6 / 32
6 ガリ勉は努力不足?
僕は日々、勉強へ励んだ。寝る間も惜しんで教科書を読み込んだ。結果、体育以外の成績は抜群だった。
そう、ジェラルドと比較しなければ。
入学者テストで、僕はまた次席。ジェラルドはもちろん首席。
さらに僕たちの差は、いつもの授業の中ですら、明白だった。
数学の授業で、「この問題を解けた者は挙手を」と求められる。僕は解法を見つけるのに苦労してしまって、初動が遅れた。ジェラルドはすぐにすらすらと解き始め、僕が半分解けたくらいの頃に、「はい」と挙手した。
そして僕の目の前で、あざやかな解法が、黒板に記されていく。少し癖のある字で、読みにくい。でも、僕とは全然違う解法で、分かりやすくて、綺麗な解き方。
「さすがマクソンだ。こんな鮮やかな解き方があったとはな」
先生は満足げに手を叩いて、ジェラルドを褒めたたえる。僕はぐうの音も出せずに俯いた。クラスはざわめき、「これ解けるんだ……」という声もちらほら聞こえた。解けるよ。僕は解けたし。半分だけだけど……。
その後、先生の解説が始まる。模範解答が、黒板へ書かれていった。なるほど、僕の解き方と同じアプローチだ。でも、模範解答の方が余計な計算をしていなくて、かっこいい解き方をしている。
悔しい。僕がひっそりジェラルドをにらみつけると、彼はあろうことか得意げに笑った。全くムカつく奴だ。
僕とジェラルドは、大体こんな感じだった。僕はジェラルドに一歩及ばないどころか、三歩も四歩も遅れている。クラスのみんなはもう、僕を「学年一位」なんて呼ぶことすらしない。みんな、分かっているんだ。
ジェラルドが絶対的な首席で、僕はかないやしないって。もう僕のことなんか、眼中にないんだ。
そしてこの数学で、今日の学校は終わりだ。僕も、僕の「教室」のない日。そういう日は、図書館で自習することにしていた。家で自習していると、時々やってくる家族からのちょっかいが面倒だから。
そして図書館に行くと、だいたい、遅れて来る人がいる。
ジェラルドだ。他のクラスメイトたちと一しきり駄弁った後に、こっちへ来ているらしい。その割に、彼の友人たちは、こっちで勉強しないんだけど。
「や、エリス」
手を挙げるジェラルドには、「ん」と頷いて視線だけ向ける。机はたくさん並んでいるのに、わざわざ僕が座っているところの、真正面の席を狙って座るのだ。最初は嫌がって移動していたけど、しつこく着いてくるから、諦めた。
「今日は何やってるんだ?」
「数学……」
今日、ジェラルドに先を越されたのが悔しいから、外国語の予習をするつもりだったのを変更した。
それきり返事をせずに、黙々とペンを動かす。ジェラルドもこちらへ話しかけずに、教科書とノートを開いた。ちらりと見えたノートには、びっちりと、小さな文字が敷き詰められている。なんとなく、僕が教えている子どもたちのことを思い出した。ノートの消費をもったいない、と思っている人の使い方だ。
僕自身のノートを見下ろす。たっぷり余白が残っていて、字も見やすい大きさだ。紙面を贅沢に使っている。
ジェラルドはすごい、と改めて思った。僕が恵まれた環境をすべて使っても、届かないところに、死に物狂いでやって届く人。きっと僕にはまだ、甘えているところがあるんだろう。もっと頑張れるはず。ジェラルドみたいに、死に物狂いでやれるはずなんだ……。
二人で黙々と机に向かっていると、お腹が減ってきた。持たせてもらったクッキーでも食べようかと悩んでいると、お腹の音が聞こえた。真正面からだ。
顔を上げると、ジェラルドが顔を真っ赤にしていた。なんだ、彼もお腹が減っているらしい。
無性におかしくなって、くすくす笑ってしまった。ジェラルドは決まり悪そうに俯く。
「笑うなよ……」
「ん、ふふ」
気分がいい。それに彼はお腹が減っているようだ。
勉強に集中するとお腹が減るのは、ジェラルドも同じらしい。
「……おやつ、食べる?」
気づくと、ジェラルドを誘っていた。彼は驚いたのか、「えっ」と声をあげる。
僕は鞄を持って立ち上がった。思い切って、ジェラルドの腕を引っ張る。少しだけ、声が上ずった。
「一緒に食べようよ。きみも、息抜きが必要なはずだ」
お腹が減っているのを見過ごすのは、なんだか気が引けた。僕の教室でも、お腹が減った子どもたちの集中力は、著しく落ちている。ベストな状態の彼に勝ってこそ、僕にとっては意味あるものになるんだ。
そんなことを考えながら、ジェラルドを外へと連れ出した。
学内のベンチに並んで座り、鞄から紙袋に入ったクッキーを取り出す。紙袋はさらに固い小箱にいれていたし、慎重に持ち運んでいたから、割れてはいなかった。
「はい。クッキー。一緒に食べよう」
「え……」
返事を待たずに、クッキーを頬張る。目線だけで、食べないのか、と尋ねた。
ジェラルドは遠慮がちに、紙袋へ手を突っ込む。一枚引き抜いて、恐る恐る口に入れた。
「……うまい」
噛み締めるみたいに言うので、「そう」と僕は頷いた。よかった。そんなにおいしかったのか、僕の家の料理人が作ったクッキーは。
遠慮なく自分の分をつまみつつ、ジェラルドにも渡す。穏やかな時間だ。
そう悪い気分じゃない。隣にいるのは仇敵なのに、こんなに居心地がいいなんて……。
二人して、無言でぽりぽりクッキーをかじる。
「ライブラくん」
その時、声をかける人がいた。顔を上げると、茶髪の生徒が立っている。豊かに波打つ髪を、後ろへ撫で付けていて、大人っぽい。それから背が高くて、がっしりした体格だ。
制服のラインの色からして、上級生。彫りの深い顔立ちにも見覚えがあった。ということは、社交界で顔を合わせた、貴族階級の子息である可能性が高い。
「エネメラだよ。覚えていないかい?」
「ああ、あの」
なるほど確かに、彼が名乗った家名は聞いたことがあった。うちと同じ侯爵位の家で、お父さまの事業で関係があったはず。
「ライブラくんが、うちに入学したと聞いたときは嬉しかったけど……本当に一般入学だったんだね」
「はい」
誇らしくて、胸を張る。エネメラ先輩は苦笑したみたいだった。すっと目を細めて、ジェラルドを見る。
「そちらの彼は? お友達かな?」
ジェラルドは、クッキーを一口で飲み込んだ。ざくざくと咀嚼して飲みくだす。
「ジェラルドといいます、先輩」
「姓はないのかな?」
「マクソンです、先輩」
僕はハラハラと成り行きを見守った。姓の有無を尋ねるのは、平民も多く通うこの学園において、してはいけないことなんじゃないだろうか。それとも、僕が貴族だから、その辺りの感覚が逆におかしいんだろうか。基本的に、貴族は姓で呼ばれているし。でも先生は、わざわざそんなこと確認しないし……。
突然、ぶるりと身震いがする。目の前の先輩と隣のジェラルドが、急に怖くてたまらなくなった。うなじの辺りがぞわぞわする。空気がずんと重たくなって、息が苦しい。スパイスの甘い香りに混じって、バタークリームみたいな、重たくて甘ったるいにおいがする。
ちいさかった頃、何度か経験した感覚だ。うなじの違和感に空気の重さ、混ざり合う香りの気持ち悪さ。アルファ同士のお兄様たちの喧嘩に遭遇すると、よくこうなった。つまり、エネメラ先輩もアルファだとすると、この二人は喧嘩をしている。
ともだちにシェアしよう!

