27 / 32

27 一件落着

「エリス! 大丈夫、か……貴様ァ!」 「リチャードさま、お待ちください!」  お兄さまが、珍しく怒鳴った。次いで、ルークも飛び込んでくる。僕はむっとして、そっぽを向いた。この二人が、僕とジェラルドを引きはがそうとすることは、想像に難くない。  案の定お兄さまは、僕をジェラルドからはがそうとする。負けじと引っ付くと、ジェラルドが、僕を引きはがしにかかった。裏切り者め。 「ほら、お迎えが来たぞ。後は家に帰って休め」 「え、やだ。ジェラルドも一緒に来るんだ」  リチャードお兄さまが「エリス、ダメだよ」と、僕の脇の下に手を突っ込んだ。そのまま、猫の子みたいに持ち上げられる。 「やぁ! ジェラルドと一緒にいる!」  気持ちがぐずついて、子どもみたいな癇癪を起こしてしまう。だけど逆らえずに、抱きかかえられてしまった。機嫌は最悪。あやすみたいに背中を叩かれる。  ぶすくれながら、「しかたないですね」と呟いた。お兄さまの肩にしがみついて、顔を伏せる。  ジェラルドの「すみませんでした」という声が、小さく聞こえた。 「エリスを、守れませんでした」 「……いいや。きみは、守ったよ」  お兄さまの、優しい声。それは、ジェラルドに向けられたものだった。 「またうちへ遊びに来なさい。……いつでもいい。事前の連絡がなくても、私は、きみを歓迎するよ」  なんだかよく分からないけど、話がついたみたいだ。  お兄さまは僕を抱きかかえて、さらに荷物も持った。隣でルークが「俺が持ちます」と言っているけれど、聞かない。 「きみの荷物は、私が持ちたいんだ」  お兄さまは、何を言っているんだろうか。ルークは冷えきった声で、「使用人の荷物を持とうとする主人が、どこにいますか」と言う。 「お荷物、お持ちします」  ひったくるように、お兄さまから荷物を奪った。だけどその耳は、赤い。  この二人、ひょっとして。浮かびかけた考えを、いやいやと否定する。  だってお兄さまとルークは、いとこ同士なんだよ。身分差も、あるし。まあ、たしかに、法律上の婚姻は可能なはずだけど……。  そんなことを考えている間に、どっと眠気がやってきた。目を閉じて、お兄さまの腕に、全体重をかける。 「エリス、寝そうだ」 「ええ。……よかった。エリスさま、なんだか、嬉しそうですね」  二人の声が、ぼんやり揺れる意識に届いた。 「あの子、エリスさまのことが……」 「まあ、見どころはあるだろう。アルファだというから、あるいは、そうなれるかもしれない」 「そうなるといいですね」 「私も、きみとそうなりたいんだが」 「ずっと断っているでしょう……」  その声が楽しそうだったから、僕はすっかり安心して、意識を手放した。  目を覚ますと、寝室のベッドへ寝かされていた。お屋敷に戻ってきたみたいだ。部屋には、誰もいない。  とりあえず、人を呼ぼう。呼び出しベルを鳴らすと、真っ先に飛び込んできたのは、お父さまとお母さまだった。 「エリス、無事でよかった」  お父さまは涙交じりの声で言う。お母さまも目元を拭いながら、僕の手を握った。 「怖かったでしょう、エリスちゃん。私たちも、あの本性を見抜けなくて、ごめんなさいね」 「エネメラ家との取引は停止だ。一家そろって、路頭に迷ってしまうように私が手を回す。あの馬鹿息子も、闇へと葬り去ってやろう」  何やら、お父さまは息まいている。僕は慌てて身体を起こして、「そんなこと、しないでください」と彼の顔を見た。  納得できない、という顔で、お父さまは僕を凝視する。 「お前に、あれだけひどいことをした相手だぞ。こういうことには、報復しなければならないのだ。そうでなければ、我々の面子も潰れる」 「そうよ。エリスちゃん。優しいあなたにはつらいことでしょうけれど、他にも示しがつかないわ」  僕は俯いて、唇を噛んだ。  二人の言うことも、分かる。エネメラ先輩がしたのは、相当にひどいことだ。ここで僕が彼を許したら、他の人たちが同じ被害を受けたとき、申し出にくくなる。ましてや僕は、曲がりなりにも、高貴な身分なんだ。僕の自覚はどうであれ、他の人よりも、影響力を持ってしまっている。  だから僕がすべきことは、「彼を許さない」ことなんだろう。 「……はい。分かりました」  だけど、僕は、どうしてもエネメラ先輩を憎み切れない。同情してしまうんだ。  彼はきっと、周りの期待に応えられないことが、つらかったんだろう。完璧じゃない自分が、嫌いだったんだろう。  僕と立場は逆だけど、気持ちが分からないでもない。  きっと誰かがあの人を、認めてあげられていたら。彼は、こんなとんでもないことを、しなかっただろうから。  もちろん、彼の行為は、擁護しちゃいけないことだ。あの行為を犯すことを選んだのは、彼自身だから。  僕は彼を決して許してはいけないし、法もまた、彼を許さない。  お父さまとお母さまは、口々に僕を労わった。その気持ちが本物だということは、僕にだって分かる。二人の愛情をたっぷり浴びて、心が少しだけ和らいだ。  だけどだんだんエスカレートしていって、とんでもないことを言いはじめる。 「エリスちゃん。やっぱり、学校は辞めましょう」 「そうだ。あんな危ないところ、行かなくていい。ずっとお家にいればいい」  いやだ。首を思い切り横に振る。お父さまとお母さまは、もどかしそうに僕の手を握り、肩をさすった。 「無理をするな、エリス。ここが一番安全なんだ」 「そうよ。お父さまとお母さまに、気を遣わなくたっていいのよ」 「いいえ。僕が、行きたいんです」  顔を上げた。  はっきり、自分のやりたいことを口に出す。 「僕は人の役に立ちたい。それは、学校に行かなくちゃ、実現できません」  お父さまとお母さまは、「でも」と僕に反対する。僕が、なおも反論しようとした時だ。  扉がノックされる。返事も聞かずに、入ってくる人がいた。リチャードお兄さまだ。  お兄さまは足早にこちらへ歩み寄った。両親の肩に手を置いて、微笑みかける。 「お父さま、お母さま。少し落ち着かれてください」  二人はぱっと顔を上げて、口々に言った。 「おお、リチャード。お前からも言ってやれ。外は危険だと」 「お兄ちゃんとして、エリスちゃんを説得してちょうだい」  お兄さまは、落ち着いた声で「お気持ちは、お察ししますが」と言う。  いつにも増して、余裕のある態度だった。 「家に入れて守るばかりが、エリスを大切にすることではないでしょう」 「まあ。なんてことを言うの、リチャード」  援護射撃だ。僕がお兄さまを見上げると、彼はぱちんとウィンクをした。 「エリスは大丈夫ですよ。学校には、彼を守ってくれるナイトがいるようですしね」 「あら。あらあら」  お母さまが、頬に手を当てる。お父さまは顔を真っ赤にして、何か怒鳴ろうとした。  そこへ、お兄さまがさらに言葉を続ける。 「私も今回の件で、愛する人を大切にしなければならないと実感しました。ですので、お父さまとお母さまへ一応報告をば、と思います」 「あらあらまあまあ!」  お母さまは一気にはしゃぐ。お父さまは渋い顔をして、「嫌な予感がするぞ」と呻いていた。  それをよそに、お母さまは、さらに踏み込んだ。 「それで、リチャード。あなたには、愛する人がいるのね? あなたの年齢的にも、結婚を考えている相手でしょう?」 「ええ」  はにかむお兄さまに、お母さまは、弾んだ声でさらに尋ねる。 「それで、どこのどなたなの?」 「うちの、ルークです」  その瞬間、部屋がしんと静まり返った。  おお。僕は、思わず、拍手を送る。 「知りませんでした。おめでとうございます。もうルークにプロポーズしたんですか?」 「いや、まだだ。外堀から埋めようかと思ってね」  怖いなぁ。ぼんやり眺める僕を置いて、お父さまとお母さまはお兄さまへ詰め寄った。一気に部屋がやかましくなる。  お父さまは断固反対。お母さまはちょっとだけ浮ついてる。でもこれくらいの反発だったら、お兄さまは大丈夫だろう。  本人たちは大変だろうけど、こうなったお兄さまの執念深さは、ものすごい。きっと両親はあの手この手で、お兄さまに丸められるんだろう。  あとはルークの気持ち次第だ。でもきっと、あっちも満更じゃないんだろうな。  だって、本当に心の距離を保っている相手だったら、ルークはあんなに雑な接し方をしない。拒絶しているのは分かるけど、ほだされるのも時間の問題かも。  僕はあくびをして、ベッドへ潜り込んだ。そのまま、家族喧嘩を聞きながら、眠りに落ちた。

ともだちにシェアしよう!