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第11話 清水田学園のキング_時計塔の千夜3

「最上の家には、総領と後嗣と呼ばれる立場の人がいる。今は父さん、最上辰之助が総領にあたる。そして後嗣は俺だ。この総領と後嗣は、ある共通点があるんだ。お前、俺と父さんの共通点ってなんだか知ってるか?」 「おじさんと光彰の共通点? えっと……長男ってこと? 後嗣って言うならそういうことなんじゃないの? 後継ってことだろ?」  黎は戸惑った。温田見が亡くなった事件の話をしに来たのだと思っていたところに、突然最上家の話をふられ、どうやら頭がついていけていないらしい。そこへさらに質問を投げかけられてしまっては、しっかり答えられるわけがない。その困惑ぶりは全て顔に現れていた。  光彰は黎の表情を見てふと緊張を緩めると、ふっと笑みを溢した。 「まあ確かに、俺と父さんは長男同士だ。でも、この話ではそれは関係ない」 「そりゃそうだろうけど、じゃあ何なんだよ。俺は分家筋だけど、本家のことはほとんど知らないんだ。聞かれても何もわからないぞ」  そう答えた黎に「そうだな。悪かった」と言って光彰は彼の手を引いた。そして、しゃがみ込むと真正面から視線を合わせる。光彰は今日は何度もこの行動を繰り返している。 「ちょ、近い! 何で今日何度もこうするんだ? これに何か意味があるのかよ」  光彰がそうすると、黎は体の中から何かが引き摺り出されるような感じになることに気がついた。自分の中からもう一人誰かが抜け出してくるような、強烈な違和感を感じる。  これまでこうして距離を詰められたことは何度もあったのだが、こんな感じを受けたことは一度も無かった。かと言って拒絶しなければいけないようなものかと言われるとそういう感じでもない。黎にはこれにどう反応すべきなのかが、全くわからずにいた。 「そうだ、意味がある。ただ、それはまた追々話すことにするよ。まず最初に言っておかないといけないことは、俺と父さんの共通点は、霊能力があるということだ」  そう言った光彰は、逃げようとする黎を塔の建屋の壁に押し付けた。そしてもう一度ギラリと目を光らせる。すると、二人の間に目も眩むような閃光が走った。 「うわっ!」  目に飛び込んだ光が、一瞬黎の視界の全てを覆い尽くした。焼けるように明るく白んだ景色の中に、僅かに誰かが走り去る姿のようなものが見えた気がした。光彰が睨んだだけで起きた閃光にも、その中に人の姿が見えたことにも驚かされ、黎はすっかり狼狽えてしまった。 「い、今のなんだ? なんかパーって明るくなったぞ。それに、その中に人が見えた!」 「よくわからないだろうけれど、今のが俺の力だな。俺と父さんには霊の使役が出来るという力があるんだ。契約した霊は俺の命令で動くようになる。今はそいつを使ってその辺にいる小さな悪霊を祓わせた」  光彰はそう言いながら指先をくるくると空中で回し、このあたりだと指で指し示す。それはさも当然のような仕草だったが、黎がその指のあたりを見渡してみても、何かがいるようには到底見えなかった。 「は? いや何も見えないし、それに……嘘だろう? 霊能者って……お前が?」  驚いた黎は思わず光彰を指差してしまった。すると光彰は、今朝のやり取りを再現するかのように「だから、人を指差すなって」と言って黎の指をガブリと喰んだ。 「いてっ! 噛むなよ!」 「じゃあ人を指差すクセ直せよ。朝も言っただろう?」 「わかったよ。それは悪かった。でも、だからってお前も噛むのやめろよな。結構痛いんだぞ、それ」  噛まれた指を振って痛がる黎に「はいはい」と軽い返事をしながら、光彰は時計塔の尖塔へと視線をうつした。 「今の総領は父さんなんだが、父さんにもその力がある。というより、この力のあるものが最上の後嗣に選ばれ、いずれは総領になるようになっている。この学園に通っている生徒の中には、代々最上家総領の世話になっている家の者もいて、総領に予知をしてもらって事業の方向性を決めたりしているんだ。そして、教師たちは退職後の人生を少しでもいいものにするために、父さんとの関係性を深めようとしている。さらに、いつかは俺の世話になる日もやってくるだろうと思い、俺に媚びるんだ。いくら理事長の息子だからといっても、媚び方が異常だろう? それは俺を未来の総領様だと見做した上での投資なんだよ」  光彰の視線の先では、尖塔の周囲に何かが僅かに揺れ、影を落としていた。しかし、実際そこには影をなすようなものは何も存在しない。彼はただそこをじっと見据えながら、自分の決められた人生を履き捨てるようにその力を語っていった。  普段あまり感情を大きく出さない彼が、僅かながらもそれを嫌がっていると分かるように見せるのは、黎の知る限りでは稀だった。黎はその表情の中に、彼が抱えてきたものの重さを想った。そして、それに気がつけなかった自分を悔いていた。 ——俺ずっと隣にいたのに、羨んでばかりで何も気がついてやれてなかったんだな。  その思いが刃のように胸に突き刺さる。ほんの僅かな怒りと諦め、そして憂いのある光彰の表情には、何よりも嫌悪が多く含まれていた。それが、教師たちをはじめとする周囲の大人たちへ向けられたものだと思えれば、まだ良かったかも知れない。  しかし、それは明らかに光彰が自分自身へ向けた嫌悪だと、黎にははっきりとわかってしまった。 「そんなに受け入れたくないものなのか?」  思わずそう言葉にしてしまった。光彰はそれを受けて悲しげに笑うと、小さな声で「そうだな」と言った。そして尖塔を指差しながら、黎にそこを見るようにと促した。 「最上の力は、神に祈ったり仏にすがったりするためには使えない。俺たちにそういう能力は無いんだ。ただ、死んだ直後に成仏しきれなかった霊に人を助ける手助けをさせて、成仏する手助けをさせることが出来るだけだ。つまり、俺たちが使役するのはこの世とあの世の間を彷徨ってる霊が対象になる。平たくいうと、浮遊霊っていうことになるな。あいつらはどこにでも行けるから、情報収集や改ざんなんかでは生きた人間よりも役に立つ。うちはそうやって成り上がってきた家なんだ。そして、時計塔にはその浮遊霊がいると噂されているだろう? さっきからあの場所で、俺に近づきたくてウロウロしている奴らがいる。ずっと俺に契約してくれってアピールして来てるんだ」 「えっ? 嘘だろう、ど、どこに?」  黎はそう言って尖塔の周囲を見渡した。  しかし、彼の目には何も見えない。光彰が指を指している場所は、文字盤の周囲の光を受けてキラキラと輝いており、それが綺麗だということしか分からなかった。 「俺には何も見えないけれど……。でも、お前はそんな嘘をつくタイプじゃないもんな。てことは、ほ、本当にそこにいるんだよな……幽霊が」 「ああ、五体ほどいる。お前、はっきりとは見えないかも知れないが、空に透明なカーテンが揺れるような感じはしないか? 少し影が見えるような……」 「あ、それはする! 尖塔にも見えるけれど、お前の周りにもそれが見えたんだ! さっき周りにゆらゆら影みたいなものが漂ってたぞ。あれ、幽霊なのかっ?」  黎はそういうと驚くほどの素早さで後ろへ下がり、光彰と距離を取った。その素早さに光彰は目を丸くする。 「すごい速さだな、黎。それより……俺の周りで影が見えたのか? ああ、そうか。さっきあいつを外に出させたから……」 「出させた? 何、どういうことだよ。どこかに何かがいるのか?」  黎は怯えるように震えながら、尖塔の突端と光彰の間で視線を忙しなく行き来させている。そこにうっすらと揺れる影が見えるのを確認すると、「ひっ!」と短く小さな悲鳴を上げた。  よほど恐ろしいのか、自分を抱きしめるようにして激しく両腕を摩っている。光彰は黎のその様子を見ると、一層憂いの色を濃くした。そして、長く深いため息を吐く。 「そうだよな、普通そうなるだろう。浮遊霊が常にそばにいる奴なんて、気持ち悪くて仕方がないに決まってる。だから俺もそのこと自体は受け入れきれていない。ただ……。これはなんの弁護にもならないが、最上を手伝う霊は基本的に悪霊じゃない。心残りがある、死を受け入れきれていないという意味では同じかも知れないが、それが怨念に変わってしまったものではないんだ。そういう悪いものとは契約してはならないという決まりがあるからな。そして、最上に使役された霊は時期が来れば成仏させてもらえる。そうなればこちらから契約を解消して、奴らを送り出さなければならないっていうことも決められているんだ。そうやって、お互いにいい関係性になれるものだけを選んで契約するようになっている。それに、契約を結んだら俺はその対象の霊から襲われる事は絶対にない。俺の命令が絶対になるからだ。だから、お前がやつらに襲われることもない。だからそんなに怖がらなくていいぞ。お前には何もしてこないから」 「お、俺が襲われることもないのか? 本当に?」  摩っていた両手の動きを止めて安心したかと思うと、さらに強く抱きしめるようにして黎は尋ねる。光彰はいつまでも安心しようとしない黎に呆れ、その上から彼を包むように抱きしめた。 「ああ、無い。それは間違いないから、安心しろ」  そうキッパリと言い切った光彰の声に、黎はようやく心からの安堵を得た。そして、 「そうか……。わかった。お前がそう言うなら信じるよ」  と答える。それを聞いて、光彰はポンと黎の背中を軽く叩いた。 「で、ここからが本題なんだが」 「はあ? まだ何かあるのかよ」  黎はゴクリと喉を鳴らした。今ようやく安心したばかりなのに、まだ何か驚かせようと言うのかと、恨めしげな目で自分を包む相手を睨む。  そんな風に黎は心中穏やかでない状態が続いているのに、話をしている光彰の方はだんだんと晴れやかな顔つきになっていた。隠していることが減るにつれて楽になってきたのか、嬉しそうに微笑みながら黎を抱きしめている。 「俺もうびっくりしたく無いんだけど……」  うんざりした調子で返す黎に、光彰は申し訳なさそうに微笑んだ。目の前にある黎の艶のある黒髪を撫で、「すまない。でも、これを話すためにここに来たんだ」と囁いた。 「最上家総領の力を知っている者は限られている。能力者本人とそのパートナー、そしてクライアントだ。さっきも言ったように、この学園内には最上の家に世話になっている人間がいる。ただし、霊能力については決して口外してはならない契約になっているはずだ。実は、最上の人間が千夜を使役するという噂が回っていることが、最上とそのクライアントの重大な契約違反に当たる。そして、その話を中途半端に葉咲が知っているということは、あいつの周りに該当のクライアントがいるということだ。だから、いずれお前の耳にも入るだろう。あの噂がまことしやかに囁かれているのは、その半分が本当だからだ」 「半分本当って……」  黎の胸で、不安気に鼓動が揺れた。ちょうどその時、二人の頭上でガチャリと大きな音が鳴った。時計塔の長針がゼロへ還って来る。夜中であるため鐘は鳴らず、その代わりに歯車の回る音が冷えた空へと響き渡って行った。  午前二時、丑三つ時。空は墨を落としたように暗い。その中で時計塔だけが暖かい光を放ち、輝いてる。 「まさか、本当に千夜を使って誰かを呪い殺してるって言うわけじゃ無いよな……」  黎は狼狽えて光彰の上着を掴んだ。その手は、小さく揺れている。そんな馬鹿げた噂を否定してほしいと願っていた彼に、光彰の言葉は追い討ちをかける形になってしまったようだ。  黎のその様子を見てもなお、光彰はやはりそれをはっきりと否定しない。そして、そう出来ない理由を明かすためにここを選んだのだった。 「大丈夫だ、そんなことはしない。お前も知ってるだろう? 俺は人を恨み続けるほど暇じゃない。俺に突っかかってくるようなバカな奴らは、放っておいても勝手に自滅する。ただ、千夜を使って何かをしていることは間違いない。だからあまり派手に反論しないようにしてるんだ」 「は? それ、どういう意味……」  黎は光彰の言葉に驚いて目をむいた。浮遊霊を使役するという力を持つと聞いたのだから、納得がいく話なのかも知れない。ただ、そうだとしてもあの噂との関連を考えると、あまり穏やかな話ではないだろう。彼が狼狽えてしまうのも、無理はないだろう。  真意を問いたいと言葉を探している黎の視界に、ふっと何かが揺らめくのが見えた。ゆらゆらと揺れているのは、目が覚めるようなレモンイエローのサマードレス。その淡い波の上には、揺らめく長い銀髪と、物憂げに月を見上げる少女の顔があった。 「あ、あれって、もしかして……」  黎は驚きのあまり、また指を指してしまった。そこには、はっきりと一人の少女が座っている姿が見えている。 「やっぱり現れたな」  光彰は彼女を睨みつけると、吐き捨てるようにその名を呟いた。 「黎、あれが『時計塔の千夜』だ」  そうして、自分が使役していて無害であるはずの千夜を、なぜかギロリと睨みつけた。

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