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鎮魂
「億単位の依頼が来たんで、そいつに頼みに行ったらな手が一杯だと言いやがる訳よ。仕事はうちを通せと言ってあったのに、身体の関係に絆されやがって個人で受けやがってなぁ」
踏んだ足をにじり、飛田は怒りを思い出したのか指を砕きそうな勢いだ。
「腕は一流のくせに1件1万だ、5千円だのの仕事をちまちまやってやがったんでな、ちょっと締めたらすぐに木下 の事吐いたわ。だから足らない分の請求をしたまでさ」
ヤクザの子飼いに手を出したらそりゃあ身の破滅だ。
飛田の言葉が終わると同時に、足元から嫌な音がしてそれと同時に木下の悲鳴が上がる。
「あれ、もしかして折れたかな。悪ぃな」
木下の顎を掴んで強引に上向かせた飛田は
「まあもっと色んな所…折れちゃうかもしれねえけどな。これから…」
上向かせた顔に飛田はにっこりと笑ってやると、木下の体が震え出す。
飲み屋で知り合った、好みの可愛い系の男だった。
人を引っ掛ける面白い動画作ったりするのが好きと言っていて、後は人を操ることができるんだと大きな目を輝かせて言っていた。
だから近づいた。だから抱き潰して言いなりにさせた。
従順な玩具だったのにまさか、ヤクザと繋がっていたとは計算外だった、
「金は…払うから…許してくれ…全額耳を揃えて払うから!」
充血した目が飛田を見つめ、みっともなく懇願している木下を、時臣はあの時笑った不敵な笑みの男と同一人物とは思えなかった。ー自業自得かー
「金なぁ、億単位の仕事が吹っ飛んだけど、その補填できねえだろ」
「億…?」
「ああ、お前がうちの子をいいようにしてたお陰でな、億の仕事が飛んだんだよ。お前億の負債抱えてっから」
木下の顔がみるみる青ざめてゆく。
あごも砕いてしまうのではないかというほど掴んでいる飛田は、それを弾くように手を離した。
「で、お前らの用は済んだのか?」
飛田は立ったまま2人に向き直って、終わったんならこいつ締めたいんだけど、な雰囲気をムンムンと出してきた。
「いや、まだおわんねえから お前もまだ座ってろ」
「んだよ、早くしろよ」
仕方ねえなと飛田は再び中条の隣へ陣取り、中条は篠田の隣に行ってほしいと内心泣いていた。
「木下さん。あんたのせいで学生が亡くなったのは自覚してるよな」
時臣の言葉に木下はもう返事をする気力すらなさそうだが、小さく頷きはする。
「それは何のためにやってたんだ?人の命を何と引き換えにしていた。それがずっと解らなかった」
木下は答えない。
「俺たちを見て逃げるようにマインドコントロールまでして、あんなに怖がらせて自殺させて、それはなんのためだって聞いてんだ。あんたの会社の儲けのためなのか?あんたの業績を上げて、店1店舗でも持つためか?答えろ木下」
そう声を荒げた時臣の頭に、猪野充や亡くなった子が思い起こされる。みんな怖がって亡くなった。決して穏やかな亡くなり方じゃない。
「…れは…さ…んが」
「きこえねえよ!」
怒鳴られて、木下は1cmほど顔を上げてから
「賢…也さんが…社長で…いられるように…会社の業績を…」
絞り出すような声でそう言う木下に、時臣は瞬時に血が沸いた。なんて言った?今この男はなんて?
ほんの一瞬だが眩暈がした。
社長のため?社長が社長でいられるようにだ?
時臣は立ち上がり、止める中条の手を振り払ってローテーブルを跨ぐと木下の前に立ち、座る木下の胸に足をふんがけた。
「お前…今何つった?社長が?『賢也さん』が社長でいるためって言ったか?」
胸を押され苦しそうに木下の顔が歪むが、お構いなしだ。
「さっきな、その賢也さんとやらと話しをしてきたよ。あいつな、なんーーか煮え切らねえ感じだったんだ。なんか俺らに言ってねえ事ある感じだったんだがな…わかったぞお前社長とデキてるだろ」
踏みつける足はソファが傾くほどに力がこめられ、木下は胃の上の方を圧迫されて苦しそうに喘ぐ。
「ち…がう…」
デキてるだろと言うあたりで、飛田も呆れた顔をしていた。本当にうちの子飼いをバカにし尽くしてんなこいつ。
「俺は賢也さんとはなんでもな…い」
「なんでもなくて、人を死に至らしめたのか!?ただただ社長でいてほしくて人を殺したんか?それでデキてないとしたらクソだぞ!」
ペキッと時臣の足元からもさっきと同じような音が鳴り、木下がくぐもった声で呻いた。
「まあ、デキてたらクソ以下だけどなぁ」
一本折れたくらいじゃ許さねえぞ、と言った気迫で時臣は足に体重を乗せてゆく。
「時臣、肋骨が肺に刺さったら死んじまうから足離せ」
興奮気味の時臣を刺激しないように、再び近寄ってきた飛田が脚をタップする。
「まだ殺せねえだろ」
ちっと舌打ちをして時臣は脚を離したが、胸糞悪さは消えず、少し息がつけるようになって荒い呼吸をしている木下を見下ろして時臣は追及の手を休めない。
「お前らの乳繰り合いの為に、学生は死んだんだな。お前の想い人を人の命の犠牲の上で成り立った業績で社長でいさせる為に、学生殺して葬式あげさせてたんだな!どうなんだ木下あ!」
髪を掴んで鬼の形相で時臣は詰め寄った。
「賢也さん …はお飾りの社長…で、業績上がれば社内でも信用が…でて…」
「それが学生となんの関係があったんだって聞いてんだよ!!業績上げて『賢也さん』が社長でいたら乳繰り合えるもんな!なあ!?伊丹賢也 もそこだけは言いやがらなかったんだあのガキ!」
「賢也さんは何も知らない!あんたに言わなかったのも普通の感覚で言わなかっただけだ。大体俺は賢也さんとはヤってないから…乳繰りあうとかそう言ったっんぐっ」
ラグに血が迸り、木下の口が瞬時に血塗れになった。
髪を掴んだまま時臣が木下を殴ったのだ。いや殴っている、2発、3発殴るたびに血がとびちり、ぐっ!がっ!という声にもならない木下の『音』が響く。
「おいおい、もうやめとけって」
流石の飛田も時臣を羽交締めにして木下から引き剥がした。
「やってるやってねえは関係ねえんだよ!ふざけんな!それが大義名分になると思ってんのか!頭おかしいだろ!だったらお前が…お前が一途に思った気持ちだけで学生は…お前の勝手な恋愛感情で学生たちは死んでいったのかよ!」
掴まれてなお飛びかかろうとする時臣を、飛田は元いたソファまで連れ戻し後ろから押さえつけて座らせた。
「お前は見てねえだろ。学生がどんなに俺らを怖がったか…見てねえんだろ。本気で怖がってたんだぞ。あんな人間の顔は見た事ねえよ!怖がった挙句死んでいったんだよ!なんであそこまでする必要があるんだ…それが社長を社長でいさせるためって…クソ面白くもねえんだよっ」
「時臣っ」
再び立とうとするのを飛田でさえ必死で抑えなければならない。
中条も隣で時臣の肩を掴んでいた。
時臣は数分肩を揺らして木下を睨みつけながら息を荒らしていたが、強く押さえつけられて落ち着いたのか、
「なんなんだよ…くだらねえ…」
小さく呟き、頭を抱えてソファに座った。後ろに立っている飛田は、まだピリついている時臣を察し、両手をズボンのポケットへ入れはしたがその場にいることにした。
中条も時臣の脚を押さえてはいたが木下に向かい、自分が依頼を受けた理由を話し始める。
「伊丹賢也は、それまで遊んでいた自分が急に社長になった時に社員からお飾りだの言われていたってことは知ってたぞ」
中条が賢也と話したときにポロッとそんなことを言っていたと言う。
「あんたのとこの社長は今、頑張って『社長』になろうとしてたよ。『自力』でな。俺が依頼された理由も、木下さん が会社のためにならないようなことをしているかもしれない、という話からだ。請求書くれたのも社長だよ」
木下は血塗れの充血した目で中条を見た。
「家庭教師だったんだってな。大学に受からせてくれた恩は生涯忘れない、けどヤクザと絡んだり警察沙汰になるようなら…ってお前を調べて欲しいと俺に依頼くれたんだよ」
木下はがっくりと首を下げる。
絶対に高円寺と自分の関係性はバレないはずだったのに…そこを繋いだのは賢也だったのか…。それは木下にはショックだった。が、反面、自ら社長業に力を入れてくれるようになったことに、こんな時ではあったが多少なりとも喜びを感じてもいた。
「もしも、ヤクザに絡まれているだけなら、社をあげて弁護士立てて助けるとも言ってたぞ」
最近頻繁にこの部屋に来ていたのも、様々な証拠を集めていたんだなと納得ができた。
頭を変えたままの時臣にはあの、猪野充の恐怖の顔がずっと頭から離れていなかった。
容疑をかけられしばらく仕事もしないでいた時も、夢に見るから眠れないし、起きていても猪野充の最期の顔が浮かんで、その顔は恐怖に怯えながらも『助けて』と言っているようにも見えて、何もできなかった自分が歯痒かった。
飛田も実はその頃の時臣を、唯希から相談されて知っていた。
まさかここで、こんな形でそれが解決するとは流石に思ってはいなかったが、その時の唯希の心配具合から、かなり参っていることは察せられていた。
実際時臣が今、ここで木下を殺したって、組をあげて庇うくらいの覚悟もある。
中条も時臣のこの件への入れ込み方が尋常じゃないのは気づいてはいたが、唯希に話を聞いてからは共に解決に向かえたらなと思っていたのも事実だ。
「飛田」
頭を抱えたままの時臣が飛田をよぶ。
「あいよ」
時臣の後ろで軽い返事をした。
「木下 は…警察に突き出したところで大した罪にはならねえ。学生たちが亡くなったのは、事実『自殺』や『事故』だからな」
「へえ、随分上手くやったんだなぁ」
そう言って薄ら笑いをする。
「本当にな、クソみてえに上手くやってくれたよ」
顔を上げるとまた飛びかかってしまいそうで、時臣は頭を抱えたままだ。中条が抑えてくれている手が、その気持ちを抑えてくれてもいた。
「で、時臣よ…おまえらの用は済んだのか」
飛田の手がポケットから出され、左手の拳が右手で握り込まれた。
「ああ…好きにしろ」
木下が時臣をみて、そして飛田に目を移す。
血塗れの口元が動いて何かを言おうとするが、左の歯がほとんど折れていて、しかも血が口いっぱいで言葉が出ない。
ただ首を振ってーやめてくれーを意思表示するしかなかった。
自分を見つめる飛田の目や、何やらヤクザと親しそうな探偵の言葉が木下の精神を苛む。
「殺しやしねえよ。俺も情の厚い男で通ってるし、殺しは嫌いなんだ…もっとも」
飛田は時臣の後ろでーもう平気だなーと言うように肩を2回叩き
「殺してくれっていうほどの目には、あうかも知れねえけどな」
そう言いながら木下の前へと歩いてゆくと、胸ぐらを掴んで引き上げる。
「マンションの部屋…汚すと後々面倒だから…一緒に行こうか。いい場所知ってんだよ」
血が溢れるともっと汚れちゃうからといって、近場にかけてあった木下の部屋着を口に突っ込んで引き寄せ、悲鳴をあげて抵抗する木下を後ろにいた男が腰のベルトを掴み足を浮かせて連れてゆく。
玄関まで行って、そこで待機していた男に木下を預け車に乗せておけと言い伝えて飛田は一度部屋へ戻った。
今の一部始終を、やれやれと見送った中条は戻ってきた飛田に一瞬驚いたが、そんな中条に握手をするように手を握り込み、手の中に紙を握らせた飛田は
「頼んだぞ」
と時臣に目を配って中条の腕を叩いて去ってゆく。
中条が手のひらを見ると、万券が見た感じ5枚くらいあった。
「え…ええぇ…?」
戸惑って玄関まで行ってみるが、もう姿は見えなくなっていて
「頼んだぞって…」
ちらりとリビングを見ると、時臣は今度はソファに頭を預け天井を見ていた。
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