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第8話 清水田学園のキング_千夜の呪い4

 時計塔には、学校設立当初から幽霊がいると噂されている。いくつかあるその噂のうち、一体の少女の霊だけには名前があった。それが「時計塔の千夜」だ。  彼女は、三年前にいじめを苦に自殺したという、高等部三年に在籍していた並木千夜と言う生徒だと言われている。彼女が時計塔から飛び降り、地縛霊となって彷徨っているのだと言い伝えられていた。  しかし、実際にはそれをはっきりと見たことがある者はいない。古くて人気がなかった第三寮を建て直すために、そこを溜まり場にしている生徒を追い出そうとして、学校側が吹聴したと言われている、いわゆるデマだ。  並木千夜自身が独特の雰囲気を持っていたため、学校に飾ってあるイベントの写真に載っていることが多く、多くの生徒が彼女を知っていた。学校で有名な幽霊と生徒がいつしか混ざり合い、並木千夜の幽霊が出るという話へ変わっていってしまったのが真実だ。  つまり、霊体である彼女を見たことのある者はいないとされている。葉咲は誰かが確認したわけでもない霊を根拠に、光彰が犯人に違いないと言い切っていることになる。そのあたりで葉咲の人間性が見てとれるだろう。ほぼ言いがかりの様なものである。そんな馬鹿げた話を根拠に他人に殺人の疑いをかけるとは、あまりにも幼稚だ。黎はそのことに憤っていた。 「ばっかじゃないの。呪い殺すってなんだよ。光彰は誰かを殺したいほど憎んだりしないんだよ! どうでもいい人間には徹底的に興味を持たないし、もし問題を起こされたらそれを解決するだけして、それ以外は全部忘れるんだよ! 最上の人間がいちいち嫉妬や妬みを覚えてたらキリが無いんだ。そういうの、何も知らないくせに……」  黎はそんな会話しかしない同級生のデリカシーの無さにも、そんな連中に感情を乱されている自分自身にも腹を立てていた。燻る感情を吐き出したくなり、校庭と寮棟の間の通路を全速力で走り抜けた。寮へ入ると、そのまま光彰と暮らす第一寮寮長室へと向かう。 「あーもう、こんな時は走るしかない!」  そう叫んで通学用の荷物をかなぐり捨てた。乱暴に制服を脱ぎ捨てると、勉強するにも体力がいるからと両親が送って来てくれたランニングウェアに袖を通す。そして、そのまま今辿ってきた道を戻り、溜まった怒りのエネルギーを発散しようとして校庭へと向かった。 「光彰は善人じゃないけど、悪人でもないんだよ。何も知らない奴が勝手なことを言うなっ!」  黎はいつもこうやって校庭を走ることで、どうにかして自分の苛立ちを収めていた。外出もままならない場所で暮らしているためか、どこかへ出掛けて気分を変えるということも難しい。  届出をすれば可能ではあるが、黎は光彰からそれを止められている。自分の両親が長年海外に滞在していて、最上家で育ったようなものである身としては、そこの嫡男に言われることには従わざるを得ない。  そしてそれだけでなく、黎は光彰を信頼している。彼がはっきりと禁止することは、しない方が身のためだと知っているため、それを裏切るような行為は決してしないのだ。  しかし、この敷地の中だけで暮らしていると、当然フラストレーションは溜まっていく。それを発散するために、贈り物を使うためだからという口実でランニングに手を出したのだが、思いの外ハマってしまったのだ。それ以来、嫌なことがあればこうして校庭を走るようになっていた。  無心になって走り続けていると、そのうちに体に一定のリズムが刻まれる。そして、それは彼に言いようのない安心感を与えてくれた。それを感じながら風を切り続けていると、次第に心が潤いを取り戻すように感じるのだった。 「あー、気持ちいい」  小気味よいテンポで足を運びながら、すうっと気が晴れていくのを感じる。そうなると、周囲の様子を気にするだけの余裕も出てくる。自然の装いをその目に映せるようにと、次第にスピードを緩めていった。  春先の夕暮れは、しっとりとした空気に温まった土の匂いを孕んでいて、何かの始まりを思わせる。今はその中に、夕焼けに燃える時計等が見えていた。塔の先端は茜色に染まり、反射した光は黄金色に輝いている。 「きれいだなあ、光彰……」  隣に誰かが並走してくれているような気がして、思わず話しかけてしまった。しかし、もちろん隣には誰もいない。 「ん? おかしいな。一人のような感じがしないのに……」  そう呟くと、視界がくらりと揺れた。暖かく輝く時計等の前に、もう一つ同じような景色が見えているような気がした。 「……あれ? もしかして視力が落ちたのかな。見え方が変だ」  黎はその現象を目の疲れだろうと思い、軽く擦ってみた。しかし、なんとなくぼんやりと朧げに見えるものが重なっているような現象は変わらない。その上、突然走ったからだろうか、だんだんと意識が朦朧とし始めてしまった。 「あ、これまずいかもしれない。もう帰……」  その言葉を言い終わる前に、黎はその場に頽れてしまった。 ◆ 「温田見くんの件なんだが、不幸な事故として扱われることになった。寮生たちに何か聞かれたら、そう答えてくれるかね? これ以降の調査はせず、この件については全てを口外禁止とする。それも併せて通達するように。万が一外にこの話が漏れてしまったら、該当する生徒は全員退学とします。いいですね?」  職員室に集められた寮長四名は、そのまま校長の元へと連れていかれた。そして今、この決定事項というものを直接校長から告げられているところだ。大方の予想通り、学校は温田見のために調査をするという選択肢は持たず、学校とその上層部の保身のために動くことにしたようだ。 「それはつまり、学校の落ち度を隠すためにはこれ以上の調査は好ましくないから、深追いすることのないようにと釘を刺していらっしゃると解釈していいのでしょうか」  光彰は学校への不信をそのまま突きつけた。他の三人は、彼のその言葉を聞いて、バケモノにでも出会ったかのような顔をして固まっている。確かに、彼の態度は信じられないほどに怖いもの知らずの、横柄なものに見えるだろう。ただし、それは実際にはやや事情が異なる。 「理事長には詳しいことは伝えられていませんよね? 口外しないようにと約束させられれば、僕から父への報告も不可能になります。その場合、理事会への報告はどなたかがきちんとなさるのでしょうか。それをするのであれば、特に問題はありませんが」  彼にとっては、このことが最も気がかりな事なのだ。先にも触れた通り、この学校の理事長は光彰の父親だ。彼は、自分の家族に秘密を抱えてまで、教師を守ってやる義理は無いと考えている。そしてそれは、他の三人にしても同じだろう。ただ、それをこの場で面と向かって言うことができるところが、光彰がキングと呼ばれる所以だ。  言い難い事であろうと、言わなければならないのであれば切り込んでいく。そして、後ろ盾が強いため、何も恐れる必要がない。その上、自分自身も成績優秀で実力がある。恐れるものの少なさとその堂々とした振る舞いが、彼をキングたらしめているのだ。 「隠蔽だなんて……物騒なことを言うね、最上くん。私が言っているのは、決してそういう事じゃ無いよ。ただねえ、市岡先生が目撃したのは、幽霊に誘い込まれるようにして飛び降りた温田見くんの姿なんだ。だとしたら、それは自殺と見られるだろう? オカルト騒ぎになっても困るし、自殺されたとあっては原因究明のために多大な時間を割くことになる。それは生徒にも教師にも、とても負担がかかることになるんだよ。それなら穏便に事故扱いにと言うことで……」  校長の恵那は今年定年する。ただでさえ管理職というのは、自分のいる間は問題を隠蔽したがるものが多い。その中でも、定年の年を迎える校長ほど厄介なものはいない。  どんな問題が起きてもその全てを些細なものとして捉え、「穏便に」という呪文の下に隠蔽してしまう。少なくとも、この学校ではずっとそうだった。恵那はおそらく、それに素直に倣っているだけだろう。だからこそ、考えなしに動こうとするところに光彰は憤っている。 「ご存知ないようですが、世間ではそれを隠蔽と言うんですよ」  呆れたようにそう吐き捨てた。 「例え事故としてこれ以上の調査が不要だったとしても、生徒が飛び降り自殺をするほど思い詰めていたのであれば、それは調査すべき事ではないのですか? それもせずに緘口令を敷けと言われても、僕は納得出来ませんよ」  光彰のその言葉に、第十一寮の寮長である小野がぴくりと反応を示した。この件は幽霊騒ぎが大きくなりすぎて、温田見への配慮が行き届いていない。そのことに彼女も気がついている。だからこそ、温田見の様子がおかしかったと吹聴して回っているのは、誰の目にも明白だ。  ただ、二年の修了式の時点で温田見と小野は既に別れていたらしく、今の温田見が飛び降りるほどの悩みを持っていたのかどうかは、彼女にはそれを証明する事が出来ないらしい。  だからこそ、温田見が何のつもりで時計塔から飛び降りたのか、「時計塔の千夜」がどう関わっているのかについては、学校が調査すべきだと主張していた。そして、珍しく光彰が他人のことに興味を持ってくれていることに、彼女は強い安心感を得ていた。 「僕は温田見とそれほど仲が良かったわけではありませんが、時折言葉を交わすことはありました。彼が自ら死を選ぶほどの悩みを持っているようには見えませんでしたが、事故と結論づける前に一度はそのことを調査すべきではありませんか? その上での結果であれば、生徒は黙って受け入れますよ。どうして学校はそうされないのですか?」  光彰の主張に、他の寮長たちも頷き始めた。恵那はおそらく、彼らを甘くみていたのだろう。なかなか懐柔できないことで、やや狼狽始めている。 「それは先ほど言ったとおりだが……」  そうしてまたのらりくらりと交わそうとした恵那に、痺れを切らした小野が前へと進み出て噛みついた。この学園ナンバー2である校長のシャツの襟を掴み上げると、目を剥いて彼を怒鳴りつけ始めた。 「あんたねえ! 人が一人死んでんのよ! 生徒は人間じゃないとでも思ってるの? 厚はここ最近ずっと様子が変だったのよ。私は少し前に別れたから、それがどうしてなのかを知らない。でも、もしいじめだったらどうするの? それを見逃すことは、学校側の過失になるんじゃないの? 生徒の安全を守れなかったかもしれないのに、しれっと流そうとしてるんじゃないわよ! それに、ここは全寮制なのよ。いじめで人を死に追い込んだ人がいるかもしれない中で、これまで通り普通に暮らせって言ってんの? 次に自分が狙われるかもしれないのに? そんなの無理なんだけど!」  彼女は握りしめた恵那のシャツに涙を落としながら叫んだ。彼女は温田見の亡骸と対面したそうだ。その後はずっと泣いていたらしい。二人はとても仲が良かった。そんな彼が飛び降りてしまった後、混乱せずに居ろと言われても無理があるだろう。  そしておそらく恵那へのこの罵倒は自分へ向けたのものでもある。彼の悩みに気がついてあげられなかった自分への怒りも、その中には含まれていた。 「小野、お前は温田見に死ぬほどの悩みがあったと思っているということか?」  光彰が小野に問うと、「……多分ね」と言いながら、彼女はようやく校長の襟から手を離した。  解放されて息が自由に吸えるようになった恵那は、咽せながらも衣服を正していく。そして、そんな扱いをされたばかりにも関わらず、事を穏便に済ませる気は変わりないらしい。彼は引き攣った笑顔を見せながらも 「話は済んだから、帰りなさい」  と言い放った。  寮長の四名は、その大人の汚さに呆れ返りながらも、それ以上は何を言っても時間の無駄だと判断した。四人で示し合わせて、そのまま大人しくその場を辞することにした。 「失礼しました」  最後に退出した光彰が頭を下げつつドアを閉めると、横からふと誰かの視線を感じた。姿勢はそのままにそちらを見やると、見慣れたランニングウェアが近づいて来るのが見えた。驚いて顔を上げてみると、やはりそこにはランニングウェアに身を包んだ黎がいた。 「黎、どうした……」  黎は、滴る汗をそのままに、呆然とした表情で立ち尽くしていた。

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