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第36話 別れへ_葉咲輝1

「危機いっぱーつ。と、言いたいところなんだけど、このクスリ精神依存性があるから、私にも影響あるかもしれないのよね」  そう言って(千夜)は気だるそうな様子でベッドに腰掛けた。確かに入れ替わる直前の黎の精神状態を思うと、千夜に影響が出てしまっても不思議ではない。 「大丈夫か? 依代の精神状態が良くないと、お前も辛いだろう?」  珍しく殊勝な態度を見せる光彰に、(千夜)は少しだけ表情を緩めた。綺麗に整えられたベッドに座ると、嬉しそうに笑う。 「うん、大丈夫。ねえ、今のあんたの声の掛け方、ドキドキしちゃうんだけど。昔のことをちょっと思い出しちゃったわよ。あんた本当は優しいもんね。いつもそうしてればいいのに」  (千夜)は懐かしそうに目を細めながら、光彰の肩をポンと叩く。その表情の中に、千晃の面影がちらついていた。光彰が悩みを相談する度に千晃は優しく微笑んで彼を励まし、いつもこうして背中を叩いて激励してくれていた。 「そうか? 俺はいつも通りのつもりだぞ」  光彰はいつものようにぶっきらぼうな口調で、(千夜)にそう答える。そして、彼女の隣に座った。シングルベッドの上に三人分の体重がかかったことで、ぎしりとフレームが軋んでいく。 「……何か思い出したのか?」  膝を抱くようにして座る千夜にそう声をかけると、彼女はゆっくりと逡巡するように目を伏せた。体は黎のものだが、千夜がそれを借りると、彼女の身体的特徴が一部現れる。長く豊かなまつ毛と、銀髪の長い髪が現れた。その二つに憂いの色を忍ばせながら、深いため息をついていた。 「この間見たニセ千夜が、誰なのかわかった」 「黎が、それを追いかけて校庭に行こうとしてた時のことか?」 「うん。あのニセ千夜、男だったのよ。スカートが靡いた時にね、見えた足が……。間違いなく男だったのよ」 「……それは、あの時見た千夜はホログラフィじゃなくて、生きた人間の男がお前の真似をしていた、ということか?」 「そう」  光彰はあの時の光景を思い出だそうとした。  確かに、あの日のニセ千夜は、いつものホログラフィに比べて解像度が高かったように思っていた。でも、それは彼女がいた場所が近かったからだと彼は判断していたのだ。それに、あの時も黎が暴れていたため、それ以上のことは確認する暇がなかった。まさか、そこにいたニセ千夜が実際の人間であるとは思いもしなかった。おそらく、それは八木もそうだろう。 「しっかり確認できたんだな? 男のものだって言い切れる根拠は? 何かあったのか」 「……その人の足に、私が知ってる傷跡とあざがあったの。見間違えようがないほどに、ひどい傷とあざ。その人と同じ人物だとしたら、男なのよ」 「傷跡とあざ? どんなものだ」  光彰の問う声に、(千夜)はまた大きくため息をついた。両手で顔を覆い、声を詰まらせていく。指の隙間からはきらりと光るものが見え、それが黎の制服のシャツを濡らした。 「お前が知ってるやつなのか? でも、お前友達いなかっただろう?」  光彰がそう言うと、(千夜)は「そうだけど」と小さく答えた。苦しげに刻まれていた眉間の皺は緩み、気が抜けた様子で光彰を叩いている。 「余計なこと言わないでよ。調子狂うでしょう?」  そう言って落ちてきた髪を、また耳にかけていった。光彰は千夜のその様子に安心したのか、穏やかに笑っている。 「思い出すのも苦しいのに、笑わせないでよ」  (千夜)は鼻を啜りながらも緊張を緩めて笑い、ハンカチを取り出して涙を拭った。その様子を見ていた光彰は、ふとあるものが気になった。顔を近づけて(千夜)の首元を覗き込む。そこには、小さな点がいくつか見えていた。 「千夜、これはどうした?」  そこは、光彰がいつも楔を打つ場所だ。小さなホクロがいくつか並んでおり、いつもその上から楔を打っている。そうすると傷跡が目立ちにくくなるからだ。彼はいつも黎の体へのダメージが最小限で済むように配慮していて、ホクロの色で傷が見えなくて済むようにしていた。しかし、そのホクロの群れの隙間に、色の異なる小さな丸い跡を見つけた。それは、明らかに楔の跡とは異なるものだった。 ——これは何か良く無いものだ。  そう判断した光彰の心臓が、胸壁を突き破りそうなほどに跳ねていく。 「身に覚えがあるか? 俺がいつも楔を打つ場所の近くに、小さな傷がいくつかあるんだ」 「傷? ううん、私は知らないわ。ここ? こんなところに傷なんかつける方が大変じゃない?」 「そうだよな……」  そこには、虫に刺されたような小さな傷がいくつか点在していた。大体同じ場所ではあるが、出来たタイミングが違うようで、治りかけているもの、真新しいもの、その中間ほどのものが見えている。千夜はそれに全く覚えが無いらしく、不思議そうにそれがあるあたりを手で触った。 「やだ、なにこれ……気持ち悪い。注射が下手な看護師さんに何回も刺されたみたいね」 「注射? まさか……」  光彰が何かに思い至ったような顔をした。そして、その口を開こうとした時、突然部屋のドアを軽快にノックする音が鳴り響いた。 「最上くん、ちょっといい?」  なんの連絡もなく突然尋ねて来たのは、八木と葉咲だった。滅多に無い組み合わせの彼らに驚きつつ中へと招き入れると、葉咲が突然土下座をしてある事を話し始めた。  今日の放課後に『キングの怒り』が購入出来る何かであるということを教えてくれた当事者が、実は自分も購入していたという。回りくどいことが嫌いな光彰は、少しでも彼からの攻撃を避けようとして話を運ぶ葉咲に、酷く苛立たされることになった。 「……なーるほど。で、実は葉咲(お前)も『キングの怒り』を買ったことがある、と。ただ、自分が購入した当事者だっていう事を話すと将来に関わると思ったから、そのことは言えなかったってわけだ」  葉咲は光彰がそうなることを見越して、先に人当たりのいい八木へ相談してから、二人でここへ来たらしい。彼の目論見通り、光彰の怒りは幾分抑えらることが出来ていた。しかし、彼は恵那の甥であり、それを笠に着て今までいいように過ごしていた。光彰はその事自体に不快感を持っている。面と向かって話をするには、あまりに不快な相手だった。 「お前な……俺は停学になったんだぞ。人に謂れのない罰を受けさせておいて、それでも言い出せないほどのものなのか、その『キングの怒り』がなんなのかということは。薬物なんだろう? それを買っていたことがバレるとどうなるんだ。お前の将来が潰れるほどのものなのか? そんなことをしておいて素知らぬふりを出来るような小物の将来など、俺にはどうでもいい」  高圧的にそう言い放った光彰に、今度は葉咲が苛立ちを見せた。そして、 「お前のためだけなら、本当のことなんて一生言わなくてもいいかなと思ってるよ。今でもな」  と食ってかかる。人との付き合いが下手な光彰には、自分から話しかけただけでも実は大進歩だ。しかし、それを正しく理解できるのは、黎と八木だけだろう。 「葉咲くん、光彰の高圧的な態度については、申し訳ないけど見逃してあげてくれ。これでも俺が長年かけて指摘し続けてきて、マシになった方なんだよ」  (千夜)が執りなそうとしてそう言うと、葉咲は顔を顰め「これで?」と返した。八木はそれを見て思わず吹き出す。 「いや本当だよ、葉咲くん。僕だって伝言を始めた最初の頃は、あまりの態度の悪さに『なんだこいつ』って思ってたんだから。でも、気を許してくれると雰囲気は和らぐよ。最上くんが本当はどんな人なのかっていうのは、そのうちわかるんじゃ無いかな」 「まあ、八木がそう言うなら信じるけど……」 「それに、いくら最上くんを嫌いだからと言っても、人に罪をなすりつけたままにしていたことは良くないよ。で、そんな君がなぜ急に話そうと思ったんだい? 言いたくないなら、ずっと黙ってても良かったんじゃないの?」  八木は葉咲の根本的な誤りを指摘したのちに、それをさらりと流して話を進めようとした。光彰と違ってそういう気遣いをしてくれる八木に、葉咲はほっと息を吐いた。 「そうだな、元々は俺が悪いんだ。それなのに、最上に罪をなすりつけるようなことをして、悪かった。ごめん」

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