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第14話

 久し振りに出社すると、労わりの声に包まれ、倒れた時に一緒に仕事をしていた広瀬君は、人一倍心配をしてくれた。俺は貧血か疲労としか言えない事を申し訳なく思いながら、何の問題もなかったと、「それでも、もしかしたら」を繰り返す彼に、何度も大丈夫だ、と告げる。 「俺ホント、マジでびっくりしたんですよ」  いつも丁寧口調で、マジとか使わない彼の言葉が少し乱れている。きっとそれ程心配かけてしまったのだろう。俺はそれを申し訳なく思いながら、今元気であるという証拠に笑って見せ、精力的に動いた。  無理するな、と言われたが、四日間も家で自主軟禁状態だったのだ。身体はもうじっとしている事にうんざりしている。 「無理だったら頼みます。だから、大丈夫ですよ」  そう笑って見せながら、ショップの在庫品を倉庫へと運び込む。今回の図録は評判が良く、売れ行きが良かったので、ちょうど追加発注品が入ってきた時だった。指先にぐっと力を込めて持ち上げ、腰を気遣いながら移動させる。 「一箱は売り場の方に、俺が持っていきますね」 「ごめん、ありがとう」  広瀬君の申し出を有り難く受け止めながら、軽く倉庫の掃除を済ませて持ち場へと戻ると、 「今森さん」  と呼び止められた。  声の方へと視線を向ければ、女性職員二人が小さく手を振っていた。そしてその彼女たちの間に挟まれている長身の男が、僅かに目を見開く。彼は駆け寄ってくると、 「心配しました!」  といつもよりもわずかに大きな声音で、そう訴えてきた。  ずっと会いたかった人が目の前に来て、思わずくらりと眩暈のように、視界が回った気がした。俺はふらつきそうな両足に力を入れて踏ん張ると、眉を八の字にしてこちらを覗き込む續山さんを見上げた。 「もう大丈夫ですか? あの時何か騒いでるなって見に行ったら、今森さんが倒れてるから……」 「御心配おかけしてすみません。ただの貧血のようでして……もう全然元気ですよ!」  そう言って笑って見せると、續山さんは納得したような、していないような、曖昧な笑みを浮かべて頷いた。俺はそうだ、と制服のポケットに忍ばせて置いたレシートを数枚取り出し、彼に差し出す。 「續山さんを見ていたら、俺も描きたくなっちゃいました」  彼はゆっくりと俺の指先からレシートを抜き取ると、その裏に描かれた絵に視線を落とす。数日前に描いた絵が、誰かの目に晒される、その久し振りの感覚に、緊張して指先がちりちりと痺れているのが分かった。俺はじっと彼の様子を見つめた。どんな顔をするだろう、俺の絵は彼にどんな印象を与えるのだろう。 高鳴る心臓に気付かない振りして、それでも期待と不安で彼を見つめてしまう。續山さんは俺の絵をじっと眺めてから、少しずつ彼の瞳の光彩を輝かせて、驚いたような瞬きを繰り返す。心臓がどくりと脈を打った。 「すごい。これ、一発描きですか?」 「あ、うん。家にペンしかなくて……」 「こんな細かいところまで……なんでパースがないのに歪まないんですか! すごくないですか?」  そう言いながら渡した部屋からの景色と、パキラの絵を見比べる。久し振りに褒められて、俺は初めて母の日で描いた似顔絵を思い出した。母は俺の絵を見て「こんな上手な絵を描く人、初めて見たわ」と言った。  その時の喜びに似ている。 「しかも、レシートの裏っていうのがまた、良いですね!」  そう言ってレシートを窓から入る光に晒すと、裏面から浮き上がる黒いまだら模様が、パキラのイラストの背面に見える。 「これ、ほしいなあ」  指先で二枚のレシートを伸ばしながら、ぽつりと續山さんが呟く。ちらりと視線を寄越されて、本当は迷う間もなく貰ってもらえたら嬉しいと返事をしたかったが、 「俺にも續山さんの絵をください」  と勿体ぶって見せた。  すると續山さんは少しだけ目を大きくしてから、 「今から今森さんの為に描いて来ます!」  そう意気込んで、さっそく常設展示室へと足を向けてしまう。躊躇いや悩む間もないその行動に、俺はそれをぽかん、と眺めてから、さわさわと湧き上がる彼の愛らしさに、頬が緩んでしまうのを感じる。俺は小さな声で「行ってらっしゃい」と見送り、展示室へ消えていく背中に手を振った。

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