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苛立ち

「とは言ったものの…お前これから行くつもりだろ。木下の家さ」  木下の自宅は、張り込みで判っている。  もうまどろっこしいことは言ってられなかった。 「ああ、本人に聞くのが1番手っ取り早い。あの請求書がどんなものであるかが判れば、『塾』との関係性がはっきりするんだ」  まあそうだけど、少し落ち着け と中条は故意に立ち止まる。 「マジで落ち着け。なんでそんな滾りはじめた」  蓮清堂の駐車場の片隅で、時臣は大きく息を吐いてタバコを取り出した。  一本くれ、と中条も一緒に火をつけ、少し歩いて車の脇で2人でタバコをふかす。 「最初は、あの社長の口ぶりがなんとなくまだなんか言ってないようでちょっとイラッとしたんだけどな、でもまあ支店とはいえ会社一個を存続させようと頑張ってるような空気は本物だなって思ったら、元々家庭教師やってたという木下(あの男)が社長に迷惑かけてるのが無性に腹たった。そんなこと考えてたら猪野充の最後の顔やら伊藤瀬奈の怯えた顔、吉田龍平が俺を見てソファに這いつくばった姿とか一気にきてなあ…」  車に寄りかかり、上に向かって煙を吐く。 「そこは…俺も一緒だろ。俺の依頼対象者だって俺の顔見て怯えたし、お前を怯える瀬奈くんの姿も見た。…まあ…俺は目の前で亡くなってはいないけど」  以前時臣の事務所で、時臣が席を外しているときに猪野充が亡くなった経緯に時臣がひどく胸を痛めていることを唯希から聞いていた。  亡くなった当初は在宅事件という処遇を受けて、仕事はしたっていい立場だったが、なんだかそんな気にもなれなかったようで、日がな自宅でぼんやりしていたと言う。  なんの容疑もなくなって、猪野充の葬儀が決まり弔いにと通夜に行った先で、『笑われ』る。  あんだけのボスは見たことないっ、ていうほどこの一件に胸を痛めている最中に 当事者の通夜で、葬儀場の人間が自分を見て笑うって…嫌な印象がついてしまったのよね。とも言っていた。  側から見るよりも、時臣は最初からこの一件にひどく怒りを感じていたんだなと今なら解った。 「もう、カタつけたいよな」  時臣が持っている携帯灰皿にタバコを押し付けて、中条がー俺が運転するーと言って運転席へ入り込んだ。  それに口元だけを歪めて笑い 「そうだな、そろそろな」  と車から身体を離し、時臣は助手席へとまわった。  木下のマンションは、特別高そうなところでもない普通にファミリー向けと独身向けが共にあるようなよくあるマンションだった。  そのマンションの8階に木下の部屋はあるのだが、車を置いてエントランスに向かうと、そこにはいかにもその筋な男が3人インターフォンに向かって怒鳴り散らしているのが見える。 「うわ…あいつらまさか…」  中条が一瞬足を止めその光景を見つめるが、時臣はその中の1人を飛田と認識した。  正直めんどくさいと思った。何も同じ日にこなくても…と少し憤りもする。  日を改めて…と一瞬思ったが、考えてみたらヤクザが金の件で引き下がる道理もなく、今日拉致なんかされたらもう永久に木下に話しが聞けなくなる可能性は高い。  等々力組(やつら)が直接マンション(ここ)に来ていると言う事は、こちらとしては今日中にこっちのカタはつけなければならない。 「そうだな、等々力組だ」  ああ、めんどくせえと呟いて、足も止めずエントランスに向かって歩く時臣の後ろに中条は続き、 「知り合いの飛田さんでもいたか?」  と聞くと 「ああ、いるな」  と短く答えて、3段ほどのエントランスの階段を登りドアを開けた。  入ってきた2人に3人の視線がむき、その中の1人飛田は片眉をあげて少し驚いた顔をした。 「うるせえぞ。ご近所迷惑だろ」  不機嫌そうに時臣がそう言うと、 「時臣じゃねえか。妙なところで会うな。このマンションに用か?」  飛田は動じずに普段通りに返してくる。飛田の連れの2人は、時臣のあまりの言いように怒鳴り返そうとしてきたが、飛田の知り合いでもありそうだし、実際飛田に止められて押しだまった。 「用がなきゃこねえだろ。そこ開けろ…って言うか、お前ら木下の所に来たのか?」  木下の名前が出て、飛田は 「そうだけど、なんでその名前を知ってる。俺らがそいつのとこ来るのも解ってるようだけど」  声色も変えずに聞き返してきた。 「お前らが来るのわかってたのは、今にわかる。こっちも調査の一環で木下にちょっと話があってな。今日のところは俺たちにゆずらねえか」 「おー、いくらお前の頼みでもなぁ…それはちっとなぁ…」  ズボンのポケットに両手を突っ込んだままで、飛田は中条を見る。 「そちらは?新しい従業員か?」  そう言われて中条もムッとした。 「探偵の中条です。ちゃんと個人事務所構えてます」  主張はしとかないと、と意気込み言い返す。 「ああ、それは失礼。時臣のところには唯希ちゃんがいるもんな。で、探偵2人がキノシタさんに何の用なんだ。俺らも俺らなりに重要な話し合いに来てるんだけど」  『仕事仕様』の飛田は扱いにくい。 「後でお前のところにも少し話を聞きに行こうとは思ってたんだけどな、多分今日お前らがここに来たことと関連した話だと思う。じゃあ、先に俺らに譲ってくれ、後からお前らの用を済ますんでどうだ。どうせ荒ゴトだろ。生きてるうちに俺らの用を済まさせてくれ」 「俺らのメリットは?」  メリットないと動かねえからな、この人ら… 「木下の部屋に入れるキーを俺らは持ってる。今入れなくて苦労してただろ」  飛田が面白そうな顔をした。 「へえ、じゃあいいよ。先にどうぞ」  一々腹の立つ言い方しやがる。  時臣は中条を前に出し、インターフォンを押させた。  今日来たのは、あくまで賢也に雇われた探偵という立場だ。  何度か押しても出なかったが、5回目ほどでカメラを確認して飛田たちじゃないと気付いたのかやっと応答してくる。 『はい…』 「あ、木下さんですね。わたくし中条と申しまして、木下さんがお勤めの会社の社長さんから依頼を受けました探偵です。ちょっとお聞きしたいお話があってお伺いしたんですが、お時間あったら少しよろしいですか」  木下は営業スマイルの中条の背景を気にして注視する。 『そこにガラの悪い人らいませんよね』 「ガラの悪い人?いませんよ?わたしが『助手』として連れてきたものが1人いるだけです。ガラは悪いですけど、こいつじゃないですよね」  色々言われ密かに背中を小突きながら、カメラに向かって頭を下げ、 「どうも、篠田と申します。『今日は』助手です」  木下のスマホには自分の顔が入っているのはわかっているので、時臣の顔を見た木下は一瞬戸惑ったに違いない。 『ガラの悪い人がいなければ、今開けます。話を聞かせてください』  社長に会うために2人してジャケットを羽織っているので、見た目はあまりガラの悪い人と変わらない格好ではあるから、木下も慎重だったが取り敢えずロックは解除されるようだ。 「ありがとうございます。ガラの悪い人ってさっきすれ違いましたけど、クソみたいなヤクザのことですか?もうお帰りになりましたよ〜」  時臣の言いようにカメラに映らない位置にいる飛田以外の2人が憤慨しそうだったが、飛田は声を出さずに腹を抱えて笑っていた。  賢也が依頼した探偵とはなんだ。会社の話だったら聞かねばなるまい。  木下はエントランスの鍵を開け、 『どうぞ』  とインターフォンを切った。  自動ドアが開くと同時に、飛田の連れが先に入っていくが 「お前らが先に行ったら開くドアも開かねえだろ」  と飛田が一喝し、時臣と中条を先に行かせた。

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