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先生
「売り掛けはなかった」
どんよりとした中条を見て、唯希が息もつけないほど笑い続けているのを中条は恨めしそうに見つめる。
「取り敢えず一件め、木下に対する店側の売り掛けはなしだったんだな」
時臣はそんな2人に意識をむけず、パソコンに入力した。
笑われている中条は確かに気の毒ではあるが、自分じゃなくてよかったと思う時臣だ。
中条はあれから件のゲイバーへ向かい、入店してからは店員に後ろに張り付かれ、カウンターで何か飲まなきゃと思い一杯頼んだら、たまたまその酒が意味深なものだったらしく、左右にもひっつかれて腰には腰を擦り付けられ、脇からは太ももや股間をさりげなく撫でられたり、少し興に乗るとほっぺに真っ赤な口紅でちゅうっとされたらしく、擦った後が見える顔は唇や頬全般真っ赤だった。
「クククッ…くっ…」
テーブルに突っ伏して笑う唯希は、まだ話もできない状態だ。
それでも自分のバッグをあさり、クレンジングシートを渡してくれて、これで落ちるから…プププッと笑っていた。
「お前どうせカッコつけてなんかのカクテル頼んだだろ。木下が連れ出したところを見ると、そう言う意味のあるドリンクとかアクセサリーとかがある店っぽいから、そう言うとこ行く時は事前に準備しないとなぁ」
あまりに気の毒になったのか、やっと時臣が言及してくれる。
「怖かった…俺、違う世界見ちゃうかと思った…」
結構衝撃を受けている中条だが、まあ明日になれば元に戻ってるだろうと時臣は思考を切り替えた。
「木下がゲイか…となると少々考えも広げなけりゃならん」
「どうしてですか?」
まだ涙は拭いているが、仕事の話に切り替わったのを機に唯希も笑いをやっと止める。
「うん、あの請求書な、社長は木下が持ってたって言ってたけどあれどうやって入手したのかなって思ってて」
「ああ…そう言えば…」
ヤクザの組の名前の入った請求書、まして会社には内緒のものなのだからそれは会社には持ってはこないだろう。
「伊丹賢也は、木下の家に行ってるのか…?って思うとな…木下がゲイって聞くと…」
全員の頭にいろんなことが思い浮かぶ。
「ええ〜〜?」
中条がめちゃくちゃ嫌な顔をして、3枚目のシートを袋から引き出した。
唯希は
「社長さんは中々いい男なんでしょう?木下って人の顔知らないけど、まあ…あっても悪いことはないわよね」
当たり前に寛大なご意見。
「俺も人の嗜好にとやかく言う気はないけどな、だったらもっと請求書見つけられないかなと思ってな」
そっちか…時臣は本当にこの手の話に乗ってこない。
「まあ、そうですよね。お部屋に行けるなら、もっと調べてもらえないですかね」
と中条を見て、
「社長にアポ取れますか?」
「それは言われてたけどまだだった。今聞いてみよう」
「え、こんな時間に?もう9時ですよ?」
と唯希は時計を見るが、中条は
「こう言う話は早めに決めとかんとな。夜分遅くすみませ〜んで通す」
そう言いつつ連絡を入れ、言った通り
「夜分遅くに申し訳ありません、中条です〜」
と連絡をつけ、明日の午前10時頃に約束を取り付けた。
「明日は木下休みだそうで都合がいいってさ。道理で遊びに出たわけだ」
中条は木下が肩を組んで歩いて行った男性の横顔を思い出し、あらぬ妄想で眉間に皺を寄せている。
唯希はメモをとり、時臣も了解とスマホに入れた。
「篠田と申します」
時臣は駐車場まで出迎えてくれた賢也に名刺を渡し、賢也も交換で名刺を渡した。
2人は、図らずも支店とはいえ社長に会うので、ネクタイまではしていないがシャツにジャケットという姿でやってきている。
「画像にいた方ですね、あなたも探偵さんですか?」
「顔を記憶されてるんですか?」
一目で言ってくるので気にはなる。
「木下が何をしてるのか知りたかったので、通夜の弔問客から探すため覚えました、必死に」
そう笑って、こちらへ…と裏口から入って社長室へ案内した。
ー裏からの方が社長室 近いので、申し訳ないですねー
と謝罪してから、インターフォンでコーヒーを3つ誰かに頼んだ。
コーヒーが来るまでは、賢也が探偵のことを質問したり、葬祭会館の裏話といった面白い話などをしていたが、女子社員がコーヒーを置いて行ってからは、内容をガラリと変えた。
「今日は、木下の事ですか?」
賢也は正面から聞いてきた。
「まあ、それもありますが…先日の請求書、もしかしたらまだあるのかもしれないという見解に達しましてですね、もし可能であれば探っていただくことはできないかなと…そう言うお願いに上がったわけなんですが」
中条も比較的ストレートに切り込んでいった。もちろん2人の関係に関しては何も言わずに。
「ああ…そう言えばそうですよね。いやぁ、でも無理ですかね…私も一枚見て慌ててしまって他を見る余裕がなかったのも悪かったですが」
もう無理という言い方は、もう部屋には行かないのかな?と疑わせる。
今度は時臣が
「お話になりたくなければ結構なんですが、あの請求書はどちらで入手されたんですかね?」
微妙な圧でそう言い、言いたくなければという割には言わせたい空気が満ちてくる。
「え…ああ…ん〜〜」
少し言い淀み考える賢也は
「木下は実は私の高校の時の家庭教師でしてね。昔から親しい仲なんですよ。私を無理だと言われた◯◯大学に合格させてくれたもので、父が木下をこの会社に入れたんです。今は偉ぶって便宜上『木下』なんていってますけど、普段はもう頭上がらなくて「先生」なんて呼んでますよ」
「なるほど、そういうご関係だったんですね。でしたら請求書 は、木下氏のお部屋に遊びに行った時にでも見つけたと言う解釈でいいですか。そしたらまたお部屋に遊びに行かれたときに…とかは…」
時臣は畳み掛けるが、賢也は渋い顔をして
「いやあ〜、今回の請求書でヤクザ絡んでるのを見て、あまり親しくするのもやめようと思いまして。勿論大学進学の恩は感じてますけど、はっきりするまではちょっと家には行かないようにしようかなと…」
いつ襲撃されるかわかんないしーと付け加えたが、そうそうヤクザも襲撃はしてこないはずだ。尋ねてはくるだろうけれど…
「そういうことですか。お気持ちはわかります。こちらも無理は言えませんので、そこは仕方ないですね。あきらめましょう、ただ…」
時臣は言葉を止め、コーヒーに小さなミルクを入れながらいう。
「20万ポッチでヤクザが動くはずはないので、木下さんはもう少し大きい額の負債をヤクザからしているとは覚悟してください」
賢也はため息をついて寄りかかった。
「なぜそんなことになっているのか…給料だってそんなに悪くはないんですよ、先生は…なのになんで」
賢也は木下を心配しているのではない。当たり前だが会社を心配していた。
「頼りになる人材なんです、会社にも。なので信じられないんですよ…。ヤクザが絡んでくれば、会社にも置いて置けなくなってしまう。何か知ってるなら教えてくださいよ。なんでヤクザなんかと交流を」
「なぜヤクザに追われる ことになっているかは今こうして調査中なのですが、一つ木下 が警察疑われていることがありましてね…彼がというかこの用賀支店がなんですが」
「え…なんですかそれ。警察はきてませんけれど」
「先日、高円寺でパソコン教室や『塾』様 の場所の一斉摘発があったのテレビか何かでご覧になりましたか?」
確かあれは、木下のマンションで一緒に見た…ガサ入れという言葉で笑っていたあれか…
「ええ…テレビで…」
「あの事件にこちらが関わっているのか…という疑惑がね、あるんです」
「は?なんでです?」
「まだそれはほとんど解明されてないんですけれど、蓮清堂 4月から今7月までの売り上げ良かったですよね。我々も実際数字を見ているわけではないんですが、少しその『塾』関連で若い子が亡くなることが増えましてね。その葬儀がこの会社、特に用賀支店が多いんですよ」
唯希が以前作った、亡くなった子の死因や担当所轄などが書かれたものを色々調整して少し簡素化したものを、スマホに映し出して提示した。
「半月前ほどに調べたデータで作ったものなので、今はもう少し増えているんでしょうが、これ、7件の事故で亡くなった子の4名がこの蓮清堂用賀支店なんですよ。これは流石に多い。今取り調べている『塾』の代表の供述次第では、こちらに…特に木下氏個人に警察の調べが来てもおかしくないと言うお話です」
想像よりはるかに重大な事件になってる上に、その中に木下がいることが賢也を驚かせていた。
「これがどんな容疑って言うんですか?なんの関連で先生が…」
もう呼び名は先生になってしまっている。
「それはまだはっきりとは…。ただ単に、20歳 前後の子達が自殺やら事故やらで亡くなることが多くなり始めた頃と、こちらの売り上げが上がってきたのがリンクしていなければ別に気にされることもないです。なので、今の段階でははっきりとは言えないんです」
時臣が仕切っている件なので中条は黙って聞いてはいたが、随分時臣は攻めていると感じた。
木下と最初に会った時点から相性が悪いのも聞いてはいたが、今はもっと違うことに怒りを感じている気はした。
しかし、確かに葬儀屋が関連しているとは考えたがそれはまだ、ただの「可能性」であるだけだ。いまそこまで賢也 に言う必要はあるか…。
本当に関係があるかは、そこまで辿り着けるのも危ういほどなのに。
「蓮清堂 が関わりがあるかないかの捜査を警察は…」
「もちろんやってますよ。ただ私どもは警察とは違う経路で追っています。社長 が送ってくれた請求書は、警察には提出してませんしね」
少しホッとした顔をしてはいたが、
「でも、やる気になれば警察は蓮清堂 の月別の業績の動きは調べられますし、一見『塾』と関係なく見えても4月5月6月の売上がその前とあまりにも違うようだと、色々詮索はされるでしょうね」
「で…でもそれをされたとしても、以前中条さんにも言いましたが会社としては本当に何もしていないから…」
お飾りだと言われ、それを耳にもしていた賢也も自覚が出て久しい。会社は守りたかった。
「はい、なのでもしも何か木下に危ない雰囲気があったら…まずは我々に言ってほしいです。手に負えなそうなら警察にも相談してください。会社の潔白を証明するにはそれしかないでしょうしね」
賢也は、今日から4月からの木下が手がけた葬儀一式の売り上げ帳簿を、徹底的に洗い直そうと今決意した。
そこから幾許かの使途不明金や、何かに上乗せされている金額があったら本当に木下は黒だから。
「会社の方は社長にお任せします。私たちは私たち 側から、例の『塾』と木下の関連を調べたいだけなので」
賢也は、探偵は警察よりも怖いんだなと思った。
それも仕方ない。警察は市民の皆様に、と言うスタンスでやってくるものだが、探偵はそこの配慮はしなくていい。
調査しているものの解決のみを目指してくる。
随分今日は攻められた。
「勿論です。会社は自分で考えます」
「ところで、先日のご依頼の件ですが、それは木下氏の白黒をつけると言う今お話ししたことを継続する、と言うことでよろしいんですね」
時臣がだいぶ脅してしまったが、中条はこれは正式に依頼を受けて動いている事なのを賢也にももう一度確認しておきたかった。
「はい、それはお願いします。それこそ木下 が会社に何かするようならいち早く教えてください」
「わかりました。あ、それとこれ手付金の領収証です。入金確認できましたので」
中条はニコッと笑って、毎度ありがとうございます と一言付け加えた。
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