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11 ガリ勉の家庭事情

 ヒートのときは、同じオメガのルークが、身の回りのことを全部やってくれることになっていた。他の家族たちは全員アルファだから、僕の部屋には一歩も近づかない。というか、近づけない。  ルークは「だから言ったでしょうに」と怒った。もっともだと思う。  僕はひたすら自分の身体を慰めた。あちこちに鼻を向けて、においを探した。あの甘くてぴりぴりする香りが欲しくて、切ない。  お腹の中を自分の指でぐちゃぐちゃにかき混ぜて、自分がどこでどんな格好になっているのか分からないまま、自分の気持ちよさだけを追いかけた。気持ちよくなって、身体がめちゃくちゃになって、気絶する。それを何度繰り返したか分からないけど、気づくと僕は浴槽の中にいた。 「お疲れ様です」  ルークが僕の身体にお湯をかけながら言う。そこでやっと、僕のヒートが開けたことを悟った。身体はぽかぽかするけれど、お腹の奥から来るものじゃない。 「うん……」  しどろもどろになりながら、湯舟に顎まで浸かる。ルークは僕が正気に戻ったことは、とっくに気づいているみたいだ。ルークが、ええ、と頷く。肩へまた、たっぷりとお湯がかかった。  僕は俯いて、膝を抱える。 「ごめんなさい。ルーク」 「私には謝らなくても構いません。怒ってませんよ」  ルークは軽やかに笑って、僕の頭へ、ゆっくりお湯をかけた。その手つきの優しさに、ほっとする。  僕は彼の手に頭を預けて、髪を洗ってもらった。何日もベッドで汗みずくになっていたせいで、べとべとだ。 「きもちいい」  うっとり目をつむる。ルークは僕のつむじをうりうり押しながら、「私は怒ってませんけどね」と、釘を刺すみたいに言った。 「エリスさまの同級生の方。心配されていましたから、エリスさまからもきちんとお礼してくださいね」 「う」  唇を噛む僕を見て、ルークは「つべこべ言わない」とお湯を汲んだ。そのまま容赦なく頭を流して、僕の身体を湯舟から引きずり上げる。  ふかふかのタオルで身体を拭かれて、ネックガードを巻かれた。ちょっと窮屈な首元に、ん、と息が詰まる。 「今日は何日? 学校はやってる?」 「平日なので、現在は授業中でしょうね。でも、今日はお休みした方がいいですよ」 「ううん……」  ちらり、と窓へと視線を向ける。太陽は高く昇っていた。 「がっこう、いきたい……」  あえて甘えた口調で言ってみる。ルークは「ダメです」と、取り付く島もない。 「もう今日は、欠席の連絡をいれましたから。ゆっくり休んで、明日からがんばり……いや、がんばらないでください」  えー、と声をあげて、それが不満だと示した。だけどルークは、僕と真っすぐ向かい合った。急に真面目な顔になって、肩に手を置く。 「いいから。あなたは無茶をしすぎなんですよ。俺がどれだけ心配したか、分かります?」  思わず、言葉に詰まった。  ルークはこちらをじっと見て、「お願いです」と、訴えた。 「無理をしないで。俺は三年前から、あなたがずーっと心配なんです」 「あれは、僕が、力不足だっただけだよ」 「いいえ。絶対に、違います」  ルークはきっぱり言い切って、僕の頭へタオルをかけた。 「あなたは十分、よくやってくれています。俺が今、あなたの側で働けているのも、あなたが学ばせてくれたおかげだ」  そうかな、と呟く。  ルークは本当に優秀だ。きっと、僕の助けなんかなくても、ちゃんと暮らしていけただろう。  ただ出自がちょっと複雑だから、そこの障害は大きかっただろうけど。 「俺、ここから勘当されたドラ息子の、婚外子ですよ? なのに、兄弟もろともここに置いてもらえている。その恩を忘れた日なんて、ないです」  もしかしたら、僕のいとことして育っていたかもしれない人だ。彼の父親は放蕩の限りを尽くして勘当された、僕のお父さまの弟。母親は、うちより地位の低い貴族のご令嬢。  酷い言い方を使ってしまうなら、ルークたちは、妾腹の子だ。 「あなたが俺に、読み書きを教えてくれた。礼儀作法だって教えてくれた。旦那さまは優しいお方ですけど、働けない奴を置いておくほど甘くない。だから、あなたがいなかったら、今の俺はいない」  僕はぎゅっと目を瞑って、「そうかな」と呟いた。彼にそんなことを言わせてしまって、不甲斐ない。  ルークはてきぱき服を着せながら、「そうですとも」と頷いた。 「あなたは自己評価が低い。もっと自分の価値を認めてくれないと、他の人たちも困っちゃいますよ」  ん、と頷く。いまいち、ピンと来てはいないんだけど。 「明日から、もうちょっと、考えてみる」 「気楽にしてくださいね」  困ったように笑って、ルークは僕を解放した。  廊下へ出ると、お父さまとお母さまが待ち構えていた。驚く僕をよそに、二人は「エリス」と僕を抱きしめる。  お父さまは髭を僕の頬へこすりつけながら、「お前も大人になったんだな」としみじみ呟いた。  その言葉は、確実に、ヒートを迎えたことを指している。ざわりと背中が粟立った。お母さまも「ええ」と頷いて、僕の背中をさする。 「エリスちゃん、これからは一層気をつけなさい。身の振り方に注意して、慎ましくしなければならないのよ。特に、アルファの前では、ね」  ああ、そういうことか。僕は諦めて、目を閉じる。 「……はい。分かっています」 「お前の婚姻相手も考えなくてはならないな」  お父さまが唸る。だけど、ちょっとだけ嬉しそうだった。 「エリスが、お嫁に行く日が来るのか。お父さまは寂しいが、その日が楽しみだ」 「ええ、私もそうですわ。エリスちゃん。私たちのように、幸せになってね」 「ましてや、お前はオメガなのだ。たくさん、アルファの旦那様に、愛されなさい」  二人が僕のことを愛しているのは、分かっている。間違いなく、僕たちは愛情たっぷりの、幸せな一家だ。  でも僕は、その愛し方が、嫌だ。  まるで犬や猫をかわいがって、配偶して、より優れた血統を残すみたいに、僕のことを語るから。 「はい、心得ております」  胸の前で指を組んで、祈る。  はやく学校に行きたい。ジェラルドに会って、一緒にまた、図書館で勉強したい。  散々甘えて、醜態を晒してしまったから、怒っているかもしれない。そしたら謝って、また一緒に勉強したいって頼もう。  ジェラルドに会いたい。  現実逃避する僕を置いて、お父さまとお母さまは、彼らの仕事に戻っていった。  僕はこれからを考えたくなくて、部屋に戻った。  教科書を読み込んでいる間は、何も考えずに済んで、いいな。

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