14 / 46
第14話 隠されているもの_黎の体1
「黎、大丈夫?」
千夜が心配そうに黎へ声をかける。幼い頃から体の弱かった彼は、時折こうやって倒れていた。これは彼らの家族に共通した体質のせいでもある。千夜も生前は時折こうして倒れていた。
光彰は柳野の血筋に共通するこの体質に詳しいため、少しも慌てる様子を見せない。慣れた手つきで彼をゆっくりと抱き上げると、青白くなった黎の頬を優しく撫でた。
「……タイムアップだな、千夜。悪いがもう戻ってもらえるか? 黎の体を狙ってるやつがいるみたいだ。こちらへ寄って来てるものが数体いる。お前が先に入って阻止してくれ」
黎はだらりと腕を垂らして光彰に抱かれていた。彼らの特性上、このままでは下手をすると命に関わってしまう。その様子を見て、千夜も心配そうに弟の頬に触れる。
「私が戻れば大丈夫なの? いつも私がいないとこんな風になってるの?」
冷たい千夜の手が触れても、黎は身じろぎ一つしない。
「そうだな。お前がいなくなって黎が意識の内に深く潜り込んでしまうと、どうしてもこうなってしまう。ただ、お前がいない時は基本的にいつも就寝中で、俺が隣にいるから問題はない。そのために寮長室に黎を住まわせるようにしてもらってるんだ。ただ、部屋の外でお前を切り離したのは初めてだから、そろそろ戻さないと危険だろうな。魂の欠けた部分を狙って、他の浮遊霊が入り込もうとするかもしれない」
千夜はそれを聞いて黎へ申し訳ないと思ったのか、頭を撫でながら「ごめんね」と呟いた。そして、光彰へ頭を下げる。
「依代 になってもらってるんだから、守ってあげないといけないわよね。わかったわ。私が知りたいことは、急いだって仕方がないことばかりだし、今夜はおとなしく戻るわね。だから、あんたは黎をしっかり守ってちょうだい。そしてちゃんと話すのよ。柳野の人間はみんな、最上の能力者に協力するために依代 になってるってこと。私は黎の体を半分使わせてもらってるってこともね」
千夜はそう言って自分の耳朶あたりを指差し、何度かトントンと叩いた。
「……わかっている」
渋々そう答える光彰に、千夜は呆れたような目で彼を見た。光彰の表情が、まるで不安に怯える小動物のように弱々しいものに変わっていたからだ。
「ねえ、光彰。あんた、何をそんなに怖がってるの? はっきり言えばいいじゃない、黎と私はこの三年間ずっと一緒だったって。なんで言わないのよ。黎にそれを知られると何か困る理由でもあるの?」
千夜は常々そのことを疑問に思っていた。光彰が黎を大切にしている割に、柳野の仕事を告げようとしない理由がわからないのだ。光彰は、このことだけはいくら訊いても絶対に話そうとはしない。
千夜が亡くなって、三年が経つ。そう思われている。しかし、実は彼女はまだ生きて生きているのだ。そのことは限られたものしか知らされていない、超極秘事項となっている。その体は最上家が隠している。なぜか体に戻ろうとしなかった彼女の魂を、この世に繋ぎ止めるために黎の体に住まわせているのだ。
心残りがあるまま完全な死を迎えてしまい、そのまま数年経ってしまうと悪霊化してしまう可能性が高い。それが生き霊という形であっても同様だ。それを防ぐために、光彰は千夜の魂を黎の体に止まらせることで、植物状態を保つことにしたのだ。
そのことは千夜本人と光彰、そして光彰の父だけしか知らない。それ以外の者には決して知られてはならない、重大な秘密だ。
「何かあったとしても、それは小さなことなんじゃないの? 体が勝手に使われてたことを後から知ると、黎は傷つくと思うわよ」
眉根を寄せて苦しそうにしている光彰に、千夜は諭すようにそう言った。しかし、これも初めてではない。何度そう言っても、彼はそれをはぐらかそうとするのだ。
「そうだな。それはわかってる。でも……」
どうやら彼自身もどうすることが最善なのかが分かっていないらしい。困惑する光彰の反応を見て、千夜は思わず吹き出してしまった。それを『時計塔の千夜』がぼんやりと眺めていた。ゆらりと彼女の姿が揺れている。
「……お前が自分の体の中にいると知ったら、きっと黎は喜ぶだろう。でも、それを知った時に黎が引っ掛かることがあるはずなんだ。俺はそれを避けたい。ただ、それが何なのかは、悪いがお前にも言いたくないんだ。他の人間にとっては大したことじゃない。ただ、俺にとっては大きな問題だ。……そういえば、お前ならわかるだろう?」
そういった光彰の顔は、月明かりでもはっきりわかるほどに紅潮していた。千夜はそれを見て一瞬目を見張ったが、すぐにケラケラと楽しそうに笑い始めた。
「全くあんたは……早く覚悟を決めなさいよ!」
楽しそうに腹を抱えて笑い、そう言った。その笑い声は、真夜中の校庭に朗々と響き渡っていく。普段ならば、その声は光彰にしか聞こえないので問題は無いだろう。
しかし、今の彼女は実体化している。それは人間が夜中に馬鹿騒ぎをしているのと、なんら変わりは無い。
「バカっ! 大きな声を出すな……」
光彰は慌てて千夜へ近づくと、息を吹きかけた指先で彼女の耳もとに触れた。そしてそこをトントンと軽く叩く。すると、彼女の体は一瞬にして消え去った。
ちょうどその時、午前三時を迎えた。鐘は鳴らず、代わりに短針が動いた重たい音が響く。
「全く。死んでからも自由だな、あいつは」
そう呟いた光彰の手には、二つの楔が握られていた。
しん、と静まり返った時計塔は真っ暗になっていた。いつの間にか尖塔を照らす光も消え、そこにあったはずのものは、時計塔を残して全て消えて無くなっていた。
「……あいつも消えたか」
見上げた先には、ついさっきまでいた少女の姿が無くなっていた。丑三つ時が過ぎ、神々の動く時刻がやってくると、『時計塔の千夜』は魑魅魍魎と共にその場から姿を消していた。
◆
「最上くん。今日の放課後、校長室に来てくださいって。伝言頼まれたよ」
春の風が吹き抜ける午後、光彰と黎は前日の約束通りに校庭のベンチで昼食をとり、二人揃ってのんびりと昼寝をしていた。そこへまた伝言を携えた八木がやって来た。伝書鳩のように的確に伝言を届けてくれる八木は、教師たちからいつもいいように使われている。本人もそのことを自覚しているようなのだが、八木自身はそのことを気にしていなかった。むしろ、それくらいのことで評価が良くなるのであれば、それは利点でしかないと言っていつも笑っている。
昼寝というにはしっかり眠り込んでいた光彰と黎は、なかなかはっきりと目を覚す事が出来ず、しばらく八木の声を夢現に聞いていた。
「おーい、最上くーん」
八木は何度も彼に声をかけるものの、光彰は一向に目を覚さない。昨夜かなり遅くまで起きていたからか、珍しく彼も眠気に勝つことが出来ずにいた。人目につきにくい場所を選んでいたこともあって、警戒心も緩んでいたのだろう。黎をしっかりと抱きしめて眠っているところを八木に見られてしまった。
「ねえ、ちょっと。そんなにラブラブな姿を見せられると、見てる方は困るんだけど。柳野くんも困るんじゃないの? 君は困らないんだろうけどさ。ほら、起きて!」
八木はやや慌てて光彰の肩を揺すった。なかなか夢から抜け出せないらしい彼に苛立ちを感じ始めた頃、ようやくその瞼がピクリと動いた。
「……ん? 八木?」
どうにか目を覚ました光彰は、目の前で驚愕の表情を浮かべる八木を見て事態を察した。
「……見た?」
八木は小さく「うん」と答える。その頬に、僅かに赤みが差していた。光彰は一瞬狼狽えた。黎を抱きしめていたこと自体は見られても構わない。しかし、気が付かれてはいけないことがある。
「何か変なもの見てない?」
「変なもの? 君が柳野くんを抱きしめてるところなら見たよ」
すると、光彰はさらりと
「いや、それはいくら見てもらっても構わないんだが」
と言った。そして、抱きしめたままの黎の髪を手で梳いていく。サラサラと風を纏いながら落ちていくその明るい髪の下には、穏やかな寝息を立てて眠る黎の艶のある寝顔があった。
「君は柳野くんに恋愛感情を持っているのかい?」
八木がそう訊ねると、光彰はあっさりと
「そうだな。でも、そんな事はみんな知ってるだろう?」
と返した。その衒いのなさに、八木は思わず吹き出してしまった。どれほど彼が黎以外の人物を気にかけていないのかが、その言葉に込められていた。
「あはは。いやまあ、そうなんだけどね。柳野くんは……。いや、まあいいや。それより、また伝言を預かってるよ。今度は一人で校長室へ来て欲しいらしい。それも、なんだかあまりいい話じゃ無いようだったよ。きみ、何かしたの?」
「校長室に? あー、わかった。……やっぱりあの時誰かいたんだな。いや、何かしたというよりは、俺の存在そのものが気に入らないんだろう。ペナルティを与える口実をずっと探してたんじゃ無いかな」
光彰はそう呟くと、八木へ笑いかけた。そして、黎の肩を優しく叩いて揺り起こす。
「黎、そろそろ起きろ」
そう声をかけながら、校長室をチラリと覗いた。直接人に見られることは避けられるような場所を選んだが、唯一彼らを見つけられる場所がある。それが、校長室だった。敢えてそこを選んでいた光彰の視線の先には、思った通りに窓辺に立ってこちらを伺っている校長の姿があった。
校長の恵那は、何かと彼らを監視している。少しでも父の辰之助を追い落とせる材料を探しているようで、毎日のように彼のじっとりとした視線を感じていた。
しかし、光彰はその程度の嫌がらせに屈するタイプではない。どれほど監視されようと、何かにつけ嫌がらせをされようと、大して気にも留めていなかった。
「黎、起きろ。起きないとキスするぞ」
光彰のその言葉に、黎は突然パッと目を開いた。そして、彼なら到底しないような勝ち気な様子を瞳に浮かべ、にやりと笑う。
「お前……、今は出てくるな。そばに生徒が……」
制止しようとする光彰の手を振り解き、黎は立ち上がった。そして、八木へにこやかに笑いかけながら手を振る。
「え?」
八木は突然振り撒かれた黎の愛想に驚き、見慣れない様子に戸惑っていた。
「柳野くん……だよね?」
呆気に取られている八木に、あろうことか黎の体を乗っ取った千夜は、にっこりと笑顔を返した。その笑い方は、明らかに黎のものではない。
焦る光彰を尻目に、黎 は突然立ち上がると、桜が舞う校庭から真っ青に晴れ渡った空を見上げた。
「わあ、キレイだな」
光彰は、千夜が黎の体を使うことができる時間を、彼が眠っている間だと指定している。そのため、普段は夜中になることが多い。こんな風に青空の下を堪能出来る日はとても貴重だ。彼女はその喜びを噛み締めるかのように、深く息を吸い込んだ。そして、春の香りを体中に巡らせては、その喜びを噛み締める。
「あー、走りたくなっちゃった。ほら、八木くんも光彰も行こう。……遅れるよ!」
そう言って笑うと、両手を広げたまま校庭を風のように駆け抜けた。
ともだちにシェアしよう!

