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6-1 一カ月後

 冬の寒さが和らぎ、木々の枝には蕾が芽生えはじめている。厳しい冬を越えて春が近付いている、と心も体も、世界全体も明日への期待に満ちているみたいだった。  そんな街並を歩きながら、俺はといえば。 「はぁーぁ……」  スーツを着たまま背中を丸め、地面ばかりを見てトボトボ歩いているのだった。  セレと晴れて関係が進んでから、一ヶ月が経った。  あれからも俺たちは互いの文化や価値観のすれ違いに驚くこともあったが、仲良くルームシェアを続けている。既にただのルームメイト、ではないけれど、俺たちはこの関係を正しく示す言葉を持っていない。恋人、というにはエルフがかけるべき年月が足りず、また親友というには俺の想いが偏りすぎていた。結局、関係に名前を付けないけれど、恋人同士と似た同居生活を送っている。  セレとのことは順風満帆だ。問題は、ずっと先送りにしてきた、俺の再就職のことだった。  生きていくには金が必要になる。ルームシェアを続けようにも、家賃が払えなくなったらそこで終わり。セレのことだから、もし困ったら肩代わりもしてくれそうだが、そんな事態はないほうがいいに決まっている。俺は安定した収入を求めて、再就職先を捜し歩くことになった。  前の介護職は体力的についていかず辞めてしまった。だから今度は、もう少し体に負担のかからないことを……と思うのだけど、なかなかいい仕事は見つからない。  そもそも、人間はこの街で最大の勢力ではあるけど、無個性な種族だ。力仕事ではライガのようなガリア族、ドワーフ族に勝てっこないし、そもそもマナを扱う仕事ではマナランダーと僅かな選ばれた種族しか適正が無い。獣人族は人間と大きな差はないけど、耳がいい、鼻が利く、見た目が愛らしいなどの特性はある。  一方、一般的な人間はといえば力もマナを扱う能力も乏しく、現代社会の仕事現場において有利な点はあまりない。かつてはその勇敢さが勇者を生み出し、この世界に平和をもたらしたそうだ。その後も飽くなき向上心で技術を次々開発し、無力なりに世界を作り替えてきた人間だが、今となってはただなんのとりえもない種に成り果てている。  そんな中で、唯一……と言っていいのかどうか。今も残る人間の特徴は、無力が故に、他者に配慮し融和する能力が高い、というぐらいなもので……つまりは、他者と関わる仕事が適正ではある。まあそれだって、人間じゃなきゃいけないってわけではない。  というわけで、新卒という輝かしいステータスを失った俺は、再就職先を探すのに苦労しているのだった。 「ただいま~……」  しおしおの顔のまま、玄関の扉を開ける。途端、ふわっと暖気が俺の顔を優しく包んで、柔らかい光に満ちたリビングが目に飛び込み、少しだけ元気が出た。キッチンではセレが食事を作っており、俺のほうを振り返ると「おかえり、アズマ」と優しく微笑んでくれる。  それだけで、なんだか幸せな心地になって、俺はまた背筋を伸ばして、日常に戻ってこれた。 「今日も新しい仕事先は見つからなかったよ」 「そうか。随分と難航しているが、やはり人間は脆弱で無力だから働き口がないのかね?」 「うーん、まあそれもあるっちゃあるけど」  リュックを置き、上着をコートハンガーにかけながら、俺は苦笑する。 「俺が仕事を選んでる、ってのもあるよ。どうせ仕事をするなら、介護の知識や技術がなにか活かしたい……って考えてさ。でもそうすると、結構難しいっていうか……」  そう、人間でも就きやすい仕事はある。低賃金でもいいならアルバイトだって。ただ、俺はまだ過去の経歴と、正社員かそれに近い境遇を諦めきれないでいた。  同居している「家族」なんだから、セレにも何か言う権利はあるだろうに、彼は「そうか」とただ納得している様子だった。俺はキッチンに近づき、セレの手元を見る。  セレは近頃、自分のエルフ食と一緒に、俺の食事も用意しようと頑張っている。ずっと家にいるセレが、就職活動に出かける俺のためにしてくれる、と言い出したからだ。彼らの主義に反しないサラダとかだけにはなるけど、とてもありがたいし、嬉しい。エルフの変な野菜は色々と好みじゃなかったけど、ドレッシングさえかければなんとかなった。 「そのなんか、……空色とピンクの葉っぱは?」 「ルルイの葉だ。君たち人間の鈍感な舌でも食べやすいと、本に書いてあった。 これはニパスの実を煮詰めたものだが、呆れるほどのハチミツをかければ食べやすいだろうよ」  俺たちの関係は変わっても、セレの言葉は彼が気を付けていないととんでもないことになる。でも、それは俺たちの間柄ならどうでもいい。まあ、俺以外の人間にセレがどう思われるかは心配だけど。色々言葉の選び方について教えたりもするけど、ふたりの時はつい気が緩んでしまうらしい。それはそれで、なんとなく嬉しいことだった。  ふたりで夕飯の準備をして、いつものようにテーブルにつく。しばらく一緒に暮らしているから、エルフの祈りの言葉もすっかり覚えてしまった。セレと手を合わせて、神に感謝を述べる。エルフの神様も、人間に祈られるのをどう思っていることやら。  ともあれ、すっかり日常となった食事の時間は穏やかで、俺たちは会話が途切れても心地良く過ごせるまでになっていた。 「けれど、アズマはとても偉いと思っているよ」  セレがポツリと呟いたのは、食事も落ち着いた頃のことだった。 「ん? 何の話?」 「君が、仕事をきちんと探しているところだよ。しかも毎日のように外を出歩いてね。時間の少ない君たちにとっては、大変な苦労と心労に違いない」 「あー……んー、まあ、でも大丈夫だよ。たぶんみんなやってることだし。たぶん」 「少なくとも、私はそうではないからね。私は仕事を与えられたから」  その言葉に、俺は少し驚く。セレが何か仕事をしているなんて知らなかった。一日中自分の部屋にこもっていることも多かったけど、リモートワークでもしているんだろうか。なんだか、端末の前に座ってキーボードを叩いてるエルフなんてのも想像がつかないけど。  そういえば時々マナゾンの荷物が届いたり、配達業者に何かを渡して発送しているようではあった。もしかしてあれが、仕事に関係あるんだろうか? 「その、……セレって何の仕事してるんだ? いや、答えたくなければ別にいいんだけど……」  この流れなら聞いてもいいような気もしたが、でもこれまでに語らなかったなら、隠しているんだろうか。恐る恐る尋ねてみたけど、セレは別に大したことでもないように「エルフィネ・ルコリエを作っているよ」と即答した。 「エルフィネ・ルコリエ……って、えーと、……確かエルフの伝統的な装飾品だったっけ……」  「エルフ文化学入門」の一節を思い出す。エルフ郷で好んで身に着けられているもので、植物の繊維を加工して紐を作り、数々の石を編み込んだものと書いてあった気がするけど、正直ピンとはきていない。  そのことに気付いたのか、セレは「実物を見せよう」と席を立つ。彼は部屋に戻ると、しばらくして俺の前に戻ってきた。 「アズマ、これだ。低俗な人間に、エルフ工芸の価値が理解できるかわからないが……」  セレはおずおずと何かを差し出してくる。受け取ってみると、それは驚くほど繊細なネックレスだった。  金色の細い糸でたくさんの光り輝く石を繋いだそれは、豪華ながらも上品な刺繍のようで美しい。しかも角度が変わる度、虹色に輝く。 「うわぁ……すごい綺麗だ……」  思わず呟いて、それから思い出す。セレは、エルフィネ・ルコリエを作っていると言っていた。ということはつまり……。 「エッ!? これ、セレが作ったものなのか!?」  大きな声を出してしまった。セレを顔を見ると、彼は少々照れ臭そうな表情を浮かべて「そうだが」と小さく頷いている。 「この程度のもの、エルフなら誰でも作れる。特に私が作っているのは他人類の観光客向けの土産物でね、エルフが身に着けるものに比べれば簡単な作りで……」 「いや、いやいやいや、簡単っていうけど……いやほんとに、すごいってこれ」  セレは謙遜してばかりだけど、俺は本気ですごいと思う。大体、俺にはものづくりをする器用さも気力もない。介護士をしていた頃だって、おじいちゃんおばあちゃんに混ざって工作や手芸をしては下手だなあって笑ってもらえていたものだ。エルフの中では誰でも作れるかもしれないけど、俺はこんなにも美しいネックレス、一生かかっても作れないに決まってる。 「しかも、これを仕事にしてるってことだろ? 手に職ってやつだよな。すごいよ、だって俺も欲しいって思うもん、これ」  エルフィネ・ルコリエをまじまじと見ながら本気で思う。こんなに綺麗なものが家にあったら、きっと毎日眺めてため息交じりに見つめてしまうだろう。特に女性は喜びそうなものだ。俺はちょっと、さすがに身に着けても行く場所がなさそうだけど。 「…………」  セレはというと、無言になってしまった。なにか悪いことを言ってしまったかな、と顔を見上げると、セレは先程よりも頬を染めている。  たぶん、すごく照れていた。 「……アズマが欲しいのなら、授けよう」 「えっ、いやいや。これは売り物なんだろ? もらうわけにはいかないよ。せめてお金を払わないと……」 「君に、……あげたい」  言い直すことで、ちゃんとセレの意図が理解できた。気を遣ったんじゃなくて、本当に俺にプレゼントしたいのだろう。ありがたい申し出だし、俺も好きな相手が手作りしてくれたものをもらえるのはとても嬉しい。 「わかった。ありがとうな」  手を差し出せば、そっとネックレスが置かれる。見た目よりもずっと軽くて、繊細な飴細工みたいだ。壊してしまわないか不安になっていると、セレが微笑む。 「エルフィネ・ルコリエは見た目よりずっと丈夫だ。野蛮な人間でも日常使いできるほどにね」 「そっか、なら安心だな」 「後日、改めてもうひとつ作る。君への想いをこめて編もう」 「えっ、それは嬉しいけど……でもなんか、セレにもらってばっかりだよ。俺はなにもあげられるものがないのに」  戸惑っていると、セレは小さく首を横に振る。 「アズマ、君からは形無きものをたくさんもらっているよ。それに……君はずっと、私に合わせて待ってくれているだろう? それだけでも私にとっては……」 「ん? 待ってるって……」  俺は一瞬きょとんとしてから、はっと理解して顔を赤らめた。セレのほうも、少し恥ずかしそうに頷いた。 「……今日も、してほしい。……「昨日の続き」から……」 「う、うぅ、うん」  その御誘いの言葉に、俺はどもりながらも大きく頷いた。  そう、俺たちはエルフ流の性行為をしているのだ。  なんと前戯だけで一ヶ月もかけるという、途方もない苦行を、この上なく短縮した形で。

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