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LESSONⅠ:第1話
誰かの歌声が外から聞こえる。
部屋のなかにいても耳に届くということは結構な音量で誰かが歌っているのかもしれない。
生まれながらに絶対音感を持っている三波渚 は両手で耳を覆った。
普段なら聞き流せるはずなのに、今日は微妙な音程のずれが違和感となって身体をむず痒くさせる。きっと自分の部屋ではなく、馴染みのない場所にいるせいだ。
ひとりの時間はとても長く感じてしまう。
壁掛けタイプの五十インチ以上はあるだろう大きすぎるテレビはつける気にならなかった。リビングだけでも二十畳はありそうな部屋なのに置かれているソファーはヴィンテージ風でさほど大きくはないから、よけいに違和感を覚えた。
誰かの歌声が遠ざかるとナギサはソファーに座り直した。軋む音が年季を感じさせる。
時間を持て余したナギサは動画でも流そうとスマホでアプリを立ち上げた。見たい動画は思いつかなかったが、新着にアップロードされた番組を無意識のまま再生する。いつものとおり気分を萎えさせる広告が流れ始めたので、そのままスマホをソファーの真正面にあるローテーブルへ置いて、ぼんやりと流れる広告の音声に耳を傾けた。
『映画【偏愛音感 】まもなくロードショー! 主演はアイドルから俳優へ転身した、桐生ジュン 。タッグを組むのは国内映画祭で賞を総なめした新橋慶 監督!』
「へぇ、【偏愛音感】って映画化されるんだ……」
誰もいないリビングは呟きをすべて独り言に変換されてしまう。
孤独を感じたくないナギサは広告が流れているあいだにソファーの上に置いてあった部屋着を手に取った。
肌ざわりが良くて、ずっと触っていたい素材だ。少しでもくつろごうと試しに着替えるとサイズが寸分の狂いもなくぴったりだった。
この服は自分のためにしっかりと採寸した上で用意されたものだろう。おそらくこの部屋の持ち主の部屋着ではないことくらい、すぐに理解できる。
なぜならその人物とは体型がまったく異なっているからだ。MやLという括りだとしっくり体に馴染まないときもある。しかしこの部屋着は快適までにぴったりなのだ。
体の大きさをどうして知っているのか勘ぐらずにはいられない。
ナギサは心地よいはずの部屋着を身に着けただけなのに背筋に寒気を感じたので、頭を振りながら動画に意識を集中させた。
「聞こえはいいよね、【偏愛音感】というネーミングは」
【偏愛音感】とはどこかの脳科学者が名付けた人間の新たな特殊能力らしい。
人にはまだまだ解明されていないことがたくさんあることには間違いないが、現象に名前がつかなければ日常で使っていても気づかない。しかしひとたび名前がついてしまえばその能力を認識することになってしまう。
生まれながらに、音を絶対的な高さで認識することができる絶対音感を持っていたナギサは自分が【偏愛音感】も持っていることにその言葉が流行してから気がついた。
【偏愛音感】というのは、お互いに想い合っている同士で歌うと相手の心のなかに浮かんだ気持ちが脳内に流れてくる現象と学者は言った。
共感とか感受性とか見えないものに言葉が彩りをつける。それを脳内ではっきり受け取れる人を【偏愛音感】の持ち主と定義された。
さらにその能力は前世から関わりを持っている人を探す行為ではないかとすら言われ始めたのだ。
生まれ変わってからも、前世から繋がりのあった人と出会うなんてナギサは信じられなかった。せっかく現世で離れられたのに、【偏愛音感】の能力があると、無意識のうちに探し出してしまうらしい。
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