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第1話
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「舩津 センセイ。見事なオペだったよ」
「副院長……恐縮です」
手術終わりに廊下で副院長に話しかけられる。交通事故による急な外科手術だったのだが、患者はベータだと言っていたにも関わらず、開腹するとオメガだった。
オメガというのは男女の性別のほかに存在する、生物学的な第二の性だ。通称バース性と呼ばれ、オメガの他に、アルファとベータが存在する。その中でもオメガは子宮を所有し、妊娠することができる。女性なら、まだ比較的受け入れやすいが、患者はまだ十代の男の子だった。自分のもう一つの性を受け入れるのが難しかったのかもしれない。
だから彼がベータ、いわゆるごく普通の性別だと偽ったことは理解できる。
「最近は薬の発達で、男性オメガの男根は退化しない。無精子だが、普通に機能もする……その分、ベータと見分けがつかず、緊急のときは判断が遅れがちだ……泌尿器科のキミが当直で良かった。男性オメガの手術は難しいからね」
「……子宮が傷ついていたなら、治すより取って欲しかったと言われたこともありますけどね……今日の彼も、無事なことを喜んでくれると嬉しいんですが……」
自分が子どもを産める体だと分かって、喜ぶ男性オメガはそういない。実際、男性オメガの子宮摘出手術も多い。そう自虐的に言うと、副院長が「まあまあ、舩津センセイ……」と、励ますつもりなのか、大きく肩を叩かれた。
「キミは優秀だ。さすがアル……」
「副院長」
つい語気が強くなってしまった。それは院内でも、限られたものしか知らない情報だ。
「……すまない。キミはベータだとは思えないほど優秀だと、言いたかったんだ」
結局含みを持たせた言い方をする副院長に、少し苛立つ。
「……俺の専門は泌尿器科です。産婦人科に行けなくて、困っている男性オメガが来ることが多い。それ がバレて、警戒されたり、怖がらせたくないんです。……くれぐれも、お願いします」
オメガはアルファを怖がる。それは、俺たちアルファが、オメガの発情期のフェロモンに逆らえず、ときにレイプ事件にまで発展するという社会問題になっているからだ。いくらアルファが、優秀な遺伝子を持っているからといっても、許されることではない。頭を下げる俺に、副院長が続ける。
「ああ、それはもちろん、キミのおかげで泌尿器科外来はかなりの業績だ。だが……一生続けるつもりかい?」
馴れ馴れしく肩に手を置いたまま、やけに真面目な顔でこちらを見る。
「もちろんですよ」
「それだとキミは……」
「決めたことです」
真っ直ぐに彼を見ると、副院長は大きくため息をついて、やれやれとうなづく。
「わかった。だが、検査は定期的に受けているね? キミの遺伝子が潰 えるのはもったいない……」
「……おつかれさまです」
頭を下げ、俺は総合病院から出て、数百メートル先にある薬局へ向かう。
あまり楽しい会話ではなかったなと思うと、ふいに、家に帰る前に、どうしても彼の顔が見たくなった。
***
「圭悟 くんっ!」
『にこにこ薬局』と書かれた木造りのアットホームな扉を開けると、小鳥遊 カヲルが笑顔で出迎えてくれる。まだ開店したばかりで、患者さんもおらず、ゆったりとした雰囲気が流れている。
「疲れてるね。当直明け?」
カヲルが仕事の手を止め、奥から出てきてくれた。金色の髪に、端正な顔立ち。そんな彼には、ほんとに白衣がよく似合う。
「ああ……すまない。仕事中に……どうしても、お前の顔が見たくなって──ッ」
片手でぐっと頭を掴まれて、下から押し付けるようにキスされた。薬局の奥から女性薬剤師たちの「きゃー」という声があがる。
「カヲルっ」
慌てる俺に、彼がウィンクをする。
「いいでしょ。これぐらい。バレてるし」
彼の両親はフランス人のハーフらしく、見た目もフランス人形のように愛らしい。だからというわけでもないだろうが、彼は性に奔放なところがあるようだ。
「今日……仕事終わってから家行っていい? 明日、祝日だし」
「ああ。待ってる」
「ありがとう、圭悟くん」
投げキッスをして、去り際に俺のお尻を撫でていくカヲルの背中をグーで殴る。
「いったっ!」
「じゃあな。カヲル」
そう言うと、背中をさすりながら、カヲルが手を振る。俺もそれに応えながら、木造りの扉をくぐった。
***
「ぁっ──! カヲ……んっ」
先に夕飯を、という俺を、部屋に入ってきてそうそう、カヲルがベッドに押し倒す。
「先週、圭悟くん、学会の準備と発表とかで全然会えなかったから、待てない」
「あっ」
慣れた手つきで、カヲルがジャージの中に手を滑り込ませてくる。しっとりとした手のひらが肌に吸いついて、胸をこねまわされると息があがってきてしまう。さらに首筋や耳の裏を舐められると、ぞくぞくして、無意識に腰が動いてしまった。
「ふ……したくなってきた?」
「っ……」
耳たぶを甘噛みされながら揶揄 うように言われて、顔が熱くなる。それでも正直に小さく頷くと、カヲルが微笑んで、ローションでぬるぬるにした指を、俺の後ろに入れる。
「あっ……あっ、んっ!」
にゅるにゅるとローションを内側に塗り込めるように指を動かされて、声が上擦 ってしまう。
「っ……カヲル……いいっ、もう──」
そう言って、キスをして、彼のベルトに手をかけると、カヲルが興奮したように頬を上気させて、低くささやく。
「めずらしいね。キミが積極的なの……そそられる」
「ん、ンンっ」
舌を絡めてキスをしながら、俺はカヲルの下着を脱がし、すでに硬くなっている彼自身を取り出して、誘うように扱く。それに呼応するように、俺の後ろに入れている指を、カヲルが激しくかき回して、奥を突く。
「アッ……カヲ…あ、んっ、も──はや、く、ああっ!」
言い終わらないうちに彼に貫かれる。頭から爪先まで一気に快感が流れて、あやうくイきそうになる。
「は……すご……圭悟くん、今日、ほんとにどうしたの? 何かあった?」
「──っ……」
言われて、今朝、副院長に言われたことが頭をよぎる。
『検査は、定期的にね──』
「っ……あっ、別に──俺が、オメガだったら良かったなって──」
「え……圭悟くん……子ども、欲しいの?」
カヲルが驚いて動きを止める。ああ、なんとなく気づいてはいたが、カヲル、お前は……
「子どもは……嫌か?」
「……苦手なだけだよ。圭悟くん」
めずらしく渋い顔をしてカヲルが視線をそらす。そして、ため息混じりに続ける。
「どっちみち、ベータ同士のボクたちじゃ無理でしょ。第三者に卵子を提供してもらって、代理出産でもお願いするかい?」
医者のキミと、薬剤師のボクなら、お金はいくらでもあるからね、と忘れずにお得意の皮肉も付け加える。そんな彼を見て、ベッドで言うことではなかったなと俺は反省する。
「悪かった。カヲル……だが、もう一つ理由がある」
「何?」
訝 しむ彼の首に腕をまわして、耳元でささやく。
「オメガはとても気持ちが良いらしい。どうせお前に突っ込まれるなら、オメガだったらもっと良かったなと思ったんだ」
「それは……つまり──物足りないって言いたいのかな」
ぺろっと赤い舌を出して、興奮したカヲルが、激しく腰を突き入れてくる。
「んあっ! あ、あ! カヲルっ」
物足りないなんてとんでもない──カヲルは可愛い顔をしているのに、なぜか男の俺でもどきりとするくらい身体を鍛えていて、初めてセックスするとき、それを見せつけられた俺は、あっさり下を選んだ。アルファがプライド高いなんて誰が言ったんだ。
「アッ、くんっ──あ、あ、あっもう、もたなっ」
上体を起こしたカヲルに腰を掴まれ、奥までがつがつと揺さぶられて、俺は涙を流す。
「ふふ…足りそう?」
「んっ、お、まえはっ? おまえも……気持ちよくっ──」
「んっ……こんなに、興奮したことないよ。圭悟くん。ほんとはもっと、めちゃくちゃにしたい」
「あ──ああっ」
ぐっと再奥に埋め込まれて、イッてしまう。おそらくカヲルはもっとやりたいのだろうが、体力のない俺は一回でダウンしてしまう。
「あ……寝ちゃう? ……まあ、いいか」
クスクスと笑いながら、カヲルが俺に寄り添う。
「カヲル……夕飯、食べないとなのに……お前のせいで、眠い……」
「ふふ。ボクのせいなの? いいよ。ちょっと寝て。それから適当に食べよう。キミとまったりするの、好きなんだ……」
後ろから俺を抱きしめて、子どものように頬をすりつけて、甘えてくるカヲルが好きだ。俺はウトウトしながら、彼と付き合うことになった日を思い出す──
***
薬剤師の小鳥遊 カヲルとこういう関係になったのは、ほんの数か月前、偶然だった。その日、俺の担当していた患者が自殺したのだ。俺はその日一日をどう過ごしたのか覚えていない。気づいたら業務は終了していて、俺は病院の近くの公園のベンチに腰掛け、ぼんやり夕日を眺めていた。
「どうされたんですか? そんなに暗い顔をして……泌尿器科の舩津 先生は、カッコよくて面白くて、ちょっと下品なジョークを言うと聞いていたんですけどね」
真っ白い白衣が目に入って、最初は医者だと思った。だが、振り返った顔に見覚えはなく、訝(いぶか)しんでいると、彼が自己紹介をはじめた。
「すみません。ボク、そこの薬局に勤めてる、小鳥遊 カヲルといいます。いつもお電話でお世話になってます」
「ああ……君が〝小鳥遊 さん〟」
「一年くらい経ちますが、お会いするのは、初めてですね」
「そうだな」
医者と薬剤師は電話で話す以外、ほとんど接点がない。だが、電話口でいつも的確に質問に答えてくれる、顔もわからない彼を、俺は気に入っていた。まさか、容姿まで淡麗とは思わず、ついスタイルが良く、中性的な顔立ちに見惚れてしまう。目に入った名札には『主任』と書いてある。おそらく、薬局長になる日も近いだろう。
「電話では世話になってる。ほかの内科で処方された薬との飲み合わせは、君に聞くのが一番早くて助かる。それに、薬局内に仕切りを作ってくれてるんだろう? 人目を気にせず、薬の相談が出来ると、男性オメガの患者さんが喜んでいた。忙しいのに、丁寧にありがとう」
そう言うと、彼は目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。
「はは。嬉しいですね。そんな風に思ってくれていたなんて……隣、座っていいですか?」
「ああ」
端 によけると、カヲルがすっと座って、続ける。
「それで、どうされたんですか?」
ふわりと微笑(ほほえ)まれて、不思議と話したくなった。薬剤師と医者という関係で、普段接点がないのも、話しやすかった理由かもしれない──
「……四月は嫌だ。君も知っているだろう? バース性別検査で、男性オメガの自殺が増える。中学一年で多感な時だ……今日も……病院の帰りに、車に飛び込んで、自殺した──っ 俺が診察したあとだったんだ……」
その臓器が出来上がり、機能し始めるのが大体十二歳前後とされている。従来の血液検査では不十分なことも多く、レントゲンでその臓器があるのかないのか、この時期はズバリ確認しにくる患者が多い。
何かもう少し、気の利いた言葉をかけた方が良かったのかと苦悩する俺に、カヲルはにべもなく言い放った。
「死にたかったんでしょ。本望 ですよ。先生……あなたが気に病むことじゃない」
そう言われて、不謹慎にも変わった男だと興味がわいた。こんなにも、世間体や常識に縛られず、心情を突き放せるのはどうしてなのだろうと──あたたかい笑顔とは裏腹に、彼のその言葉は、冷え固まっているように感じた。
「舩津先生は、ベータとは思えないほど優秀だって聞いています。立ち止まっている場合じゃないでしょう? 泌尿器科の救世主ですから」
「ははっ……大げさ──」
思わず鼻で笑ってしまった俺に、カヲルが大真面目に答える。
「でもないでしょう? 実際、優秀と言われるアルファはオメガのフェロモンに反応してしまう。泌尿器科で働くなら、フェロモンに反応しないよう、アルファは毎日抑制剤を服用しないといけない。結果──」
「副作用でアルファの精子はなくなる」
その話なら、耳にタコができるほど聞いてる。思わず食い気味に言葉をかぶせてしまったが、カヲルは少し目を丸くしただけで、気にせず続ける。
「ええ……優秀なアルファの遺伝子はそれだけで価値がある。まわりも反対するし、そんなリスクを侵してまで泌尿器科を選ぶアルファなんていない……幻扱いですよ。結果、性別が六種類もあって複雑な上、内科、外科の技術の両方が必要な泌尿器科に、優秀な人材が集まりにくい矛盾が生じる」
さすが、内情をよく理解している──俺はその後を引き取って続ける。
「……泌尿器科には初めての発情期がわからず、訳が分からないままそのまま飛び込んでくる患者もいる……医者がアルファなら、抑制剤は必須だ」
「だけど……アルファの抑制剤は、オメガほどの緊急性がない──つまり、副作用のない 〝アルファ専用の薬〟の開発は、現在も後回しになりがち……皮肉ですね」
「…………」
医大を卒業して、泌尿器科で働き始めてもう五年は経つ。定期検査の度に右肩下がりになるグラフを見ては、言いようのない焦燥感に駆られる。だが、俺はこの仕事を続けていきたい──
「……学会や勉強会で話を聞くが、あと十年は最低かかるそうだからな──」
ポツリと、独り言のようにこぼす。十年……俺にその薬は間に合わないだろう。
「ならやっぱり救世主だ──あなたはどんなオペもこなすし、外来のアドバイスも的確だ。患者さんがいつも褒めてますよ」
「……そうか。ありがとう」
俺がアルファだと知らないとは言え、手放しで褒められて、素直に嬉しくなる。だが、自殺されたショックは簡単には拭えそうにない──
「…………」
急に押し黙った俺に話しかけるでもなく、カヲルはその沈黙を心地よく感じ、楽しんですらいるようだ。夕焼けが幾度か表情を変えていく中で、俺は重い口をひらく。
「──自殺されたのは……実は二度目なんだ。最初は医学生時代の同期で、男のオメガだった。俺の知らないところで、いじめがあって、俺はまったく気づかなくて──直前まで俺と笑って、話していたのに──」
また、きっと夢に見る。俺と笑って話した後、屋上の手摺 を乗り越えて、落ちていく彼の夢を──
「────っ」
祈るように手をぎゅっと握り込んで、どこまでも項垂 れそうな頭を支える。ふと、カヲルの手のひらが、俺の手に重なる。
「今日、お仕事終わりですよね。一人でいたくないなら、一緒に付き合いますよ」
朝まで──と、つやっぽく彼が微笑んだ。
「──っ……小鳥遊 さ……」
「舩津 先生……そう いう 意味ですよ?」
重ねられた手にぎゅっと力が込められ、見つめられる。
「…………」
答える代わりに彼のキスを受け止める。
俺は仕事一本でやってきて、ちゃんと人に言えるような経験がない──駆け引きなんてしたこともないし、誘われても仕事を理由に断ることがほとんどだった。
だが、このときなぜか俺は、惹 きこまれるように彼についていった。
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