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奉仕型③
「朝、ぶつかってしまった方ですよね」
「覚えててくれたんだ」
「ええ」
「友だちから聞いたんだけど、テストで学年1位なんだね。生徒会にも立候補してるし、すごいね」
「……特に大したことではないです。……両親が、そうしろと言うので」
表情が、僅かに暗くなった──ような、気がした。瞬きをした次の瞬間には先程と変わらない顔だったため、見間違いかもしれない。けれど確かに違和感を覚えたのだ。
──なぜ、この高校に通っているのだろう。ここの偏差値は可もなく不可もなく、まさに平均値という具合だ。彼ならば、県内でトップクラスの学校にも間違いなく行けただろう。
言うべきかどうか、少し悩んで。
「……こんなこと言うと失礼かもだけど、もっと偏差値高い高校狙えたんじゃない……? 二階堂くんなら絶対合格してた気がして……」
目が、僅かに泳いだ。薄い唇が躊躇うように開かれる。
「それは、教育方針と言いますか。高校までは家から徒歩で通える範囲にするように言われたので。大学は、……有名な、偏差値の高いところに入れるよう努力しなくてはいけないんですが」
今のままじゃ、駄目なんです。
絞り出すように発した声。自分に言い聞かせるようだった。眉根は寄り、拳は固く握りしめられている。あまりにも──なんだか、事を急ぎすぎているのではないか。
「今のまま、って……まだ、一年生なのに……」
「まだだと思っていたらすぐに受験になります。今頑張らないと、結果は出ない。……父と母が毎日そう教えてくれるので」
わりと耳が痛い話だ。しかし──毎日と言ったか。彼の両親はなんとも、教育熱心な人たちらしい。……自分ならば少々、窮屈さを感じてしまうほど。
「……そう、だねえ」
去年の自分は何をしていただろう。部活に入っているわけでもない俺は、適当に友だちと駄弁って、翔とたまにファミレスに行ったりゲームセンターで遊んだりして。彼のように勉強に特段打ち込むことも無かった。……本当に、見習うことがたくさんある。
せいぜい自分が彼にできるのは──
「二階堂くん、今日一緒に帰らない?」
息の抜き方を教えることくらいだ。
***
帰り道は同じ方向だったようだ。そうでなくとも、俺が彼に合わせるし、帰りは送っていくから良いのだが。
リュックを背負い直して、二階堂くんの方へ向き直る。
「和菓子好き?」
「……? え、ええ。人並みには好きです」
「よーし、じゃあ俺のオススメの和菓子屋さんに行こう!」
困惑したような瞳が、レンズ越しに俺をじっと見つめた。突然何を言っているんだこの人は、と思っているのだろうか。
確かに、突飛だったかもしれない。俺も、他の人と接するよりもなんだか積極的になっているのが自分でもよくわかった。
だけど、そうしなくてはいけない気がした。
「いつも頑張ってそうだから。たまには自分にご褒美あげないと疲れちゃうよ」
言えば、彼は僅かに目を丸くする。だってなんだか、彼の姿は今にも破裂しそうな風船のように思えてしまったのだ。頑張って膨らみすぎて、そのうちにぱん、と壊れてしまうような。
「……僕は、頑張っているように見えますか?」
「うん。俺なんかよりよっぽどね。見てて心配になっちゃうくらいには」
「……もし……」
茜に照らされながら、彼が俯く。そうして息を小さく吸うと、俺を真っ直ぐに見つめて薄い唇を開いたのだった。
「先輩が、良ければ。お時間があるときは、また教えますよ」
「え、いいの!? ってかむしろ、二階堂くんの邪魔にならない?」
「いえ──大丈夫です。簡単なものしかわからず、申し訳ありませんが」
「むしろお願いします!!」
優しい子だ。俺も相応のお返しをしないと申し訳ない。
暖かい心遣いに胸がじんわりとするのを感じながら、頬を緩ませた。
談笑していると、道のりは存外あっという間で。気がつけば蘭月堂はすぐそこだった。
ここだよ、と指をさす。
「知ってる?」
「名前は聞いたことがありますけど、入ったことはないですね」
お気に召すといいのだけれど。
淡い期待を胸に、足を踏み入れる。いつも通りの甘い匂い。いらっしゃいませ、と聞き慣れた声がした。食事スペースから聞こえたそれは──文月くんのものだ。どうやらテーブルを拭いていたらしい。
重い前髪越しでも、瞳に浮かぶ彼の驚きが伝わってくる。
「……! 田山くん! と……」
視線が後ろに向けられる。二階堂くんが小さく頭を下げた。
「一年の二階堂です。よろしくお願いします」
「あ……ふ、文月、です」
ぎこちなく、よろしくお願いします、と言葉を続ける。なんだか微笑ましくて笑ってしまう。
「ふづき、文月……ああ、なるほど。だから蘭月堂なんですね」
納得したように頷いた。だから、というのはどういうことだろう。首を傾げていると、二階堂くんはああ、と声を発してから説明してくれた。
「文月も蘭月も、どちらも7月の古い言い方なんです。苗字にちなんでつけたのかな、と」
「おお……ぜんっぜん気づかなかった……」
賢い。
「……仲、いいんだね」
「はは、今日知り合ったばかりだけど」
そう見えるのは、少し嬉しい。文月くんの視線はなんだか物言いたげなように見えたが──「廉、ちょっと来い!」と、お父さんらしき人に呼ばれ。挨拶もそこそこに店の奥へと引っ込んでしまう。
小さく手を振れば、微笑んで控えめに振り返してくれた。邪魔になっていなければいいのだが。
ショーケースの中をじっと見つめている後輩の後ろ姿に声をかける。
「なんでも好きなもの言って。奢るから」
「え──そんな、ご馳走になるわけには……」
遠慮する彼に、追い討ちのように言葉を続けた。
「俺だって一応先輩なんだよ? 先輩面くらいさせてよ」
そう言えば、面食らったように数秒黙り──
「っふ、……はい。わかりました」
口元を押え、眉を下げて笑う。納得してくれたようだ。
「……じゃあ、このいちご大福を」
「おっけー」
可愛らしいチョイスだった。俺もいちご大福は好きだ。今度はそれにしようかな──と考えつつ、季節の花の練り切りを選ぶ。
そうしていつも通り女性の店員さんに案内されるまま、飲食スペースへと入る。彼はなんだか落ち着かないようにきょろ、と辺りを見回していた。
「……買い食いなんて、初めてです」
「お。初めての買い食いの気分はどう?」
どうやら俺は悪い先輩になってしまったのかもしれない。身を乗り出して聞けば、少しだけ逡巡するような素振りを見せて。
「悪いことをしているようで、少しだけ後ろめたいですけど……」
大福を、じっと見つめ。頬張って、咀嚼し嚥下する。口の端が、僅かに緩んだ。
「……でも、楽しいです」
大福の白い粉を口の端につけたまま、ぽつりと呟く。その後に、甘い、と続けた。ああ、よかった。
「今度はゲーセンに行こうか。テスト終わったあとでね」
二階堂くんは頑張っているから。少しでも、息抜きの方法を教えたい。今日知り合ったばかりでも、その勤勉さや彼が努力家だということは伝わってきた。
彼の勉強の妨げにならない程度に遊びたい。断れるだろうかとほんの少しの不安を混じえて誘ってみれば。
「……はい」
頷いてくれる。もうひとくち菓子を頬張ると、ゆるりと口角を上げた。
「……ありがとうございます、先輩」
彼とは初対面だが──なんだか、ずっと仲良くなれたような気がした。温かい気持ちに包まれながら、俺たちは談笑を続けたのだった。
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