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1-7 口移し、それはキスであってキスではない

 私と青藍(せいらん)は、顔を見合わせてお互いに頷く。おそらく、青藍(あれ)海璃(かいり)くんだろう。  なぜわかるかって? そんなの簡単よ。だって、ここで眠っている元モブ暗殺者くんは、彼が片思いしている"ある人物"を参考にこの私がデザインしたキャラなのだ。  仮にも現実世界で片思いしていた子に髪と瞳の色以外そっくりな、この隠しルートのヒロイン(男の子)に対して、自分以外の者が口移しをするなんて見ていられないはずだ。  実際はめちゃくちゃマズくて苦い煎じ薬を、病人に飲ませてあげる善意ではあるが、そこに好意があったら後々自己嫌悪してしまうかもしれない。  だが自分以外の他人がその行為をする姿を見なくてはならないとしたら、話が違ってくる。  雲英(うんえい)は十六歳の少女という設定で、この眠っているヒロインは十五歳、青藍は十八歳で、海鳴(かいめい)は二十歳。海鳴は攻略対象であるヒロインに対して、イベントによっては好意を持ってしまう可能性もある。  今、目の前で起きているメインイベントは必ず発生するものだが、誰がこの子に口移しをするかで好感度は変化するだろう。 (私は親友枠だから、私がやれば信頼度が上がるし、青藍や海鳴がやればそれぞれの好感度が上がるはず。ここは、青藍にやらせる流れを作ってあげるのが正解ね)  本来、毒の治療で口移しは逆に危険な気もするのだが、これはあくまで乙女ゲームでありご都合主義が成り立つ。  恋愛イベントは特にそういうものが多いわけで。この先も「ありえないこと」はいくらでも発生する。まあ、すでに皇子の自室に嫁入り前の女子と素性もわからない男子(女装中)がいる時点で、色々と問題ありだけど。 「では皇子様、どうしますか? あなたが立場としては一番上ですから、あなたが決めてください」  先のやり取りにより原作とは少し違う流れだが、青藍に選ばせる展開になんとかもっていくことにした。海鳴はそもそも青藍の命令しか聞かないので、これはかなり有効な手段だろう。  私は椅子から立ち上がり、頭を下げて拱手礼をしながら青藍に選択を委ねる。青藍=海璃くんであろうが、なかろうが、私の目的はいちゃいちゃハッピーエンドなのだ。ふたりの好感度を上げまくって、大いに楽しむと決めている。 「····そもそも、私を庇ったせいで彼女(・・)は倒れた。その恩を返すためにも私がやろう。薬を、」  もっともらしい理由を並べ、原作通りに演じる青藍に、私は頭は下げたままこっそり視線を向けてアイコンタクトをとる。青藍はそれに対して広袖の下で密かに親指を立てていた。 『警告します。大幅にキャラクターの設定を改変することは許可されておりません。あなたは華 雲英として、物語を進めることを推奨します。主人公との関りは、この隠しルートでは中盤からです。必要以上の親密度は深めないようにお願いします』 (はいはい。つまり、お互いに知り合いで、転生者かもしれないっていう話すらしちゃだめってことでしょう? でも、もしそれを口にしちゃったら、どうなるの?)  男性の声を模した機械音声であるナビゲーター01は、ひと呼吸分だけ無音になり、すぐにその答えを目の前の透明な画面に表示させた。 『この物語を進める上で弊害となる存在、つまり大幅なキャラクターの改変、もしくは物語の改変に関しての注意事項です』  そこに表示された文字を読んで、私は正直恐怖を覚えた。 『先程の行為は概要説明の前、初回ということで赦されましたが、今後はカウントされます。このカウンターがゼロになった時、あなたはこの物語から強制排除されます。つまり、二度と戻ることは叶いません』  すらすらと一定の速さで読み上げるナビゲーター01の声。表示されている文字を一字一句違えずに。目に入ってくる情報と耳に入ってくる情報がまったく同じで、この"二度と戻れない"という言葉の意味を、私は怖いと思った。  それはつまり、本当の"死"を意味するのではないか? と。 (うぅ····とにかく、気を付ければいいのね?) 『はい。途中で排除されないよう慎重に物語を進め、主人公とヒロインをいずれかのエンディングに導くことがあなたの役目です』  私は気を取り直して、青藍に白い陶器を手渡す。青藍もまた、どこか浮かない顔をしていた。  おそらく同じ警告を受けたのだろう。彼が海璃くんかどうかはとりあえず置いておいて、ここは協力してこのメインイベントを乗り切るしかない!  白い陶器はお茶碗よりひと回り大きく、煎じたその飲み薬は濃い茶色。解毒効果のある薬草を煎じたそれは見た目通りかなり苦く、そしてものすごくマズそう····だが、効果は抜群なのだ。  本編の華 雲英スキルは、薬の調合や父親が書いた医療の秘伝書を学んで手に入れたもの。  どうやらすべてのスキルがすでにコンプリートされているようで、この煎じ薬もその中のスキルで簡単に作れた。  私自身にはそんな知識は微塵もないが、雲英の知識や経験、技術で補填されている。  傷の処置も解毒のやり方も、彼女の本来の能力でなんとかなったのだ。 「青藍様、本当によろしいのですか? もしこのことがあの(よう)妃様に知られれば、そのお嬢さんがどんな仕打ちをされるか、」 「ああ····わかっている。その時は、私が責任をもって彼女たち(・・・)を守る」  海鳴の心配はいずれ現実のものになるのだが、もちろん青藍がそれをちゃんと打開してくれる。  彼女たち、というのはそれを強要した雲英と、花嫁候補でありながら皇子に贔屓されることになるヒロインのことだろう。  そもそも姚妃は暗殺が失敗した後の事も考えており、自分の息がかかった花嫁を用意していた。  それが、本編で華 雲英になにかとちょっかいを出してくるライバル、() 夏琳(かりん)なのだ。  本編では毒に倒れた皇子に対し、口移しで薬を飲ませるのは、もちろん主人公の華 雲英。その時は人命優先で、やましい気持ちなど皆無。医者の娘としての善意の行為だった。 (まあ、皇子はそのことを後々知って、意識し始めるって感じなのよね)  本編の青藍は、誰にでも優しく、皆に慕われるような完璧な王子様。しかし主人公に対してはどこか不器用で、いつもの調子がでない。  それから何度も逢い、父親の件や他の事件をふたりで追っていく内に、その誠実さと優しさに惹かれていく、という流れはテンプレといっていい。 (隠しルートは、まさに純愛。自分を暗殺しようしたヒロインの正体が、かつて想いを寄せていた幼馴染で、中華BLの醍醐味である"(メイ)(チャン)(ツァン)"の定理を盛り込んでる、まさに私の大好物!)  そしてそのメインイベントであるこの"口移し"から始まる、ふたりの物語。  青藍は躊躇いながらも煎じ薬を口に含むと、寝台の上で眠るヒロインの身体を起こして片腕で支え、そのまま自身の唇を重ねた。  はわわわ!  私は心の中で叫びながら、その美しい光景をチラ見していた。顔は平静を装い、瞼を伏せたように見せかけ、しっかりとその目に焼き付ける。 これはあとでこっそりイラストにしよう! 誰にも見られなければ問題ないわよね? ね? 『それに関しては問題ありません。しかし、そのよだれ(・・・)は早急に拭いてください。誰かに見られれば、キャラクターのイメージを損ねます』  は⁉ と私は口元をそっと覆う。いけない、いけない、私は華 雲英、華 雲英、華 雲英····と、呪文のように心の中で名前を唱える。  次回、王子様のキス····じゃなかった口移しによって、遂に我らがヒロインが目を覚ます――――!

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