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終 それぞれの思い

 伊丹賢也は、あれから木下の関わった通夜、葬儀の収支を調べ直していたが、こうしてきっちり見ないとわからないレベルで上乗せや、帳簿上での使途不明金等が意外と多く見受けられた。  しかもいわゆる二重帳簿的なものになっていて、木下が客先へ出向く時のアタッシェケースを漁ったら、案の定客先への請求書控えや領収証控えが出てきて、それを会社保管分と比べたら随分と差があった。   つまり客先へ少し多めに請求しており、差額を自分のものにしていた形跡があったのだ。  そして精査されては困ると踏んだのか、確定申告に使う月の売り上げ票や収支のまとめは全て終わっている。  賢也はため息をついた。  木下の件は、中条からの調査報告書によると『等々力組に莫大な負債を負い、それで既に首が回らなくなっていた』と書かれていた。  そして『その負債の諸事情により、依願退職と本人から受けているので、そちらでの処理をお願いしたいと伝言された』と記載されていたが、どう言った理由かまでは書かれていなかった。  大体察しはつくけれど。  賢也のため息は、横領の請求先がいなくなった事に終始する。  上乗せして客先へと請求してしまった物は、今更返金できない処理をされてしまっているために、利用者には迷惑がかかってしまったが、今回は…今回だけは黙っていることにした。  精査されたらきっとバレるだろうが、確定申告を一度乗り切ればまあまあ…大丈夫だろう。  これからは本当に誠実に会社をやって行かなければだなあと、ようやく思い至った。 「これも木下『先生』のおかげなのかねえ」  ディスりとも嫌味とも、そして感謝とも取れる独り言を呟いて、賢也はデータの画面を閉じた。  警視庁の発表  7月20日の高円寺に於けるパソコン教室及び塾(よう)施設への強制捜査について。  高円寺の塾(よう)の施設では、20歳前後の学生を集め勉強の指導をする傍らそこに泊め置き、軽い軟禁状態にしマインドコントロールを施していたことが判明。  マインドコントロールにかけられた学生は、特定の人物を極端に恐れ、自分の命をも顧みない行動に走ることが実証されている。  それに関して、都内で4月〜7月頭までに起こった20歳前後の学生の自殺や事故の増え始めた時期と、塾(よう)施設が開設された時期がほぼ一致。あらかたの自死や事故がこの塾様施設によるものと判断した。  当局では、マインドコントロールによる学生の1種の無差別殺人に似た事件と落ち着かせることとなった。  主犯は鹿島幸広(28)動機などは不明。鹿島も逮捕後記憶が定まらず、取り調べの証言も曖昧なことも多い事から慎重に取り調べを行い、第三者の存在も視野に今なお捜査中である。  あれから2日後  三鷹の居酒屋で、時臣は結城と杯を交わしていた。 「嘘ばかり言わせやがって」  面白くなさそうに杯を煽って、結城は不機嫌そうに時臣を睨んだ。 「嘘言わせてないですよ。あれは全て真実です。途中までですが」 「そこだよ」  時臣の酌を断って、手酌で酒を注ぐ。 「そこはね、仕方ないと思ってもらうしかないっす。葬儀屋を立件したかったでしょうが、葬儀屋自体は関係ないっすからね。葬儀屋の社員が絡んでただけで」  時臣も手酌で杯を重ね、鶏ももを串から歯で剥ぎ取った。 「大元はそいつだろうが…なんで連れ出さなかったんだ」 「木下(あいつ)が罪に問えないのは結城さんだってわかるでしょ。あいつに罪を問うなら証言が必要なんですよ。でもその証言は『絶対』引き出せないところにあるんです…手を出しちゃいけないとこです」  結城は唸った。  時臣は敢えて等々力組の事は話さなかったが、それは長年刑事をやっている結城にも、そう言う事なんだということは理解はできる。  ヤクザの金蔓に手をかけようものなら自分たちの命すら危ういのだ。   しかし、納得ができないのも事実だ。 「俺も結城さんと同じ気持ちですがね…まあ…悪い事をしたやつは、それ相応の罰が下るんすよ。確実にね」  時臣の周りの温度が少し下がった気がして、結城はつい2度見をしてしまう。『それ相応』が人の命を弄んだそれなりの代償なんだろうことが伝わった。  いまだに少しピリついている時臣を見ていると、自分の若い頃を思い出す。このままピリついていてもいいこともないので、結城は少しの朗報を提供することにした。 「土井拓実と栗山だけどな…」  三鷹の路上で土井拓実が道路に引き摺り出した栗山とともに2tトラックに轢かれた事故のことだ。 「はい、どうなったんですか?土井拓実は確か意識不明でしたよね」 「無事に一命を取り留めたよ。頭が無事だったのは幸いだったよな」 「そうですか、それは…本当によかったです。先日も、ある学生のマインドコントロールが解けたと言う知らせが来て…いい風に向かってますね」  結城は時臣のこの安堵の顔が見たかった。 「栗山さんはもう?」 「だいぶ元気になってたよ。来週退院できるそうだ。ただ足に少々障害が残るようでなあ」 「そうですか…それは…気の毒ですね、職業柄」 「まあ、歩けないわけでもないらしいから、あの元気ぶりならなんとかやりそうだよあの人は」  酒を煽って、また手酌  土井拓実と栗山の間には刑事事件の裁判が開かれる。  それまでに、栗山には今回の一件の話をじっくり聞かせて、障害が残ると言うことになると、許せない部分もあるだろうけれど、なんとか土井拓実の刑が軽くなるように協力を仰ぎたいと結城は話してくれた。土井拓実()もまた被害者なのだから。  時臣もそれに賛同し、ぜひよろしくお願いします、と頭を下げた。  結城と会った帰りに、三鷹であったことも手伝って時臣は猪野充と最後に対峙したビルの屋上にやってきた。  飛び降りた場所も明確に覚えていて、その場所へ立ちフェンス越しに下を見る。  あの日の光景は忘れずに記憶にあり綺麗に組まれた歩道のタイルの上に、飛び降りたにしてはうつ伏せで寝ているような姿だったのも思い出す。 「猪野くん、終わったよ」  途中で買ったコーラを足元に供えて、時臣はタバコに火をつけた。 「ビールを買おうとしちまったけど、猪野くんはまだ19だからな。コーラにしたよ」  独り言を言って口の端を上げるだけの笑みをしてフェンスに両腕を乗せる。  見える景色は向かいのビルや、斜めに見ても建物ばかりだ。決して景色のいい場所ではない。  ポッカリと煙を吐いて、携帯用灰皿に灰を落とした。 ー猪野くんをこんな目に合わせた奴は、ちゃんと罰を受けてるからーとか、ー助けてやれなくて悪かったーとか色々かけたい言葉はあったが、ここにいると言葉に詰まってしまう。  向かいは雑居ビルなのか、小さな部屋で今は午後9時だがまだ働いている者がいる。  時臣は短くなったタバコを携帯灰皿に押し付けて蓋をした。 「また来るな」  コーラを置いた場所にそう呟いて、屋上出口に向かう。  その途中で急に大粒の雨が降ってきた。時臣は空を見上げて顔に落ちる大きな雨粒を受けた。  あの日もこんな感じの雨だったな…とも思い出し、誰かが亡くなった時の雨は…と言う言葉を呟きながら、ドアへと向かっていった。

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