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第7話 清水田学園のキング_千夜の呪い3

◆ 「じゃあ、俺は職員室に寄るな。お前は先に帰っててくれ」  放課後になり、部活動をしていない生徒たちはそのまま寮へと向かっていく。校舎から渡り廊下を通って戻っていく視線の先には、時計塔が茜色の後光を受けていた。 「え、待ってなくていいの? いつも待ってろって言うのに」  普段の光彰であれば、どんなに黎が気後れするような場所へもお供のように連れ回すはずだ。それなのに、今日はなぜか珍しく別行動をするようにと言う。  一般的には普通のことであるこの言動に違和感を覚えるほど、黎はいつも光彰と行動を共にしている。常に同伴している状態が当然のようになっていたからか、突然突き放されたような寂しさを感じたのか、黎はやや落ち着かない様子を見せていた。  体格差が如実に現れ始めた中学生の頃から、光彰は黎をそばに置きたがるようになった。そして次第に、まるで恋人のような距離の近さで接するようになっていった。元々光彰は黎にとても優しかったのだが、次第にその優しさに妙な甘さを孕むようになっていき、今ではまるで宝物でも扱うかのように丁寧に接するようになっていた。  ただし、行動を別にすることだけは決してさせて貰えず、黎が興味を持つことには必ず光彰がついて来るようになっていた。楽しいことに飢えている生徒たちからは、常に溺愛執着系彼氏と小悪魔系彼氏のカップルだと噂をされている。ゲイカップルで寮の部屋も同じとあれば、それは学校生活は楽しいだろうと揶揄されていた。  しかし、光彰自身はそのことを全く意に介さず、むしろ喜んでさえいるようで、いつも黎だけが一人で狼狽えている状態が続いていた。その光彰が、黎に一人で寮に帰れと言う。これが驚かずにいられるだろうか。 「今日はいい。まっすぐ帰れよ。寄り道すんなよ。部屋に着いたらメッセージしろよ」  それでも、いちいち指図をするあたりに変わりはないようだ。敷地内にある寮で生活しているにもかかわらず、寄り道をするなとはどういう事だろう。過保護にもほどがある。 「はいはい。わかりましたよ。じゃあ後でな」  そう言って黎が手を振ると、嬉しそうに光彰は目を細めた。そして、そのまま軽く手を振り返すと、 「ああ。また部屋で」  と優しい声で答えた。  それは黎ですら滅多に見られないような穏やかな表情で、思わずどきりと胸が鳴った。クラスメイト達にとっては青天の霹靂のようなもので、普段の笑顔だけでもざわめく教室に、悲鳴が響くほどの騒ぎとなった。  しかし、それをいい方へと捉えてくれる者だけがいる訳でも無い。小さく聞こえてくる声の中には、心無いものも少なからずあった。 「ねえ、今キングの笑った顔見た? 破壊力凄かったんだけど」 「ねー! すっごいドキドキしたー! かっこよかったねえ」 「心臓止まるかと思ったよ……。でも、キングの笑顔ってどうなの? なんか変な噂があるでしょ? キングが笑うとよく無い事があるとかなんとか。今みたいなのはレアだから、むしろいいことがあるのかな。それとも……」  光彰の見た目だけを気に入っている女子生徒達が楽しげにそう語り合っていると、ニヤニヤと底意地の悪い笑顔を浮かべた生徒が近づいて来た。そしてその話題の中心に割り込むと、もったいぶった口調で驚くべきことを言い始めた。 「キングの機嫌がいいと悪いことが起きるんだろう? じゃあ、温田見が死んだのはキングのせいだったとか?」  そう言った男子生徒に合わせて、その場にいた数名の生徒達が下品な笑い声を響かせた。  光彰を影でキングと読んでいる生徒は、このクラスの生徒ほぼ全員だ。黎と八木以外はみんなそう呼んでいる。もちろん彼らも本人にそう呼びかけることはなく、その言葉は陰口専用だ。ただ、今や光彰本人がそう呼ばれていることを知っているため、隠語としては何の意味もなしていない。 ——言い返しちゃダメなんだよな……。  黎はこういう光彰の陰口を聞くたびに、胸の辺りに重苦しいものが溜まっていくような気分を味わっていた。それを取り去ろうとするかのようにネクタイの結び目に手をかけると、思い切り引っ張ってそれを緩めた。  彼自身のことを言われているのであれば、おそらく既に掴みかかっているだろう。ただ、光彰に関する事ではそうすることが出来ない。光彰本人からそれを止められているからだ。  彼らは幼馴染で従兄弟同士であるため、これまでずっと一緒に過ごして来た。だが、高等部を卒業してしまえばそこから先は別々の道を歩む事になっている。今の関係性がどれほど貴重で得難いものであるかを、二人は十分理解していた。そのため、くだらない争いで時間を無駄にしたく無いと考えている。  特に光彰は黎との時間を大切にしたいと望んでいて、彼自身に関することで絡んでくる者には、一切関わらないでくれと黎に頼んでいた。その約束があるため、黎は何を聞いても反論することも出来ずにいる。こうして偶然知ってしまったことでも、胸の内でなんとかして昇華させるしかない。 「……帰ろ」  そう呟いて席を立ち、教室を後にする。足早に階段へと向かおうとしていたところ、聞き捨てならない言葉か聞こえてきた。 「機嫌がいいからっていうか、むしろ逆だろう? キングの怒りを買ったからだって言われてねえ? そんで邪魔者を片付けたから、スッキリご機嫌なんじゃないのか?」  男子生徒の一人が、新しい情報を持っていることを誇示するかのようにそう言い始めた。敢えて声を張っているのだろうか、それは黎の耳に突き刺さった。不快極まりないモノとして黎の耳に飛び込み、その胸の内をぐちゃぐちゃにしていく。 「ええ、ちょっとなにそれ?」 「何だよ、それどこからの情報?」  そこへ、わらわらとたくさんの生徒が集まって来た。真偽の程も確かめずに噂をばら撒いては、それに大袈裟な反応を示してエネルギーを消費する。それは日々ターゲットを変えて繰り返される、カゴの中の鳥達の数少ない娯楽の一つだ。  ここにいるのは、大抵が親の金の力を使って進学先も既に決まっている連中で、よほど有り余った力があるのか、連日同じことを繰り返しては必死になって青春を謳歌しているふりをしていた。  それはいつものこの学校の光景ではあった。ただ、黎には今の男子生徒の発言がどうしても許せ無かった。ドアの外に立ったまま動かなくなってしまった足に困惑しながら、中の会話へと耳をそばだてた。 「情報提供者は言えねーなあ」  もったいつけるようにそう言っているのは、噂好きで知られる葉咲輝(ようざきてる)だ。学校でも寮でも勝手な行動をとることが多く、問題児扱いされているが、校長の恵那(えな)の甥である彼に厳しい指導をする教師はいない。 「そんなの校長かその周辺の先生でしょ? いいよなあ、いつも面白い情報回してくれて」 「本当だよね。まだみんなが知らないようなことも、葉咲はいつも知ってるもんなあ」 「おいおい、俺は誰とは言ってねーぞ。まあ、どうせ言えないからそうやって想像して楽しんでもらってたらいいんだけどな」  そう言って得意気な笑みをを浮かべる姿は、どう見ても下衆としか言いようが無い。ある意味で光彰と同じように丁重な扱いをされており、振る舞いによってはまた彼の評価も変わるのだろう。しかし、その傍若無人ぶりを考えると、光彰とは比べ物にならないくらいに器が小さいのだということが際立ってしまっている。  タチが悪いのは、本人はそれを全く自覚していないということだ。彼自身は光彰と自分を対等だと考えているため、似た状況下にあることも手伝ってか、一方的にライバル視している様な状態だ。 「で、どういうことよ。温田見はキングを怒らせたから殺されたってこと?」  刺激を求めているクラスメイト達は、そんな彼の言うことでも知りたくて仕方がない。葉咲を取り囲むようにして迫ってくると、胸を躍らせた。 「そうなんじゃねえの? キングの怒りを買ったら死ぬって言う噂が回り始めてるらしいぞ。それに、あいつならやりかねないだろ? いっつもスカした顔しててさ。柳野と八木以外は汚物みたいに見てるじゃねえか。そんな奴らの命なんて、あいつにとっては虫ケラ以下だろうからなあ」  その言葉を聞いて、黎はまた胸元を掴んだ。湧き上がる怒りを、その場所に留めなくてはならない。彼が勝手に光彰の意に沿わないことをしてはならないのだと、一生懸命に自分に言い聞かせていた。  しかし、彼はこういう事が起こるたびに考えてしまうのだ。幼馴染を罵られても、こうやって我慢しなければならないならば、彼自身の気持ちは一体どうしたらいいのだろうか、と。 「えー、さすがに殺しはしないんじゃないの? いくら大企業の御曹司とはいえ、それはまずいでしょ。むしろ今の時代だと、そういうことをすると親の立場が危うくなっちゃうからダメなんじゃないの?」  時にはこういうまともなことを言う者もいる。そういう意見を聞いて、溜飲を下げることができた時はラッキーだとすら思えた。 「でも、あいつ人が怪我とかしても平然としてるだろう? 課外活動中に事故を目撃した時だって、血だらけの被害者見ても何も感じてなさそうだったもんな。ものすげえ量の血が出てて、俺は失神しそうなほど悲惨だったんだ。それなのに、あいつはやたらに冷静で、その姿がむしろ恐怖でさ。背筋がゾゾゾってしたんだぞ」 「いやいや、それはお前が情けないっていうだけの話だろう。最上は冷静で凄かったって事になるんだよ。貶めたいんじゃないの? それじゃ最上のいい話だよ。本当バカだよな、お前」  小物であるが故に、生徒同士では軽く扱われてしまう葉咲は、そう言われると恥ずかしそうに唇を噛んだ。 「大体さあ、温田見くんが飛び降りた時って、キングは教室にいたじゃない。無理でしょ、時計塔にいる人を突き落とすなんて」  そうだそうだと黎が心の中で呟いていると、葉咲がまた口を挟んだ。その言葉に、黎はひどく動揺してしまう事になる。 「いや、そうなんだよ。だから、こっからが俺の情報がすごいって話なんだって。キングの怒りを買うと、時計塔の千夜が呪い殺しにくるんだってよ。市岡は、温田見が千夜に誘われるように落ちていったっていってるらしいぞ。幽霊に誘われて飛び降りるなんて、そんなの呪いに決まってるだろ」  それを聞いて、その場にいた生徒は一様に悲鳴を上げた。時計塔の千夜自体は生徒の知るところではあったが、千夜は無害な霊だと思われていたからだ。呪い殺されるような霊がいる場所が、逢瀬の場所として利用されていたのだとしたら、そこに行ったことがあるものはそれは恐ろしいだろう。 「はあ? それ本当かよ!」 「やだ、千夜ってそんな感じのやつなの?」 「怖ーい! 絶対キングに怒られないようにしないと! 呪い殺されるなんて絶対嫌よ!」  その場にいた生徒がそう騒ぎ始めたタイミングで、黎はその場を立ち去った。 ——なんだそれ。  階段を降りて昇降口へと向かうと、靴を履き替え寮へと向かう。胸の奥に、蠢くように張り付いた澱が生まれていた。それがどういうものなのかは分からない。しかし、不快なものであることは確かだった。必死にそれを振り解くようにして、全力で走る。走って、走って、何も考えないようにした。 ——光彰が千夜を使って、人を呪い殺す……?  その言葉は、黎の思考を占拠していた。

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