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7-3 過保護

「おやお帰りアズマ。今日は随分早……」  心なしか嬉しそうな声で振り返ったセレは、俺の背後に立っているシルヴィオさんを見るなり、表情を凍らせ固まってしまった。 「セレ、入るぞ」  シルヴィオさんは俺たちが招き入れるよりも先にリビングへ上がり、俺たちの暮らしを実況見分でもするみたいにジロジロと確かめている。セレと目が合うと、彼は俺に何か言いかけて、それから目を伏せた。 「……シルヴィオ兄様、何故ここに……?」  俺の聞いたことがない声音と、丁寧な言葉だ。それだけで、ふたりの関係性が感じられた。セレはきっと、シルヴィオさんに逆らえない状態で生きてきたのだろう。こんな高圧的で過保護な家族から離れ、ここへ来るまでには相当の覚悟と努力を要したに違いない。  その結果が、今のこの現状なのか。そう考えると、胸が苦しい。  それから俺たちはリビングのテーブルに向き合って座り、話し合いという名の説得を受けることとなった。  シルヴィオさんの言い分は一貫している。エルフとヒト族は、共に生きていけない。必ず不幸になる。だから、関係は打ち切るべき。そしてエルフの郷へ帰るべき、だ。  有無を言わさない、といった結論ありきの言葉に、セレはどんどん表情を曇らせていった。俯き、黙ってシルヴィオさんの言葉を聞いているセレが、何を思っているのかはわからない。ただ、セレはシルヴィオさんから見えないように、俺の手をぎゅっと握っていた。俺も、それを握り返す。  負けてはいけない。そう思う。だけど、この状況でどう戦っていいのかがわからなかった。 「セレ、これは全てお前のためなんだ。兄の気持ちをわかってくれ」  シルヴィオさんは、俺に向けるよりはずっと柔らかい口調で諭してくる。 「まだ人間を下等で短命な種として愛玩するぶんにはいい。たとえ別れの日が来たとしても、一時の悲しみは有るだろうが乗り越えられよう。だが、ひとつの家族として恋仲になるなど……その痛みと悲しみは耐え難いものになってしまう」  それは、本当にそうだと思う。シルヴィオさんの言い分も、もっともな部分が有るから余計に抗いがたい。彼は本当にセレのことを思って言っているのだから。 「しかもお前はまだ若い。これから何百年も生きる。ヒト族が今の姿でいられるのは、たったの数十年だ。お前の苦しみは深く、永いものとなってしまうだろう」  シルヴィオさんは、セレに微笑みをみせた。まるで、歩み寄るみたいに。 「どうしてもヒト族を好きになりたいのなら、せめてあと二百年待ちなさい。その時見つけたものを愛せばいい」  しかし、こればかりは言っていることが滅茶苦茶だ。二百年待ってから好きな人を見つけろ? 今、俺のことを好いてくれて、身体まで許そうとしてくれているセレに、そんな惨いことを言うなんてどうかしてる。 「シルヴィオさん、流石にそれは……!」 「ヒト族は黙っていろ、私はセレと話をしているんだ」  シルヴィオさんが俺を睨みつける。それでも、引き下がるわけにはいかない。俺がなおも反論しようとした時だった。 「……兄様」  セレが口を開いた。その声は、微かに震えている。セレを見ると、金色の長い睫を伏したまま、視線は机の上に向けられていた。 「発言しても、よろしいでしょうか」 「ああ、構わない。お前の言い分を聞こう、ただし──」  シルヴィオさんがうなずき、何か条件を提示しようとした。  しかし。 「いい加減にしてください!」  突然セレが大きな声を出したものだから、シルヴィオさんも俺もびくっとして、言葉を失ってしまった。セレは唇を震わせながらも、強い口調で続ける。 「私が愛したのは、アズマです。私に合わせてエルフの言葉や習慣を理解し、共に食事をとり、私を対等に愛してくれた、ここにいる、このアズマです。二百年後に代わりが現れるはずもない。今、私が愛しているのは彼なのですから」 「だ、だが、彼はすぐに老いて死ぬような、」 「だからなんだと言うのですか!」  バン、とセレが机を叩いて立ち上がったものだから、俺もシルヴィオさんも驚いて身を引いてしまった。こんなに感情を迸らせるセレを、お互い見たことが無いという感じだった。そんなシルヴィオさんを見下ろして、怒りに耳まで紅くしながらセレは叫ぶ。 「私がいつまでも、人間の寿命も理解できない幼子だとでも思っているのですか!? そんなこと、重々承知の上で私は彼とここにいることを選んだのですよ、私はもう、アズマを愛しているのです! 今更彼と別れれば私の心が救われるだなんて、傲慢な物言いが過ぎます!」 「せ、セレ、私はお前の心配をしているんだ。それに、プリュネルも無しに外界で生きるのは危険で、」 「兄様が! 私の言葉に耳も貸さず、私を監視する! その眼から逃れようとした理由ぐらい、想像がつかないのですか!? 私より四百年近く長く生きていて!?」  セレの怒りはとんでもない熱量で、シルヴィオさんも青褪めて気圧されている。たぶん、何十年分の怒りが爆発してしまったんだろう。あまりの様子で心配になってきた。 「セ、セレ、少し落ち着いて……」 「私がとても落ち着いているよ、アズマ」  聞いたことのない低い声だ。本気で怒っているのが芯から伝わってくる。それに、俺だってシルヴィオさんの言い分はあんまりだと思う。だから、止めるに止められなかった。 「セレ、兄の気持ちをわかってくれ。私はお前が大切なのだ、だから……」 「兄様は、貴方の中にいる私を大切にしているだけです。本当の私のことなんて見てもいない」 「誤解だよ、私は本当に……」 「もうたくさんです! 私のためなんて言い訳で、貴方の意見を押し付けないで!」  セレはシルヴィオさんを厳しい表情で睨みつけると、玄関を指差して言い放った。 「出て行ってください」 「しかし、セレ」 「いいから! 出て行け! 兄様の顔など、二度と見たくもない! もう私に関わらないでください!」  セレの言葉は、シルヴィオさんへよほど大きなショックを与えたらしい。彼はそれ以上何か口にするでもなくフラフラと玄関へ向かい、意外なほどあっさりと部屋を出て行った。廊下の足音も遠のき、本当にシルヴィオさんがどこかへ行ったようだ。  安心するような、あんな人があそこまで打ちのめされるなんて、と少し心配になるような。どっちの味方なんだと言われそうだが、シルヴィオさんだって根は悪い人じゃない気もする。だけど今は、セレのことが心配だ。  部屋はしんと静まり返っている。恐る恐るセレを見上げると、彼は……透明な涙を零していた。 「セレ……」  名前を呼ぶと、青い瞳が俺を見つめる。濡れたそれは宝石のように煌めいているのに、悲しみや怒りが混ざり合って滲んでおり、胸がぎゅっと締め付けられた。  セレ、と名前を呼んで身体に触れる。労わるように背中を撫でると、彼はゆっくりとした動きで椅子に戻り、それから俺の胸へ顔を埋めた。  肩が、手が震えている。痛ましくて、俺も辛くて、セレを強く抱き寄せた。  そうして俺たちは長い長い時間、抱き合っていた。まるで温め合うように、あるいは傷を労わり合うように──。   「兄様は……昔からあんな感じだ。私のことを大切にしてくれるが、少し……責任感が強くてね」  しばらくして、気持ちが落ち着いたのか、セレはぽつりぽつりと口を開いてくれた。 「詳しくは知らないが昔、兄様自身が辛い思いをしたのだとサヴァン兄様は言っていたよ……。それで、私にもあんなことを言ったのだと思う」 「そうなんだ……」  俺はなんとも言えない気持ちになった。  保護者が、自らの経験や失敗を教訓に教育方針を決めるのは珍しくない。勉強しなかったことを後悔した親が、自分の不勉強を棚に上げて教育熱心になる、なんてのもありふれているし、その結果子どもも勉強が嫌いになる、というのもよく聞く話だ。  だからきっと、このこと自体は珍しくもない家族トラブルなのかもしれない。俺にはそういう存在がいなかったから、わからないけど。ただ、温厚なセレでもあんな風に怒るほど、当事者にとっては大きな問題なのだ。もちろん、俺にとっても。 「そうだなあ、確かにお兄さんはセレのためを思っていたのかもしれない。でも俺には、セレがこんな風に苦しむことも、正しいとは思えないよ」  セレが泣き疲れた顔で僅かに微笑む。痛々しい笑みだった。 「今更、私達に別れろだなんて。無意味だと思わないかいアズマ。私はもう、こんなに君が好きで……今夜にはひとつになるはずだったのに」 「セレ……」  その通りだ。俺たちはもう出会って、心を交わし、身体と魂で繋がる。それを今更引き離したところで手遅れなんじゃないか。どのみちセレには深い傷が残るだろう。そんな気がした。 「アズマ、本当にすまない。今夜は……私たちにとって素晴らしい夜となるはずだったのに」 「いや、セレのせいじゃないよ。大丈夫」  そう返せば少し安心したのか、セレは柔らかい笑みを浮かべてくれた。 「アズマ、今夜は予定通り、最後の段階へ進もう」 「え……で、でも。セレは大丈夫なのか?」  嫌ではないけど、むしろ嬉しいけど、純粋に心配だ。それに俺自身も一連のいざこざで不安を抱えている。こんな状況で、関係を最後まで進めてもいいんだろうか。 「……兄様が強硬手段に出ないとは言い切れない。彼がそうと決めたら、どんな手でも使うだろうし、それに私のような非力なエルフでは抵抗できないからね。その時私はエルフの郷へ連れ戻されてしまうだろう」 「確かに……」  シルヴィオさんの行動力や腕力を思い出して、俺も唸った。やりそうだ。 「私は後悔したくない。そうなる前に……君と大切な時間を過ごしたいんだ、アズマ」  切実な願いだ。俺も、このままセレと引き離されたら、と考えれば胸が張り裂けそうだ。思わず彼を抱きしめると、強い力で応えてくれた。  そうだ、いつどうなるかわからないのだから、精一杯今この瞬間を大切にするしかない。セレを全身全霊で愛そう。今夜といわず、今から、今すぐに。  僅かに腕を緩めて、顔を上げる。考えていることは同じだったらしい。セレが俺の頬を両手で包み、柔らかくキスをしてくれる。その温かさ、愛おしさに溜まらなくなって、俺もセレを求めた。

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