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第8話
「金曜日に飲み会するけど、お前ら参加するよな」
昼下がりの大学食堂。
人もまばらで、食器のぶつかる音が遠く響く中。昼食をとっていた千春と仙太郎は、浅薄 な声をかけてきた下前 を辟易した顔で見上げた。
「ったくお前は。いきなり来て何を言うかと思ったら、また合コンか。ほんと飽きないなぁ。てか、何で参加って決めつけるんだ。なあ千春」
あんぱんを頬張る仙太郎が、呆れた顔で千春へ同意を求めてきた。
「何を言っている。俺が企画する飲み会は、出会い率がいいって評判なんだぞ。なのにお前らは全然参加しない。だ・か・ら、だ」
「それって合コンだろ、だから参加しないの」
呆れ顔で千春が言うと、人差し指を仙太郎と千春の眼前に持ってきた下前が、それを振り子のように動かす。
チッチッチと、古いドラマのような仕草と口調で「それは違うぜ」と、ほくそ笑んできた。
五人兄弟の末っ子で、長男とひと回りも離れていると、受ける影響も年代物になってしまうのか。
再放送の熱血刑事ドラマにやたら詳しいし、下前の口ずさむ歌やアニメの話には、いつも疑問符が浮かぶ。
「これは飲み──いや、親睦会だ。合コンなんて軽薄な単語を使うんじゃないよ、千春君。それにこれは世の中の寂しい男女のための活動なんだからさ」
銀縁のフレームをクイっと人差し指で上げると、こぶしを作った右手を上に掲げ、鼻の穴を膨らまして息巻いている。
「おー、そうだったのか。凄い、さすが下前」
ぱちぱちと賞賛の拍手を大袈裟に送っていると、ペチンと後頭部を仙太郎に叩かれた。
「千春、くだらない話に乗っかるな」
あんぱんを嚥下した仙太郎が、下前を下からひと睨みしている。
「失敬な君たちは、飲み会に参加、と」
「だから勝手に参加にするな、俺はバイトのシフト確認してからだ。千春もそうだろ?」
スマホを取り出すと、シフトを確認し、バイトないなぁ……と小さく呟いた。
そんな千春の呟きを肯定と捉えた下前が「二名様参加ー」と、声高々に叫んでいる。
いくら人が少ない時間帯の食堂でも、叫ぶのはやめてほしいと周りの目を気にした。
「おい、俺らまだ返事してな──」
「久々なんだし付き合えよ。ここ最近、お前らはバカやってないだろ? 特に千春。だからたまには弾けたらいいと思ってさ。じゃ、金曜に現地集合な。あ、会費は三千五百円、飲みほ付きー」
捲し立てるように言うと、逃げるように下前が食堂を出て行った。
「あいつ強引に決めやがって。まぁ、下前の言うことも一理あるか。俺もお前も最近、バイトばっかだったもんな。暇だし久々に乗っかてやるか。な、千春」
両腕をテーブルに乗せて、頬杖を付いた千春は、「だね」と微笑んで見せた。
本当は飲み会って気分じゃなかったけれど、せっかくの下前の優しさを受け取っておくことにした。
「──お前な、そんな顔で笑うな。男の俺から見てもヤバいぞ、その可愛さは。高校のときに一目惚れしたって、コンビニ店員に言い寄られたの忘れたのか? 無意識に人を惹きつけてるって自覚を持てよ。ゲイじゃなくても男もありか? みたいな奴らに引っかかったら面倒だぞ」
ふわふわの猫っ毛をわしゃわしゃとかき乱された。
コシがない髪質は、押さえつけらただけでペシャンコになる。
「もー、ぐしゃぐしゃになっただろ。仙太郎の髪みたいに強くないんだから。それに、あのコンビニには一回も行ってない。でも、アリかって思ってる相手ってどう見分けるんだ?」
「それは俺もわかんねー。けど、お前のその、長いフサフサ睫毛や潤んだ眼差しは危険だ。勘違いするやつがいるかもしれない。だから直感で、ヤバいって思ったら速攻逃げろよ」
親友の注意喚起に千春は、考えすぎだよ、とカラカラと笑った。
「お前は……。分かってんのか?」
説教口調で食堂を出ていく仙太郎の背中を追いかけながら、「分かってるよ、お父さん」と千春はにやけながら呟いた。
「誰がお父さんだ」と、文句を言う仙太郎に、
「ほんと、わかってる」と小さな声でこぼした。
仙太郎が過保護な父親のように心配する理由を、千春はちゃんと分かっている。
隣の教室に行く仙太郎と別れ、席に着いた千春は過去の醜態を思い返していた。
──ただひたすら葵留を想い、永遠にそばにいてくれるものだと信じていた、高校一年の未熟な自分。
同じ気持ちじゃなかったと知って、自分勝手な感情をぶつけてしまった。
そのときに見た、悲しげに笑う葵留の顔は今でも忘れない。
額に残った古い傷跡までも焼き付いている。
葵留の気持ちを推し量ることもせず、話も聞かないでその場から逃げた。
それが最後になった現実を受け止められず、千春は葵留のいない学校へ行くことが出来なくなってしまった。
後悔と悲しみと自己嫌悪で食べることも眠ることも出来ず、ベッドに引きこもっていた千春を見かねた仙太郎がある日、強引に家に泊まりに来た。
痩せた千春を前に、仙太郎は目の前で色んな食べ物をうまそうに食べていた。
部屋に鉄板を持ち込んで肉を焼かれたときは、さすがに千春の胃袋は降参した。
肉を口に含むと、悲しくても腹が減ることに涙を流した。
食事のあと、消臭スプレーを手にした仙太郎を見て、また涙が溢れた。
眠れない夜は二人で明け方までゲームをした。
翌日、普通に学校へ行った仙太郎は寝不足で、授業どころじゃなかったかもしれない。
あのときの千春は、仙太郎に叱責や励ましをもらい、徐々に日常を取り戻せた。
男同士の恋愛の末路を知っても、態度が変わらない親友に心を救われた。
切なくて、苦しい高校三年間。
その間、千春は一度も葵留が眠る場所へは行かなかった。
行けなかった……。
あの笑顔と傷痕を思い出すたびに、胸の奥が軋むから。
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