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第15話 隠されているもの_黎の体2

◆ 「最上くん、君は寮長であるにも関わらず、夜中に寮を抜け出していたそうだね。戸田先生からそう報告があったんだ。君と柳野くんが二人で時計塔の方へと向かったと。それについて、何か弁解することはありますか?」  放課後の校長室で、光彰は校長から詰られていた。隣には黎もいる。あのあとまた伝書鳩がやって来て、二人で来るようにと伝言が修正されたのだ。理事長の息子である光彰を、学校の管理職以上の人間が詰るなど、これまでであればあり得ないことだった。  しかし、今校長は光彰へあからさまな嫌悪感を示しながら説教をしている。その、通り一遍の説教を聞きながら、光彰はずっと黙り込んでいた。決してしおらしくしているわけではない。黎も一緒にいるため、下手な動きはしない方がいいと判断したのだ。そして、神妙な面持ちをすることで、恵那に対する出方を伺っている。  恵那はくどくどと同じような指摘を繰り返すばかりだ。少しでも光彰を怯ませようと必死だが、彼はどのような処分を受けようともそれを恐ろしいとは思わないため、全く恐れの感情を抱かない。ただ、現時点では恵那と戦う理由も無いため、大人しくしている方が無難だろうと判断していた。 「無いんだね? では、規則違反を認めると判断します。さすがに即停学にするのは重すぎると思いますから、反省指導をします。これから毎日放課後に才見先生のところへ行って、雑務の手伝いをしてください。柳野くん君も一緒ですよ。いいですね? 何をするかは、その時々で才見先生が決めてくれます。彼は新任だから、雑務は腐るほどありますよ。しっかりお手伝いしてあげてください」  ニヤリと笑おうとした顔を手のひらに収めながら、どうにか神妙な態度を取り繕って校長はそう述べた。これまで、どれほど光彰に痛い目を合わせてやろうと思っても、そう出来ずにいた。それをすることで、自分が痛手を被ることがわかっていたからだ。そうやって彼は、ずっと手をこまねいていたに違いない。  それが、今回は光彰が自ら問題を起こしてくれたので、恵那としては好機を得たと浮かれているのだろう。正当な理由をつけて彼らに罰を与えることが出来るとほくそ笑んでいる。そうやって恵那が無意識に働こうとする笑筋を必死で宥めている姿を見て、光彰と黎はうんざりしていた。 「わかりました」  何の抵抗も示さずにそれを受け入れた光彰は、驚いて何も言えなくなっている黎の分もまとめて返事をする。少しでも早く、このくだらない人間のいる部屋を出て、澄んだ空気を肺に入れたいと願っていた。 「二人で放課後に才見先生の所を訪れます。では、失礼します」  光彰はそう告げると、話を切り上げてその場を去ろうとした。すると、校長が背後から声をかけてきた。 「最上くん。君、気に入らない生徒を時計塔に呼び出して、塔から落として殺しているそうだね。それが本当なら、流石に世間に公表せざるを得ないんだ。それについては、どう答えますか? 昨夜時計塔に行っていたのは、その為なのかい? 噂の人物は、君たちで間違い無いのかね?」 「はあ?」  その校長の言葉を聞いて、黎は呆気に取られてしまった。生徒が生徒を殺しているかもしれないという話をするにしては、その口調はあまりにも緊張感が無い。まるで世間話でもしているような気軽さがあった。光彰も黎も、その事に背筋が冷える思いをした。 「……まさか、校長先生は俺が気に入らない生徒を千夜に報告して、千夜がその生徒を呪い殺しているとでも言いたいのですか? ご冗談ですよね? 教育者でそのような立場にある方が、そんなオカルトめいた噂を信じていらっしゃるとは……」  光彰は目をギラリと光らせた。  生徒がそう噂しているのは、彼としては問題なく聞き流せる。しかし、恵那のように責任ある立場にいる者であれば、それを口にすることがどういう意味をなすかは、判断出来なければならないだろう。激しい怒りが現れた光彰のその目と口調に、恵那は怯んだ。そして、媚びるように歪んだ笑みを顔に貼り付けながら、その言葉を取り消そうとする。 「ああ、違いますよ。私はただ、確認をしようとしているだけで……」  しかし、そこにはまだ面白がる様が浮かんでいた。楽しそうに歪んだ顔を見ながら、光彰も黎も怒りに震えた。 「当事者の話を聞かずに悪者だと決めつけていますね。それが教育者のすることですか?」  光彰は拳を握りしめながら、感情が爆発しきってしまわないようにと、声を必死に抑え込んだ。自分が殺人に関わっていると思われたことにも、千夜がそれに関わっていると思われていることにも、ひどく腹が立っていた。これまで経験したことの無いほどの憎悪が、彼の腹の中に巻き起こる。激しすぎる思いに目眩を起こしたのか、光彰の体はゆらりと揺れた。 「学校という場での最高責任者であるあなたが、そんなことを口にするなんて悍ましいとは思わないのですか。確かにそういう噂はありますが、私を疑ってかかっているような尋ね方はいかがなものかと思います。寮を抜け出した罰は、才見先生のところできちんと受けます。ですが、このまま殺人犯扱いをされては黙っていられません。もし犯罪者だと思うのであれば、公表なんていう生ぬるいものではなくて、警察に突き出すべきでしょう。それをせずに面白がっているなんて、吐き気がしますよ。この件については、私と黎は独自に調べさせていただきます。犯人を見つければ汚名は返上出来るんですよね?」  光彰はそう言うと、黎の手を取った。そして、恵那が発する声は全て聞きたく無いとばかりに勢いよく扉を閉めていく。 「最上くん! 犯人なんていませんよ! 彼は事故死……」  その言葉に、光彰は我慢の限界を超えてしまった。本当にそう思っているのであれば、先ほどの質問は何だったのかと呆れてしまう。殺人犯の疑いを人にかけておきながら、温田見は事故死だという。会話の全てにまとまりがなく、目の前の事象に振り回されすぎている恵那を、光彰は心底軽蔑した。そして、その思いを臆することなく、真っ直ぐに吐き出してしまった。 「黙れ、この無能が! お前のような奴には、どう足掻いても真実は見えて来ない。この件に関しては一切口を挟むな! 俺が犯人を見つけてやる!」  言い終わると同時に、扉は大きな音を立てて閉まった。普段感情を露わにすることの少ない顔には、鬼のような形相が浮かんでいた。 「光彰……」  いつもと違う様子の幼馴染に、黎は胸を痛めた。彼は、光彰がこれほど大きな声をあげる姿をこれまで見た事が無い。千夜が亡くなった黎の兄の千晃であり、偽装とはいえ光彰と恋人関係にあったことを考えると、恵那の言葉の全ては耐え難い苦痛に違いない。それを理解出来るからこそ、黎もまた恵那を許す事は出来なかった。 「俺も探す。兄さんを悪く言われてると思うと、腹が立つからな」  黎がそう告げると、光彰は無言で頷いた。そして、黎の手を握り締める。 「千夜の事は、恵那には一切知られたくない。部屋に戻ろう」  そう言うと、手を握りしめたまま歩き始めた。 「うん」  黎もそれをあえて解こうとはせず、されるがままについていく。光彰自身と大切な千夜のため、二人は早急に犯人を探す決意をした。その心意気を表すかのように、二人分の靴音は校舎内に高らかに鳴り響いていった。 ◆ 「柳野ー、これの掃除ってどうやんの? 水拭きしていいんだっけ?」 「えっ? いや、ピアノは水ぶきはダメじゃなかったか? あ、確かそこにある乾いた布を使えって言われただろ?」  反省指導対象者に対する才見からの指示とは、素行の悪い生徒に課せられた罰のことだ。その最初の指導として才見から頼まれた雑用は、音楽室の清掃だった。 「特別教室の掃除くらいでいいなら、そりゃ夜中に抜け出す生徒は減らないだろうな」  光彰と黎が放課後に職員室へ向かうと、満面の笑みを湛えた才見から掃除用具を渡された。 「埃と汚れに塗れた世界を、美しい音の響きに似合う空間に変えてきてね」  掃除道具を渡しながら笑う才見の表情に、二人は嫌な予感がしていた。  モップとバケツ、そして幾つかのスプレーを持たされ、二人は共に特別教室の並ぶ四階へと向かった。するとそこには、毎朝のように風紀チェックで引っかかっていることで有名な、同じクラスの田岡歩夢(たおかあゆむ)がいた。 「おー、本当に最上と柳野がいるー。反省指導に引っかかるなんて、お前ら何したんだよ。今まで一度もそんなことなかっただろう?」  そう言うとやたらに目立つ口を大きく開けて、快活に笑った。その笑顔はとても人懐っこい。同じクラスではあるもののほとんど話したことはなかったのだが、黎とはものの数分で仲良くなってしまった。 「はい、これ。あ、さっき濡れた雑巾で触れてないよな?」 「おー、うん大丈夫。ギリギリだったけど、セーフだったよ。ごめんなー、俺ピアノなんか触ったことねえからさ。危ない危ない」  そう言って、田岡は白い歯を輝かせながら笑う。隣で黎が 「本当だよ。水拭きされたらどうなるかまでは知らないけど、直前で気づいて止められて良かった。弁償とかになると大変だぞ」  と苦笑した。  三人は、滅多に使われることのない教室に蔓延る特有のカビ臭さと格闘しながら、少しずつ埃を払うことから始めていった。よほど長い間放置されていたのか、埃は固まっていてなかなか綺麗に落ちない。掃除を自分ですることが無いような家に育った三人にとっては、これはそれなりの重労働だった。 「なあ、これちょっと汚すぎねえか? 戸田ちゃんこの教室の掃除してねーだろ。担当学科の教室くらいちゃんとしとけっつうんだよな。クラス担任持ってねえくせに。なあ、最上」  田岡に水を向けられた光彰は、まるでそれが当然であるかのように、サラリと彼を無視して通り過ぎていく。まるでそこに誰もいないかのような態度を取り、何事も無かったかのように窓を拭き始めた。その態度はあまりにも酷い。 「田岡、ごめんな。あいつ誰にでもあんな感じだからさ……」  黎がたまらずに慰めようとすると、田岡は逆にその黎の手を掴んで、興奮気味に笑い始めた。なぜかその目は、とても貴重なものを見たかのようにキラキラと輝いている。 「あっははは! 最上の態度が酷いっていう噂って本当なんだな。俺あんまり教室に行かないから、噂しか聞いたことがなかったんだけど……本当にやべー奴だな、お前。マジで柳野以外の人間をゴミのように見るんだな。さっきの顔……あんなのダメだろ! おキレイな顔が台無しだぞ!」  そう言って腹を抱えて笑い始めた。 「え? それって笑うところなのか?」  黎は驚いてしまった。光彰の態度が王様然としていることに関して、こういう反応をした人を黎は知らない。あまりに予想外だったため、田岡にうまく言葉を返せずにいた。 「あー、やべえ、腹痛え」  涙を流しながらも笑いを堪えようとするのだが、目の前にいる光彰が無表情で窓を拭いているのを見て、笑い始めてしまう。そのループに陥った姿は本当に楽しそうで、見ている方の胸がすくような爽快感を与えてくれた。  そして、当の本人である光彰はというと、一見すると何も感じていないように見える。しかし、その表情は黎がこれまで見たことがないほどに穏やかなものになっていた。その小さな変化の中に、光彰が田岡に興味を持ったことが表われていた。彼がはっきりと言葉にはしなくとも、黎にはそれがわかってしまう。 ——光彰、喜んでるな?  いつも周りから勝手で横暴な人間だと誤解されていく彼の幼馴染は、かつてはその誤解を解こうと頑張っていた頃もあった。しかし、どれほど努力をしても結局は意図しない方へと誤解され続けたために、次第に疲れてしまったのだ。だんだんと周囲に心を閉ざすようになっていった。いつしかそれが当たり前のように思われるようになり、誰にでも優しかったかつての光彰を知っている友人は、もはや黎だけになっている。 ——友達が増えるといいな、光彰。  ずっと周囲からの心無い評価を受ける光彰に、黎は心を痛めていた。誤解を解こうと必死になるあまり、自分も一緒に孤立していったのはわかっている。黎がどれほど頑張っても超えられなかったものを、田岡は軽々と超えていくのかもしれない。そう思うと、こうして光彰に接してくれる田岡に、彼は強い感謝を覚えていた。

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