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28 告白

 あれから、しばらく。  結局、僕は学校を、ちょっと長めにお休みすることになった。  あんな事件が起こってしまった以上、いろいろと片を付けなければいけないことがある。  エネメラ先輩は、学校を退学になった。我が家とエネメラ家の事業提携は、白紙になった。  当主夫妻が謝罪に来たけど、僕は会わないことにした。会ったら、許してしまいそうだったから。  結論から言えば、エネメラ家が路頭に迷うことはない、と思う。あちらも侯爵家で、それなりの資産がある。我が家との事業がダメになったからといって、今すぐどうこうなる話じゃない。  ただ、エネメラ先輩は、あの家を勘当されることになったらしい。あの家は、彼の従兄弟が継ぐことになるんだとか。しばらく社交界は、この醜聞の噂で持ち切りだろう。  その渦中の人となってしまったのは、僕もそうなんだけど。  結局、学校へ行けるようになったのは、期末試験が近づいてからだった。  久しぶりにクラスの出入り口を開ける。みんなの視線が、びっしりと僕へ突き刺さった。  その中で、たった一人を探す。 「エリス」  ジェラルドだ。僕は視線を掻き分けて、ジェラルドの隣の席へと向かった。  足取りがはずんでいるのが、自分でもよく分かる。 「おはよう、ジェラルド」 「ああ。おはよ」  そして、ぷいっとそっぽを向かれる。だけどそれは、照れ隠しなんだろう。  椅子へ座って、荷物を置いた。ジェラルドの方へ身体を傾けて、ひそひそと耳打ちをする。 「ねえ、放課後さ」 「おっ、おお」  一瞬、彼の肩がびくりと跳ねる。おかしくて、その肩に手を置いた。そのままちょっと重心を預けて、身体を伸ばす。  もっと耳元へ、口を近づけた。笑い混じりに囁くのが、止められない。 「図書室へ行く前に、裏庭に行こうよ。話したいことがあるんだ……」  ジェラルドは、壊れた人形みたいに頷いた。  そして一日中、まるで使い物にならなかった。  数学の授業。ジェラルドはいつも一番に解答を作るのに、僕に先を越された。  その後も先生にあてられて、しどろもどろになった。僕が隣で助け船を出してなんとかなった。  こんなジェラルド、見たことない。かわいいな。  にこにこしながら見つめると、「覚えてろよ」と毒づかれた。  放課後。ジェラルドは手早く荷物をまとめている。  いよいよだ。緊張している僕は、なぜかいつもよりも、ゆっくり支度したくなった。  丁寧に荷物を詰めていくと、目の前に、大きな掌が差し出された。顔を上げると、ジェラルドが、口をへの字にして立っている。  出会ったばかりの頃に比べて、ずいぶん、表情が豊かになった。 「早くしろ。行くんだろ」  ほら、と掌が揺れる。  僕は嬉しくて、すっかりおかしくなってしまった。 「うん。行こう」  そして、半端に荷物が詰まったかばんを持って、その手を取った。  ジェラルドと、手と手を取り合って、教室を飛び出す。周りのどよめきも、冷やかしも、まるで気にならなかった。  廊下を、走る。ジェラルドは手加減してくれているけど、僕は全速力じゃないと着いていけなかった。 「はひ、ひひひ」  でも、楽しい。昇降口を飛び出して、裏庭まで走り抜ける。  ジェラルドは、木の下で、僕の手を離した。  息切れして弾む背中を、ジェラルドが撫でてくれた。それから夏の日差しから守るみたいに、木陰へ立たせる。見下ろす瞳の熱っぽさが、僕の胸を、じんと痺れさせた。  薄い唇が引き結ばれて、ゆるむ。ちらりと舌で上唇を舐めて、彼は言った。 「エリス。好きだ」  あっ、と声が漏れた。僕が先に言いたかったのに。  でもそんなことお構いなしに、ジェラルドは僕の両肩に手を置く。  そんなの、ずるい。絶対、ときめいてしまうから。  ジェラルドは、さらに続ける。 「俺は伯爵家を継ぐ。お前にとってふさわしい人に、なる」  雷みたいな衝撃が落ちた。ジェラルドは、僕にとってふさわしい人に、なりたいらしい。  そんなの……うれしすぎる。どうにかなってしまいそうだ。  両想いって、こんなに、いいものなんだな。 「そ、それは、僕の台詞っていうか」  照れ臭くてもじもじしていると、「そうか?」と、ジェラルドが低く笑った。  いちいちかっこいいな。  そしてそういうことなら、僕から言い出してもいいだろう。ぽうっとしながら、彼を見上げた。 「ねえ、なら、今すぐ婚約しようよ……」 「はぁ!?」  ジェラルドが、素っ頓狂な声を上げて驚く。僕はむっと顔をしかめて、「そういうことだろ」と拳を振り上げた。 「僕の持つ、アルファの伴侶としての資産価値くらい、自分でも分かってる。先に押さえておかないと、泣くのはきみだぞ!」 「自分を不動産みたいに言うな! だいたいそうなっても、お前を奪いに行くに決まってんだろ!」  すごく嬉しいことを言われたけれど、なおさらタチが悪い。  僕はときめきを抑えつつ、「きみねぇ」と睨み上げた。 「貴族社会で生きていくなら、もうちょっとずるくなった方がいいよ。みんな顔見知りで、だいたいの生活が筒抜けで、陰湿なんだ」 「いや、うん。そういう話か……?」  ジェラルドは眉間のしわを揉んでいる。そうだよ、と、僕は意気込んだ。 「だから、今から、僕に手をつけておいた方がいいと思うんだ」 「お前は何を言っているんだ?」  信じられないものを見る目で、ジェラルドが僕を見る。  でも、ジェラルドにだって、ちょっと責任があると思うんだけど。 「キスしよ。で、ぎゅーってしよ」  前したあれがすごく気持ちよくて、忘れられない。上目遣いにおねだりすると、「お前さぁ」と、ジェラルドは歯ぎしりをする。 「かわいい顔しておねだりしたら、なんでも願いが叶うと思ってんだろ……」 「え? ジェラルド、叶えてくれないの?」  ちょっと口調が荒っぽくて、どきどきする。彼の手に指を絡めて、腕をつたって抱きしめた。ジェラルドの身体が、強張る。スパイスみたいな、甘くて重たいかおりが、僕の胸をいっぱいにした。  世界で一番安心できて、気持ちいい場所。 「ね。しよ……?」  ジェラルドは散々うなって、僕の頭を撫でた。耳を、彼の指がなぞる。くぐもった声をあげると、「お前って奴はよ」と毒づいた。 「調子に乗りすぎだ。いつか、取り返しのつかない目に遭うぞ」 「うん。だから、ジェラルドがして」  おねがい。そうねだる自分の声は、お兄さまや、両親や、ルークにしてきたどれとも違った。 「ジェラルドと、取り返しがつかないようになりたい」  顎に、手が触れた。僕はわななく唇を、うっすら開ける。  ちらり、と舌を出した。  ジェラルドの顔が近づく。香りが濃くなる。  唇が、合わさった。そのやわらかさに、一瞬意識が飛ぶ。  あたたかい。体温が近づいて、今、ひとつになっている。 「ん……」  もっと。舌を伸ばそうとすると、ジェラルドは、呆気なく離れてしまった。  物足りなくて、舌なめずりをする。恨めし気に睨むと、彼はわめいた。 「そんな深いのできるわけないだろ。お、俺、今日は告白だけのつもりだったんだぞ!」 「僕に告白するってことは、こういうことなんだぞ。覚悟が甘かったね」  ふん、と鼻を鳴らす。ジェラルドは顔を真っ赤にして、「分かった。覚悟しろ」と歯ぎしりした。 「お望み通りにしてやるよ。婚約してみせればいいんだろ! ベロチューだっていくらでもしてやる!」 「ジェラルド。きみの願望を正当化するために、僕のおねだりを使ってはいけない」  人差し指を立てる。これは勝ったな。嬉しくて、笑いが止まらない。  つんと彼を見上げて、宣言した。 「きみが、僕と、結婚したいんだろ。ベロチュー? も、そう」  ダメ押しで、首を傾げる。ジェラルドは顔を真っ赤にして、うめいた。 「かわいかったら、何でも許されると思いやがって。そうだよ!」  最初から、そう言えばよかったのに。僕はけらけら笑いながら、ジェラルドに抱き着いた。彼も逞しい力で、僕の身体を抱きしめ返す。  熱っぽく掠れた吐息が、耳をくすぐった。 「好きだ、エリス。……将来はぜったい、結婚しよう」 「うん!」  そして僕たちはもう一度、キスをした。  たぶん、ベロチュー? ってやつだった。

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