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第16話 隠されているもの_黎の体3
「ところで、お前もここにいるってことは、何か校則違反をやったんだろ? 何やったんだ? まだ三年になったばかりなのに、もう三回も指導を受けてるらしいじゃないか」
黎が田岡にそう尋ねると、彼はニヤリと笑った。それを聞かれるのが嬉しいのか、小学生が悪戯を報告するような顔をしている。
「四回目だよ。全部ピアスだった。ずっと耳で捕まってたけど、今回はほら、これ」
そういうと、徐に制服のシャツを捲り上げた。得意気に突き出した腹部には、鍛え上げられた腹筋と共にキラリと輝くものが見える。そこには、いかついバーベルタイプのピアスのヘッドにスワロフスキーが埋め込まれた、主張の激しいボディピアスがあった。
「へその……ピアス?」
思わぬものを見せられて、黎は思わず目を見張った。そして、その隣では光彰が、
「そんなもので捕まるとは、お前らしいのかもしれないな」
と言った。
「えっ?」
彼のその反応に、黎はまた目を見張った。あまりに開かれすぎたために、乾燥して目が痛みそうになるほどに驚いてしまっている。しかし、それほどに今の言葉は珍しいものだった。光彰が人に興味を持つことなど、そうあることでは無い。
「なんだ? 何か変なことを言ったか?」
「いや、何でもない。確かに、それで捕まるなんて滅多にないことだろうから、田岡らしいのかもしれない。お前捕まりすぎだもんな。それにしてもさ……。へそって、ピアスしちゃダメなのか? そんなところ、見つかりようが無いだろう? 風紀チェックの時、服を脱がされたのか?」
黎はへそのピアスが見つかった理由がわからず、それを田岡に訊ねた。そうしながらも、まじまじとピアスを眺め続けている。それは、黎にとってはあまりにも珍しいものだからだ。
「ふっ、くすぐったい! お前、顔ちけーよ!」
「あ、悪い。本物なんて初めて見たからさあ、つい。ごめんな」
よほど興味を惹かれたのか、髪が田岡の肌に触れるまで近づいている。
「あんまり近づいてると、浮気だと思われるぞ。見ろよ、あいつの顔」
そう言って笑う田岡に促されて黎が後ろを振り返ると、面白くなさそうに田岡を睨みながら窓を拭いている光彰が目に入った。そして、何かを言いたそうな顔をして黎へと視線を移す。その目と口は、軽い嫉妬に歪んでいた。
「おい、怒るなってば。お前の前で柳野に手を出したりしないって」
面白がった田岡が光彰にそう叫ぶと、今度はあからさまに睨みつけ始めた。それを見て、また田岡は楽しそうに声を上げる。
「あははは。あーやべえな。最上って本当に面白ぇー」
「あんまり揶揄うなよ。あいつが拗ねると、俺が大変なんだからな……」
黎がそうこぼすと、田岡は柔らかい笑顔を浮かべた。
「慰めるのはお前の仕事だもんな、悪い。あ、そうだ。さっきの質問だけど、へそピはダメらしいぞ。俺も見えないからいいと思ってたんだけど、何でか気づかれてさあ。お前の言う通り、わざわざ脱がされて怒られたんだぜ。しかもさあ、何を考えてんのか恵那のやつ、これを力づくで外そうとしてくれたんだよ。まだ傷が塞がってないし、化膿したら嫌だからやめてくれって抵抗したら、やっと手を引いてくれたけど」
田岡はなんでもないことのようにそう答えながら、ピアノの鍵盤を布で一本一本丁寧に拭いていた。鍵盤の境目や蓋の裏側、側板や脚柱も丁寧に拭き上げていく。見た目は派手なのだが、物を大切にするタイプなのだろうか。その手の動きは、とても繊細だった。
「えっ、脱がされたって……。今までそんな検査の仕方してた先生いたか? 大体、へそのピアスなんて、本人が言わなきゃわからないだろう? なんの根拠もなく無理に脱がせたのなら、ハラスメントじゃ無いか」
黎は田岡の丁寧な掃除の仕方に感心しながら、その心に傷がついているのではないかと心配していた。見えるはずのない場所にまで口を挟まれるのは、教師であっても行きすぎる行為のように彼には思えた。田岡は黎のその優しさに目を細めた。自分よりも傷ついた顔をしてくれているクラスメイトを見て、嬉しそうに表情を綻ばせていく。
「お前優しいなあ。お前の方が傷ついた顔してるぞ。でも心配するな。変なことは何もされてないよ」
田岡はそう言うとピアノを丁寧に吹き上げた布を置き、今度は才見から手渡されていた筆を使って、鍵盤の細かい部分の埃を払い始めた。
「そう? それならいいけど……。今の校長はあまりいい噂を聞かないだろう? 私利私欲のためならなんでもするような人だから。そういう人に生徒が傷つけられるのは、何だか嫌なんだよな。……本当に何もされてないんだよな?」
すると田岡は、
「あー、時計塔の千夜と温田見のことを言ってるのか? 本当は学校に何か過失があったんじゃないかって言われてるよな。それを隠すために、いじめを苦にした自殺ってことにしたんじゃないかって言われてんだよな、確か。あれは恵那が校長になってすぐのことだろう? それに、温田見は千夜に誘われて落ちたんだよな。それも隠していくつもりらしいし、あいつは恐ろしいよ」
と言った。
「え? 千夜?」
突然出てきた千夜の名前に、黎は混乱した。田岡はそれに構わず、千夜と恵那についてさらに詳しく触れようとしたのだが、それまで成り行きを見守っていた光彰が突然「やめろ」と間に入ってきた。
「やめておけ、田岡」
その声は、とても重く低いものだった。有無を言わせぬ迫力がある。
「え、何だよ最上。何怒ってるんだ?」
突然の光彰の豹変ぶりに田岡が戸惑っていると、光彰はさらに睨みを効かせた。その形相に、田岡は喉がきゅっと締まるのを感じた。この男を怒らせてはならない、彼の体がそう判断したのだろう。そのまま言葉を発することを拒否するようになっていた。
「千夜の事については、お前は何も心配するな。その件については、父も色々と動いている。あまり不用意にその話に首を突っ込まない方がいい。何が正しいのか、全くわかっていない状態なんだ。いいな?」
光彰は、田岡の目を見て威嚇するような表情を浮かべていた。その目は、まるで群れを荒らされるのを防ごうとしている獅子のようだ。田岡はその瞳に畏れをなしたのか、ジリジリと後ずさっていく。そして、一言ポツリと呟くと、足早に音楽室を去っていった。
その言葉を共に聞いていた黎が、光彰の顔を見て怪訝そうにしていた。
「光彰、さっきのどういう意味……? 牡丹の朝露って聞こえたけど……」
光彰は、田岡が出ていったドアをじっと見つめていた。そして、その言葉の意味を反芻しているのか、彼もその口の中で「牡丹の朝露か……」とその言葉を繰り返していた。
◆
二人は音楽室の掃除を終えると、才見の許可を得て寮へと戻る準備を始めた。田岡の予想通り、戸田は普段から掃除を怠っていたらしい。教室の窓から黒板まで、全てが埃に塗れていた。
「戸田先生、お子さんが小さいからね。遅くまで残っていられないから、掃除する時間が取りにくいんだって。君たちが綺麗にしてくれて助かったよ。罰だったわけだけど、ありがとうね」
そう言って満面の笑みを返されたが、「明日はまた別の場所をお願いします」と即座に言われ、二人とも気が重くなってしまった。今日の清掃は思ったよりも過酷で、気がつくと全身が埃っぽくなってしまっていた。一刻も早くそれを落としてしまいたいと思い、二人は急いで帰ろうとして走り出した。
「ここからなら、渡り廊下から帰る方が早いかな」
黎が光彰にそう訊ねると、
「そうだな」
と、僅かに表情を強張らせながら彼は答えた。田岡と揉めて以降、光彰はずっと険しい表情を浮かべている。いつものように、黎が話しかけるとそれを緩めてはくれるものの、すぐにまた硬く青ざめた厳しい表情へと変わってしまう。黎は光彰が何を察知してそうしたのかも聞かされていないため、僅かに所在なさを感じていた。しかし、光彰がまだ話さない方がいいと判断したのであれば、話せるようになるまで待つべきだろうと考えており、あえてそのままにしている。
「外の空気にあたったから、少し気が紛れたかな。やっぱりゆっくり帰ろうぜ。春先の夕方って空気が気持ちいいから好きなんだよな」
黎がそういうと、
「ああ、わかった。確かに春先の夕方は、お前はいつも浮かれてるな」
と、軽口を返された。
「何だよ。いいだろう、別に。寮生活には潤いが少ないんだから、季節くらい愛でさせろよ」
「別に構わない。俺はそんなお前を年中愛でてるけどな」
思わぬ言葉に黎は慌てたが、その口調の柔らかさにほっと胸を撫で下ろした。
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