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LESSONⅠ:第2話
小さいころから歌うことしか取り柄のなかったナギサは、高校在学中から歌うだけの動画配信を始めた。そこでいまのマネージャーにボーカリストとして見いだされ、プロの歌手として飯を食べている。
むかしから生活音が音階に変換される絶対音感は意識にあったが、誰かの歌声から心の言葉が流れ込む【偏愛音感】についてはどういう現象かあまりよく分かっていなかった。
なぜならナギサは誰かを好きになったことがないからだ。
どうせいつか自分なんて捨てられる。
もし誰かを好きになっても裏切られることが怖い。
脳内にこびり付いた負の感情に支配されるようになったのは、小さいころに家族がバラバラになったせいかもしれない。
ずっとナギサの心は独りぼっちだった。だから恋だの愛だのなんて、知らない世界のおとぎ話のように思えた。
しかし【偏愛音感】という言葉がひとり歩きをしている現実に、ナギサにも聞こえる声に出会ったのだ。
まさか自分もその能力を持っていたなんて信じられないけれど、聞こえてしまったからには意識せずにはいられない。
〈俺の可愛いナギサ……。部屋の電気がついているということは、今夜は俺の部屋にいるってことだな!〉
脳内に自分とは違う人間の意識が流れ込み、それが部屋の持ち主の心の声だとナギサはすぐに理解した。これが【偏愛音感】が発動した証拠。部屋に誰もいないのに、頭のなかには自分以外の声が流れ込んでしまうのだ。
ナギサの頭のなかで響く声の主は、音楽業界で知らない人間はいない、世界的ギタリストの宮國雅紀 だ。
まだ部屋のドアは開いていないはずだけど、雅紀の心の声が次々とナギサの意識へ流れ込んでくる。
どうして彼の心の声が脳内で受け取れるのかを考えたくはないけれど、【偏愛音感】の定義に当てはめるならば、ナギサは彼のことを好きで、彼もナギサを好きだということだ。
そして最近の研究発表を加えるならば前世から関わりのある人物かもしれないということだろう。
機嫌良く鼻歌を歌いながらマンションの廊下を雅紀は歩いているのかもしれない。
どんどん脳内に響く声が大きくなり、ナギサはドアが開くタイミングさえ予想がついた。
玄関を上がり、スリッパの足音がぱたぱたとフローリングの廊下の上を滑っている。
リビングの扉が開くまで……あと、さん、に、いち──。
「ナギサっ! ただいま! 帰ったら部屋に居てくれるなんて幸せすぎるだろ、俺は」とリビングにやってきた雅紀の生声が背後から聞こえた。
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