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吐露

 中条は、ここで自分まで気持ちがダウンしたらやばいと気を取り直して、時臣の後ろに立ち 「帰るぞ」  と顔を覗き込んでやった。 「業績を上げて出世したかった、って言われた方が何倍も許せた気がする…馬鹿馬鹿しすぎて気が抜けたわ…」  自分を透かして天井を見ているような焦点の定まらない時臣の目を見て、中条は両肩の下に手を入れて半身を起こさせる。 「まあな。あんな事で学生死なせたって聞いた時は、俺も呆れたわ」  続けて立てるか?と問うが 「動きたくねえ」  との返事。中条は部屋をキョロっと見回して 「泊まってくか?中々いい部屋だ」  と揶揄ってみた。 「ふざけんな」  こんな胸糞悪いところには、もう居たくはない。  時臣は本当に重そうに身体を立ち上げ、頭を振って玄関へと向かってゆく。  中条はそんな時臣の後ろからサポートするように立ち、一緒に玄関を出た。  オートロックはこういう時に便利だ。  車に乗せて、 「事務所真っ直ぐ帰るか?」  と聞くが、黙っているので時臣の事務所に一緒に帰ることにした。  時間はまだ午後3時だった。  途中コンビニに寄って、木下を殴った時の血がついた手を拭く為にウエットティッシュや落ち着かせるために、コーラとビールを両方買って車で使わせた。  驚くことに、時臣はビールではなくコーラを選び半分一気に空けてしまう。ゲップでかなり苦戦していたが、その隙に手を拭かせそれをまとめてコンビニのゴミ箱へ。 「少しは落ち着いたか?」  考えてみたら、蓮清堂で賢也に会ってから勢いで木下のマンションへと行ったので、昼を食べていなかった。  中条はサンドイッチとおにぎりと軽く食べられるスティックパンを買ってきて、好きなもの食えと運転席と助手席の間に袋ごと置いた。 「梅じゃねえのか…」  などとおにぎりを見て言ってくるあたりはだいぶ落ち着いたかなと理解し、 「唯希ちゃんにちょっと連絡するよ」  と断ってから唯希へと電話をかけた 「中条っす。うん、ついさっき終わった。今から帰るよ。ああ一緒だよ…まあそれは帰ってから話す。木下は、飛田さんが連れてったよ。死にたくなるような目に遭うみたいだ」  おっかねと言いながらも自業自得ぶりに同情の涙も出ない。  時臣は結局何も食べずに、コーラをちびちびしながらタバコを吸っていた。 「昼食ってないけど食欲はなさそうだな。まあ…うん、わかった。15分くらいで戻れると思う。うい〜よろしく」     玄関を入って居住区のドアを開けるといい香りが漂っていた。 「お帰りなさい。お疲れ様でした。お昼まだって聞いたので軽く作っておきましたよ」  唯希は入り口で出迎えてくれたが、そんな唯希に時臣が唯希の頭をポンポンとして、優しい声で。 「ただいま」  と、微笑んだ  普段こんなことはしてこない時臣だが、以前…猪野充の件での在宅事件という処遇が解かれ、猪野充の遺体が家に戻ることになったと聞いた時も、時臣は唯希にこんなことをしていた。  なので唯希はこれは少しだけ時臣が弱っている証拠だと知っている。 「お腹空いてるでしょ?食べますか?それとも少し休みます?」  隣に並んでそう問うと 「いや、いただくよ」  と時臣は洗面所へと向かった。  中条はそんな光景を見守り、時臣が洗面所へ向かった後ダイニングへ行ってまた驚いた  ダイニングテーブルには、唯希が握ったのであろうおにぎり10個ほどと、卵焼きと焼いたウインナー、焼きシャケ、きんぴらごぼう、ポテトサラダ他たくさん用意してあった。和食好きな時臣に合わせているのが見て取れる。 「軽く…?」  唯希は、伊丹賢也に会いにいった足で木下のところに行くと聞いた時から、なんだか気持ちが落ち着かなくなって、何時に帰るかわからないけどと思いながらとりあえず料理に取り掛かっていた。  木下に関してはだいぶナーバスになっているのを解っていた分、心配が先に立っていたから。  中条がコンビニ袋を椅子に置いて驚いてる隙に、時臣はすでダイニングへ座っていた。 「はええなお前」  唯希に手を洗ってきてと言われ中条も洗面所で手を洗って戻ると、黙ったまま時臣が先に食べている。  まあコンビニのおにぎりよりは手作りだよね…と中条も納得して唯希の隣に腰掛けた。 「それで、どんな感じでした?」  唯希は敢えて時臣には尋ねずに、隣に向き直って中条へと尋ねる。時臣が話したい時に話せばいいと言うスタンスで、今日のことを聞き出したい。  中条は、メモ帳を片手にした唯希の前で蓮清堂へ行った時の話から、木下のマンションでの事まで詳細に話したが、話すことによってあの時の感情が時臣に甦りやしないかとヒヤヒヤしていたが、それは杞憂だった。 「そう言うことだったのね。そりゃあボスも怒るわ…。言わば恋愛ごとに人の命をかけたってことだでしょう…?ほんとくっだらない…」  唯希も胸糞悪そうに鼻の上に皺を寄せる。ーしかもほぼ片思いじゃないー 「健気もここまでくると変態よね…」  大まかなことをメモに記して、後でパソコンに纏めるのだが、唯希もこの一連を自分のパソコンに残しておくのすら嫌な気分だ。 「あ、そういえばボス。ちょっといいお知らせありますよ」  箸で卵焼きを口に入れながら時臣が唯希へ目線を向けた。唯希の卵焼きは塩味だ。 「瀬奈君のマインドコントロール、解けたそうです。今日綾瀬さんが対面して、ボスの画像で確認したんですって。まあ、画像なので本人と会ったらは未知ですけど、とりあえず大丈夫だったと典孝が連絡くれました」  典孝は、この事務所のマインドコントロール班として富山(とみやま)や綾瀬がこの件に関わるときは常に同行してくれているのだ。 「それは嬉しいな。よかった」  時臣は嬉しそうに笑った。  一人救われた子がいると言う知らせは今の時臣の荒んだ心に優しく刺さる。  あの『塾』にいた学生全員にまだマインドコントロールがかかっているが、|富山《とみやま》と綾瀬が全員と関わるのは難しいので、知り合いに頼んで分業しようともしているという。  腕のいい白魔術師さんは結構いるもんなんだな、と思いながら時臣は遅い昼食を続行した。  お腹が満ちてくると、ほんの少しだけ気力が湧いてくるもので… 「今日の事、結城さんには伝えなくちゃだな」  結城には本当のことを伝えようと思っていた。多分本庁に伝えたところで、本当に木下は罪には問えないのだ。  等々力組と、その子飼いの黒魔術師が言葉を発さない限り、『塾』との関連はつながらないのだから。  そしてその人物達が口を割ることはない。 「じゃあ食後ゆっくりしたら、今回の件まとめましょうか」   食後の片付けを唯希がしている間に、時臣と中条はリビングへ移動してまだやることがあるから酒というわけにもいかず、帰る時に中条が買ってきたコーラやウーロン茶を氷とグラスを用意して飲んでいた。 「まあ、今日は言いたいこと言えてちょっとスッキリしたわ」  時臣がソファの上に胡座をかいて、手にしたウーロン茶の氷を眺めていた。 「猪野充くんのことがあって以来か?俺は瀬奈君からだけど、見た感じお前なんか張り詰めてたもんな」 「木下(あいつ)に笑われたことな、それがでかい」  不思議と今それを口にしても、妙な怒りは湧いてこなかった。自分の中で落とし所にハマったのかなと思う。 「それにしても…結果を開けてみれば、随分と胸糞悪い一件だったな」  中条も瀬奈との面会の手伝いからではあったが、この件に首を突っ込み自分のところ、他のところと見てる間に渦に巻き込まれていった感がある。 「でもま、俺に手伝わせてくれてサンキューな。今回いい勉強になったわ」 「俺もだ」  そう言い合って少し笑いあう。 「こんなんが何回もあったらたまらんけど、こういう一件もあるんだなっていう勉強にはなったな…人間の考えることって凄えし怖いよなぁ」  悠馬のだけど、と言って出してくれたポテチを摘んで中条も少々お疲れだ。 「法で裁けない事件ってのは、意外とあるんだろうな」  時臣は飛田を思い浮かべたが、それを裁くのがヤクザであってもダメな気がして、そこからは言わなかった。 「今回そんなのを目の当たりにしたよな。警察も大変だ」 「結城さんが言ってたんだよ。自分らは規制の中でしか動けないって。だから目の前にいる犯人(ほし)も、遠回りしなきゃ逮捕できないこともある。ってな。警察にも手が出せないこと多そうで、今回みたいなやるせない気持ちを何度も経験してるんだろうな」 「ドラマとか見てると、無茶苦茶な刑事がそこに突進してくよな」  中条が笑うが 「それは実際にできないからドラマになってんだろ」  時臣も笑う。そしてしばらく沈黙の後に 「俺な…」  時臣が中条に烏龍茶を注ぎながら話し出した。 「最初の一件目の猪野くんの時にな、あの子が最期に見たのが俺ということと、俺が初めて見た人の恐怖の顔とその中にある救済を求める顔がすげえ頭に残っちまってたんだよ」  中条も時臣に注いでやる。 「俺の中でもそれが恐怖になってたんだと思う。ああ言う亡くなり方をした誰かが、最期に見た顔が俺っていうのさ…結構恐怖だぞ。だから瀬奈君のときは必死で抑えてたわ」  図書館で好奇の目に晒されながらも、手を離したらこの子は死んでしまうと。  あの恐怖は2度と味わいたくない、この子の最後に見た景色になるのはごめんだって、それと必死に戦ってたと思い出した。 「しかしその結果がなあ〜アレだもんな…」  少し思い出したが、これもまた思ったよりも自分で平気なことに徐々に慣れてくる。  今はただ、人間の自我の強欲さに呆れるばかりだ。 「まあでもさ、恋愛ごとってのは人智を越えるから。夢中になっちゃったやつはもう、人を超えるんだよなぁ」  これまでに、なんかあったような、なかったような言い回しで中条が言う。 「恋愛って言っていいのかなんなのか…」  時臣も苦笑する。  土井拓実の事件の時に、『愛はマインドコントロールを超えるか』と富山に聞いた時の返事を思い出した。 『篠田君。人の心というのは計り知れないものなんだよ。催眠や洗脳、今回のマインドコントロールがどんなに完璧でもね、何か一つでも譲れないものがあれば、そんなものは効かなくなるもんなんだ』  木下(あいつ)の『譲れない物』が社長(伊丹賢也)だとは思いたくはないけれど…そう言うこともあるか…と、あの時と同じ考えにしかならなかった。 「探偵なんて(こんな)家業やってっとさ、色々あるわな。やるせないこと今までだってあっただろ。それの一環だよ。でもお前あれだぞ、殴って歯折ったり、人間踏んづけたり、まして踏みつけた挙句肋骨折るとか警察はできないんだからな。多少の憂さは晴らしただろ」  うははと笑う中条に、少し救われた気がした。  唯希はキッチンでとんでもない事を聞いたような顔をしていたが、気が済んだならいいかと流すことにした。 「そう言う事にしとくわ。この道何年の先輩方に比べたら、俺らまだまだってこったな」  乾杯、とグラスを合わせてなんとか今回の事を昇華する。  経験は財産だ。そう思ってやるせない感情は背負いつつやっていくしかなかった。 「ただいま〜」  悠馬が帰ってきて、ソファでくつろいでいるおじさん2人を眺め 「もう飲んでんの?まだ5時だよ」  呆れて自分の部屋に行こうとソファの置いてある脇を通った時に、時臣が立ち上がってきて 「おかえり悠馬〜飲んでないよ〜ウーロン茶だよ〜」  とハグしてきた。 「なになになに?叔父さんなに?」  筋肉の肩に頭を抱えられて、蠢くがちょっとキツイ。 「いや、おかえりのハグ」  悠馬はそれを引き剥がして、 「そんなことした事ないだろ。なんなんだよ」  少し顔を赤らめて、悠馬は部屋に入ってしまった。 「なんだよ〜まだ反抗期おわってねえのか〜」  つまらなそうにソファへ戻り、仕方なく今度はコーラを飲み始める。 「あの年代の男子に、おっさんのハグはキッツイわ〜」  中条がゲラゲラ笑った。 「文字通りの叔父なんだからいいじゃんな」  時臣にとっては、今は悠馬が1番の癒しなのだ。たった今1番癒された。  叔父バカは健在だ。

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