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奉仕型②

 放課後。慣れない廊下を、きょろきょろしながら歩いていく。この時間は生徒もあまり通らないらしく、自分の足音だけが静かなそこに響いた。  図書室、図書室──あった。年季の入った扉の上、これまた年季の入ったプレートには、図書室の文字が掠れてはいるが確かに書かれている。  引き戸を、音が出ないように慎重に引いた。  目に入る、圧倒されそうなほどたくさんの本。それと、いくつか置かれた、何人も座れるテーブル。そこにはぽつんとひとりの生徒が隅に座っていた。あれは──二階堂くんだ。彼も勉強をしに来たらしく、分厚い参考書のようなものに視線を落としながらノートにペンを走らせている。  見回してみたが、どうやら先客は彼だけのようだ。図書館には初めて来たが、利用者はあまりいないらしい。静かな場所で、落ち着けるから自分は結構好きかもしれない。  いい雰囲気だ。よし──珍しく、学生の本分に力を入れてやる!  椅子に腰を下ろし、小さく意気込んだ。  そう心の中で宣言したのが30分ほど前だったか。今は──見事に頭を抱えていた。  ……もうわからない。序盤で躓いてしまった。  そもそも数学なんて存在している意味がわからないんだよ。この世に無くても困らないだろうが。  ……いや、困るのはわかっているし、これが戯言なのも理解している。ただ現実逃避したいだけだ。数学の問題に向き合わなくてはいけない辛い現実から。  辛い。なにもわからない。教科書を見てもなにを応用してなんでこんな答えになるのかわからない。むしろ自分が何をわかっていないのかすらわからない。  突っ伏して、恨み言を必死に抑えていたときだった。 「──あの。わからないなら、教えましょうか」  凛とした声が、頭上から降り注ぐ。聞き覚えのあるそれは、同じく勉強をしていた二階堂くんのものだ。見上げれば、凪いだ表情のまま彼が俺を見下ろす。 「二階堂くん、だよね。一年生の」 「はい」 「俺、二年なんだけど……ここわかる?」  教えてくれる気持ちはかなり有難いが、習っていない範囲では厳しいだろう。彼は問題集に目を落として、考え込むような素振りを見せてから。 「ええ。このあたりなら大丈夫です。数学なら多少先の分野でもできますので」  言葉を失う。すごすぎるだろ。 「それじゃ……お願いします」  そうして──放課後の図書室で。年下の先生による簡易的な授業が始まったのだった。  丁寧に、わかりやすく。数学教師ですら苦い顔をするような俺の理解力にも、彼はめげることなく。どころか、苦戦する様子も見せず。手厚くきめ細やかなサポートを受け──俺は、とうとう問題を解けたのだった。  呆然とする。俺にとっては偉業を達成したレベルだ。 「……すご。解けた……」 「理屈さえわかれば簡単ですよ。まるまる全部暗記する必要もありませんし」 「ありがとう……ほんとに助かった……」  理屈は今回で多少、……ほんの少し理解はできた、はずだ。次からは俺ひとりでも前よりは解けるだろう。あまり自信はないけれど。  それにしても。わかりやすく教えるなんて俺には到底できない。しかも自分のまだ習っていない範囲を。どこまで優秀なのだろうか。  はた、と気づく。そういえば自己紹介をしていなかった。 「……あ、俺は田山直也。よろしくね」 「田山先輩、ですね。よろしくお願いします」  後輩との関わりは無かったため、呼ばれ慣れないそれにむず痒さを覚える。だけど、少し嬉しい。  表情があまり変わらず、飄々とした態度のため他人と関わるのがあまり好きではないのかとも思ったが──どうやらそうでもないようだ。 「……なんで声かけてくれたの?」 「貴方が、問題集に向かって百面相してたので。さすがに気になりますよ」  嘘だろ。傍から見ていたらそんなに騒がしかったのか。音は出ていないが、彼の勉強を妨げていたことは間違いない。 「うわあ、それは……邪魔してごめん」 「別に、気にしてないです」  ふっと、口元が緩む。大人びて見えるが、笑うと存外可愛らしい。

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