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第41話 別れへ_総領からの命令1
「千夜、そこにいるよね。柳野くんの中にいるのは、君だよね」
才見はまだ動かしづらいのか、必死になって体を捩りながら千夜へ手を伸ばそうとした。その手が震えているのは、スタンガンによる影響だけでは無い。失って三年経つ最愛の恋人にようやく会えた喜びが、その胸を震わせていたからだ。
そして、彼は迷いなく黎を千夜と呼び、真っ直ぐに彼女を見つめている。
「……会いたかった。僕にそんなことを言う資格なんて無いけれど、でも、会いたかったよ、千夜」
黎 の頬へと手を伸ばした才見は、その瞳が自分を同じ熱量で見返していることに気がついた。それは、千夜が過去を思い出したことを意味する。彼としては、最愛の人と触れ合える自由を取り戻せた喜ばしい場面だろう。その顔には、喜びの色が濃くなっていく。
「先輩……」
千夜はその手を握り、両手で包み込んだ。そして、無言のままに何度も頷く。ただし、彼女は才見とは違って手放しで喜んでいるわけではない。今目の前にいる恋人は、かつて彼女が愛した人とは似ているようで違うからだ。
彼女は、この三年間それをずっと見ていた。見てはショックを受け、その度に記憶をなくしていた。才見はそのことを知らない。彼女が黎の体の中に生きていることを、ただ運命が自分たちを引き合わせてくれていると都合のいいように受け取ったいた。
「先生、あんたは黎の中に千夜がいることに、いつから気がついていたんだ」
光彰がそう声をかけると、才見は面倒くさそうにちらりと彼へ一瞥をくれた。しかし、唯一無二の恋人のことを聞かれているのだと浮かれているからか、敵視している光彰に対してさえも嬉しそうに笑いかけてしまう。
「柳野くんの中に千夜がいることかい? ……二年前の秋だったかなあ。僕その年に、ここに教育実習で来たんだ。その時、時計塔で物思いに耽ってる彼を見かけたんだよ。立ち入り禁止にしてる場所だから注意しようと思って近づいたんだけど、その時ちょっと揉み合ったんだよね。それで、すごく近くで目が合って……すぐにわかった。これは千夜の目だって」
確かに、才見は二年前にここへ教育実習でやって来ていた。その年、キレイな顔をした実習生がいると噂になっていたのを、光彰も知っている。人に興味の無い彼がそれを認知していたということは、周囲ではかなりの噂になっていたのだろう。それを証明するように、葉咲が何かを思い出し、大声を上げている。
「そういえば、二年前の実習生にめちゃくちゃかっこいいけど、信じられないくらい日焼けしてる人がいたんだよ。物腰は柔らかいけれど、その日焼けのせいですごく軽く見えるよなって言われてた先生。あれが先生だったのか?」
「僕だね」
才見は恥ずかしそうに笑いながらそう答える。すると、八木がそれに横から口を挟んできた。
「その日焼けは、アザを目立たなくするためだったのか?」
八木の問いに、才見は苦笑した。そして頷くと、
「他に方法が分からなかったんだよね」
と答えた。確かにこの夥しい量のアザは、包帯を巻いたりして隠し切れるものでは無いだろう。才見は自分の肌を手のひらで摩りながら、苦しげに眉根を寄せた。
「千夜の葬儀の時、遺体はひどい状態だからと言って、参列者には見せてもらえなかっただろう? だからいつまでも死んだって信じられなくて、ずっと彼女を探してたんだ。時計塔から落ちたんだから、時計塔の近くにいれば会えるんじゃ無いかなって思って。ここで教師をしてれば、いつかは会えるんじゃ無いかと思ったんだよ。千夜に恨んでもらえてたら殺して貰えるだろうから、分かりやすい場所にいたほうがいいかなって思ってね。でも教師になろうとしてるのに、まるで全身タトゥーみたいなアザがあると支障があるかなって思って、なんとかして隠したかったんだ」
才見はまるで恋愛ドラマの主人公のように、うっとりとした目で千夜を見つめている。障害を乗り越えて共になるという流れであるのであれば、それは受け入れられるだろう。だが、千夜はその意思を確かめられることなく才見に殺されている。それも、彼は直接手を下すことをせずに、クスリに頼って自殺を装わせていた。そのことを考えると、どうしても光彰の胸にどす黒い感情が湧き起こってしまう。そして、どうやらそれは八木も同じようだ。汚いものを見るような目で才見を見て、大きくため息をついた。
「お前は、千夜さんに自分を殺してもらえれば、それで気が済むのか?」
その八木の問いに、才見は即答した。
「そうだよ。戸田に抱かれるのも、あいつのパトロンたちの生贄にされるのも『キングの怒り』があればどうにでもなる。でも、千夜がいないと幸せだって思えない。千夜を取り上げられるのだけは嫌だ。だから最上くん、君を柳野くんから引き離したい。千夜が入ってる体を、君がベタベタ触ってるのを見てられないんだよ」
才見はそういうと、千夜の手を引き寄せた。バランスを崩した千夜が、彼の体にのしかかる。
「ちょ、っと……」
千夜は、黎の体に他人が手を触れることを、光彰が酷く嫌がることを知っている。慌てて立ちあがろうとするが、才見は思ったよりも力があった。彼は、黎の体をそのまま腕の中へと閉じ込めると、自分のものだと主張するように光彰を睨みつけた。
光彰はその姿を見て、才見を哀れに思っていた。彼がこの数年で変わってしまったのだと、それを見ているだけで分かったからだ。少なくとも、千夜が光彰に話して聞かせていた「一哉先輩」であれば、今の彼がしていることがどう問題があるかは分かるだろう。今の彼にはそれが見受けられない。長く続いた喪失感が、彼を身勝手な男へと変えてしまったようだ。
「見てられないと言われてもなあ……。その体は黎のものであって、千夜のものではない。千夜がその体を使うことが出来るのは、仕事をする時だけだ。それが終われば、その魂は自分の体へと戻っていく。不自然に止めれば、そのうち消滅するだけだぞ」
「消滅? この体に居続けようとしたら、消えてなくなるのか?」
千夜の体は、最上家に安置されている。あの肉体は、魂の出入りが辰之助によって管理されていて、使役霊としての仕事を終える度に体に戻るようにしていれば、どうにかこの世にとどまることが出来ていた。
「そうだ。そして、千夜の魂がこの世に止められているのは、俺からの命令で清水田学園高校の転落事故を調査するように言われているからだ。それはつまり、千夜自身がこの件について調べたという事だぞ。才見、お前はその意味がわかっているのか?」
「千夜が調べた? どうやってそんなことを……」
狼狽える才見に、八木が口を挟んだ。その口調は、これまでの彼の口ぶりの中では最も攻撃的で、光彰ですらやや狼狽えてしまうほどのものだった。
「あんたさあ、やっぱりちゃんと分かって無いだろう? 千夜さん、今生き霊なんだよ。体は仮死状態、魂だけで存在してる。それはつまり、幽体としてウロウロ出来るってことだよ。隠し事なんてできねーの。俺や柳野や光彰に隠していたことも、千夜さんには全て見られてるんだよ。彼女がいるのに柳野を好きになって悩んでいた温田見、温田見に死なれて落ち込んでいた小野、戸田を好きになったばっかりに利用されて、不倫に悩んでクスリに手を出した田岡。三人に親切なふりをして近づいて、落として死ぬのを見て笑ってたらしいじゃねえか。誰がそんなやつを好きでいると思う? お前はもう千夜さんと幸せになる資格なんてない。捕まえられてさっさと死刑にでもなれ!」
八木は、潜入捜査のために三年間ずっと控えめな生徒を完璧に演じて来た。自室でタバコを蒸す姿や、アニメのキャラクターを溺愛しているなどの素の姿を見せられるのは、光彰と黎そして千夜だけだからと言って、いつもこの部屋では思い切り寛いでいた。そんな関係を築いていた光彰たちでも、八木が激情をぶつける姿を見たのはこれが初めてだった。その溜め込まれていたであろうエネルギーの爆発は、葉咲を震え上がらせていた。
「八木くん、どうしたんだ。い、言いたいことはわかるけど、少し冷静に……」
「なれないね」
そう言うと、八木は生徒手帳を取り出した。その中から綺麗に保護された写真を取り出す。そこには、美しい黒髪を靡かせて笑う女子生徒が写っていた。光彰はその写真を覗き込むと、八木へ問いかけた。
「ここの生徒か?」
すると、八木はその写真をじっと見つめたまま、寂しそうに答えた。
「これは、俺の姉だ。千夜さんが亡くなった一ヶ月後に、時計塔から落ちて死んだんだ」
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