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第37話 別れへ_葉咲輝2
意外にもあっさりと光彰へ謝罪した葉咲に、三人はかえって危機感を抱いた。これは異常事態だ。これまでずっとひた隠しにしてきたことを、これほどあっさりと白状してしまうほどに、葉咲は追い詰められているということだろう。それは一体、なぜなのだろうか。
「で、キングの怒りは……」
「『キングの怒り』は、飲むと気分がふわふわして、嫌なことが忘れられるっていうクスリだよ。でも、身体的依存性は低くて、精神的依存性はごく僅か。だから、たまに使う程度なら問題無いって言われてんだよ」
一気に言い放った葉咲は、ぎゅっと目を瞑り拳を握りしめて震えていた。それを言うことでどんな反応をされるのかと思うと、怖くて仕方が無いのだろう。身を小さくして、必死に崩れ落ちないようにしている。
「それは、これのことで間違いないか?」
光彰は、冷静さを保ったままで、葉咲にポケットから取り出したものを確認させた。それは、かつて小野が黎に飲ませたことで幻覚を見ることになってしまった、あの甘味料だった。
「そう、これだよ。でも、これは多分一番軽いやつだ。色がついてるだろう? 『キングの怒り』は濃度が上がるにつれて、無色透明の飴玉になるんだよ」
それを聞いて、黎 の顔色がすっと青くなった。黎が使っていた化粧水は、無色透明だった。精製が進むと無色透明になるという事であれば、黎は純度の高い麻薬を摂取していたということになる。大切な弟がそんな目に遭わされていたというわけだ。それは、彼女にとって残酷な知らせだった。
「そんな。知らないうちに純度の高い麻薬をやらされてたなんて……」
|黎《千夜》は絶望感に満ちた声でそう呟く。それを聞いて驚いたのは、葉咲だった。
「お前が? なんでだよ。お前はそんなのわざわざ買ったりしないだろう?」
「当たり前だ! 黎が自分からそんなことをするわけがないだろう! 小野だよ、小野から盛られたんだ。お前は何か知らないのか? 小野だって人にクスリを盛ったりするようなやつじゃ無いはずだ。何か事情があったとしか思えない。それに、おそらくだけど温田見もこれを使ってたんじゃ無いのか? 転落事故で亡くなった生徒は、みんなこれを使って幻覚を見ていて、時計塔から落ちたってことじゃ無いのか?」
痺れを切らした光彰が、葉咲に向かって一気に捲し立てていく。田岡の時同様、いや、その時よりも激しいそれは、獅子の咆哮そのものだった。明るい色の髪を振り乱して掴み掛かるその姿は、側から見ていても肝が冷える。体から溢れたエネルギーが、その命を喰らおうとして弱者へ襲いかかっていくように見えた。葉咲は思わず腰を抜かし、その場に座り込んでしまった。
「こ、今年の春になって、柳野黎を最上光彰から引き離せって、売人から客宛に逆依頼がかかったんだ。そうしないとクスリの値段を上げるし、使ってることをバラすって脅された」
それを聞いて、黎 は背筋が冷えるのを感じた。どこの誰かもわからない人から、光彰と弟の仲を引き裂かれようとしていたことにもショックを受けたが、そんなことのために人が死んでいるのかもしれないという事実が衝撃的だった。
「なんで? 黎はどうしてその売人に恨まれてるの? しかも、それに巻き込まれた人が死んでるなんて……」
ショックに打ちひしがれた黎 は、くらりと目眩をおぼえた。よろける彼女を、光彰がそっと支える。
「ごめん、ちょっとクラっと来ちゃった」
光彰の服にしがみつきながら、黎 は押し寄せる不快感に飲まれないようにと、必死に気持ちを奮い立たせていた。光彰はそんな黎 の背をそっと支えている。その手は、変わらず力強かった。不安に揺れる心がそれによって安心感を得られるほどに、光彰の存在は圧倒的で大きい。
「黎 、お前も俺も何も悪くない。薬物が欲しいからと言ってそんな脅しに乗った奴らが悪いに決まっている。それに、俺が誰と一緒にいようがそいつには関係無い話だ。そんな勝手なやつに振り回されるなんてごめんだ」
光彰は黎の体を支えたまま、葉咲に向かってきっぱりと言い切った。葉咲はその光彰の顔を見て、何かを悟ったように力無く微笑んだ。
「そうだよな。俺たちがいくら何をしようと、お前の人生にはなんの影響も無いと思うよ。そんなこともわからなくなってたなんて……。俺たちは本当にバカなんだよ」
そう言って肩を落とした。すると、しばらく成り行きを見守っていた八木が「ねえ」と突然口を挟んだ。そして、葉咲のスマホを指差す。
「そのクスリってさ、ネットで買ってたんだろう? そのサイトって今は見れないの?」
お互いに興奮気味になっていた二人は、八木の落ち着いた声で我に帰った。所在なさげにしている葉咲に、黎 が「どうなの?」と畳み掛ける。
「あ? あーうん。見れるよ。えっと、……これだ」
そこには、必要最低限の文字情報だけが書き連ねられた、簡素なサイトがあった。本当に売買目的だけで使用されているらしく、それ以外の情報は一切ない。購入意欲を引き立てようという意思も感じられず、かえってそれが不気味だった。
「なあ、葉咲。ここにある電話は売人のものか? 随分簡単に連絡がつくんだな」
光彰が指で指し示した場所を見ると、日本国内の連絡先が載っていた。そのリンクにかければ、そのまま売人に繋がるらしい。なんとも不用心で無警戒なその仕組みに、三人は首を傾げた。
「この番号にかけて出たやつは売人だと思って間違い無いんでしょう? 無警戒すぎない? 捕まることが怖くないタイプなのかね」
「あー、それは俺も思ったんだけど。こいつ、在庫置かないらしいんだよ。材料になる植物を持ってるだけじゃ法に触れないらしいんだ。作るのにもそんなに時間がかかるわけじゃないって言ってた」
葉咲のその言葉を聞いて、光彰が眉間に皺を寄せた。記憶の中からそれに該当するものを探し出そうとする。いや、探すフリをしていた。
「材料の植物だけじゃ法に触れない? そうなのか? 大麻とかは栽培も免許を持ってないと違法だろう? 免許を持っているような法人が、薬物を作って勝手に売るようなバカなことはしないだろうし」
そう言いながら、光彰は葉咲のスマホからその番号に繋げる準備をした。
「材料はサボテンで、そのサボテンは園芸で人気らしいんだよ。棘が無くてツルツルしてて、見た目が可愛いやつらしい。園芸で使う分には問題無いから、注文が入らない限りは捕まらないって書いてある説明書を、最初に購入した時にもらったよ」
葉咲の説明を聞きながら、光彰は躊躇いなくコールする。
「ツルツルのサボテン?」
八木は記憶の糸を辿った。ついさっき、反省指導の後に黎とその話をしたばかりだということに気がつき、体に戦慄が走った。
「おい、それって……」
そして、その先の言葉を口にするより先に、光彰の手に口を塞がれた。
「……まずいな」
光彰はそう呟くと、部屋の入り口を指差した。すっと伸びた美しいその指先にあるドアの向こうから、無機質な着信音が無人の廊下に反響している。そして、それはだんだんとこの部屋の方へと近づいて来ているようだ。
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