頓狂な声が漏れてしまった。
「そ、そうなんだ?」
「ああ。君よりは長生きしているつもりだが、エルフとしてはね。だから……よくわからないのだよ。この胸の温かみが、君への信頼が、……君の全てについて、私は……嫌な気持ちにならない。それが、愛や恋の定義なのか、私はまだ知らない」
セレは俺から目を逸らしたり、かと思えば俺の表情を伺ったりと落ち着かない様子だ。そして言葉を探すように、一言一言慎重に話を続ける。
「けれど、……私が他者に対して、こうした……嫌な気持ちがまったくない、という感覚を持つのは、初めてのことでね。だから……君のことを、とても……とても、特別だと感じているよ」
「セレ……」
「だから……君が、私に好意を寄せてくれるなら、私は応えたい。それは決して、……ああ、上手く言葉が見つからない。わかってほしい、私は望んで、君のそばにいたいと、思っている。君が……求める関係になりたい。その為にも、プリュネルは君へ預ける。私が君の全てを受け入れる証として」
改めて、プリュネルを手渡される。見た目よりずっと軽い、繊細な首輪はきっとセレを守っていたし、同時に縛っていたのだろう。セレは晴れやかな笑みを浮かべて、「これで何があっても君と一緒だ」と囁いた。
俺はプリュネルとセレの顔を交互に見つつ、これまでセレに言われたことをよくよく理解した。ぶわっと胸が熱くなって、顔も耳まで赤くなる。要するに、セレは俺が求めればどこまでも一緒にしてくれるということだ。それはたぶん、告白を受け入れてくれた、ということだろう。
それを恋人、と呼ぶのかはまだわからない。「エルフ文化学入門」にだって、その辺のことは詳しく書いていない。きっともっと上級の本か……もしくは、セレとの対話が必要になるだろう。
だけど、俺たちならきっとうまくやっていける気がする。これまでだって、たくさんすれ違ったけど、こうしてひとつの家族になれたのだから。なんだか嬉しくてたまらない。じわりと目頭が熱くなった。
黙っている俺をどう感じたのやら。セレは「まだ不安か?」と顔を覗き込んでくる。それがとても近くて、俺は慌てた。
「い、いや。なんていうか、感極まった、というか……」
「君たち人間にわかりやすい、証拠が欲しいかい?」
「証拠?」
なんのことだろう。疑問に思っている間に、セレの手のひらが優しく俺の頬を包み込んだ。その温かさ、滑らかさにうっとりする暇もない。気づいたときには、セレの作り物みたいに整った瞳がすぐそばに見えていた。その青さに、金色の睫の繊細さに惹きつけられたのは一瞬で、すぐにそれも全てピントがズレて見えなくなる。
「んっ……!」
唇に柔らかく、温かな感触がして、ようやく理解する。
俺はセレから、キスをされているのだ。いつもの親が子どもに、飼い主がペットにするようなキスではない。好意を寄せあうふたりがするような、そんな。
「……っ、ふ……」
かあっと頬が熱くなる。セレが優しく、俺の唇を啄むのを感じた。たまらずセレの身体に手を伸ばし引き寄せると、彼の優しい香りがしてクラクラしそうだ。
ああ気持ち良い。嬉しい。もっとしたい。もっともっと、セレとキスがしたい。
淫魔のおまじないはもうないのに、俺は火が付いたような昂りを覚える。身を任せてしまったら、どこまでも止まれないような、そんな。それを必死で抑え込んで、俺は堪えた。今度こそ、成り行きの衝動に任せたくはなかった。
やがてセレはそっと俺から離れていく。名残惜しくて、思わず熱い息が漏れた。セレのほうも頬が赤い。というより、真っ赤に近かった。セレも、キスでなにか感情が揺れたんだろうか。それはなんだか……嬉しい。
「……けれどね、アズマ。これだけは理解してほしいのだが」
感極まっていた俺に、セレが否定形を出してきた。冷や水をかけられたように固まっていると、セレは困ったような表情を浮かべて言った。
「……その。人間はどういった手順と、日数でそうしているのか知らないのだが……」
「え?」
「……エルフはね、……愛する人と口付けを交わすのに、互いの想いを確認してから……3年ほどかけるんだよ」
「……え!?」
俺は驚きのあまりひっくり返りそうになった。
「3年!? え!? じゃあ俺、本当にとんでもないことしちゃったんじゃ……!?」
「…………」
「黙らないで! うわっ、ホントにごめん!」
セレが恥ずかしそうな表情を浮かべたものだから、俺は慌ててまた頭を下げた。セレは少し慌てたように首を横へ振る。
「い、いや。それはいいんだ。けれどね、考えたのだが人間にとって……短命な人間にとって、そうした……時間をかけて進むことはきっと、かなり……苦しいものではないか、と想像してね」
「…………あのさ、……すっごい聞きにくい話なんだけど念のため、……じゃあ、身体の関係を持ったりするのには、何年……?」
こんなこと、ダイレクトに聞く話でもないだろうが、なにかとてつもなく嫌な予感がして聞かずにいられなかった。セレはまた困ったような、恥ずかしがるような豊かな表情を浮かべて、小さな声で答えた。
「10年だよ」
「…………」
俺は言葉を失い、天井を見上げた。
10年。頑張れるか? 俺。
まだまだ、俺たちは文化的交流に尽力しなきゃいけなさそうだった。
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