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2-9 距離感がおかしいひとたち
あの後、ほとんど眠れなかった。
『本来存在しない、序盤でヒロイン途中退場 となります』
ゼロのあの言葉に、"死亡"という二文字が頭の中を占めてしまい、不安と絶望で眠れるわけがなかったのだ。
「大丈夫? 可愛い顔にクマができてるよ?」
腰の辺りまである長い白髪をハープアップに結い、仕上げにあの赤い紐で髪の毛を飾りながら、鏡越しに華 雲英が顔を覗き込んでくる。
このひとの距離感ちょっとおかしいんだよね。俺、こんな格好してるけど一応男なんですけど。
両肩に手を置き、後ろから俺の顔のすぐ右横に自分の顔を近づけて、華 雲英は首を傾げている。
「あの、近くないですか?」
「え? 別に普通じゃない? 女の子同士なんだし、全然気にならないけどなぁ」
「女の子同士じゃないですよね? 俺が男なの知ってますよね?」
「あら、今は女の子でしょ? どこで誰が聞いているかわからないんだから、あんまり油断しちゃダメよ、ハクちゃん」
確かにそれは一理あるけど、でもやっぱりこれは近すぎでは?
こうやって誰かに着飾られていると、一年の時の文化祭の記憶がふと頭を過った。中華風カフェという中国茶とか台湾茶をメインにした喫茶店。
みんなが頑張ってる姿を見て、俺も前に進みたいって思った。いつまでも素顔を隠してイジイジしていては駄目だって。
そこで"もうひとりの幼馴染"とその友人の力を借り、色々あって漢服姿で女装という黒歴史が生まれる。海璃に認めて欲しくて素顔をさらしたはずなのに、あんまり喜んでくれなかったんだよな。むしろちょっと怒ってた気も。
勇気を出したつもりだったけど、空回りだったみたい。あの後、海璃に「絶対に眼鏡は外しちゃダメだ」って言われてしまった。
そうこうしているうちに今度は俺の前に回り込んで、化粧道具が一式収められた道具箱を漁りながら、これでもないあれでもないと道具を取り出しては戻しを繰り返し、自問自答した後になにか閃いたようだ。
「白粉 で誤魔化せないかな? うーん、難しいか。じゃあじゃあ、これはどうかな? うん、うん、いい感じ! ハクちゃんって基本白いから、なんでも似合うけど、やっぱり赤が一番綺麗に入るよね」
言いながら、俺の目尻から涙袋にちょっとかかるくらいの位置に、細い筆で赤い線を入れている。それはまるで、お稲荷さんの狐面のような印象だった。お面に入っている赤い線に似ていて、白髪と赤い眼のせいでより映えて見える。
「派手じゃないですか? というか、化粧する必要あります?」
「全然派手じゃないよ! むしろ可愛い! なにより似合う! それに、年頃の女の子なんだから化粧は必須よ。いつ青藍様がやって来るかわからないし」
「いや、あのひと一国の皇子ですよね? 公務とかないんですか?」
ゼロの話が本当なら、今日もなにかしらのイベントが起こる。しかもそれが俺の運命を左右する、序盤退場もあり得るイベントであり、その鍵は青藍にかかっているのだ。
昨日の今日で気まずい。
非常に気まずい。
「どうかな? あんな事件が起きたばかりだから、そういうのは当分ないんじゃないかな? 逃げた犯人も結局捕まらなかったみたいだし」
その共犯者は、まさにここにいるんだけど。
(俺ってどういう立ち位置なの? 暗殺者として、皇子を殺すために近付いたってことなのかな。あの選択肢はそういう感じじゃなかったけど)
やっぱりゼロの言う通り、この子の記憶を完全に取り戻さない限り、俺は真実 エンドを回収できないってことだよね。
俺の目的はあくまでも皇子を殺すことで、そこはブレちゃいけないってこと? でも相手は俺のこと攻略対象として強制的に好きになるんだよね?
(守るために庇ったはずなのに、油断させて暗殺するとか····すごく矛盾してる気がする)
とにかく、イベントを進めて記憶をなんとか取り戻すのが最優先ってことかな。
そんな中、扉を軽く叩く音と共に、「すみません、少しよろしいですか?」という低い声が部屋に響いた。おそらくその声の主は海鳴だろう。
「あ、私が行くわ。あの声、海鳴さんね。なにかあったのかしら?」
華 雲英が率先して行動してくれるおかげで、俺は椅子に座っているしかなかった。正直、あまり体調は良くない。
右肩は化膿を抑える薬草を定期的に塗ってくれて、最初の頃よりはだいぶマシになった。熱も微熱程度なので動けるのだが、激しく動かすにはまだ勇気が要る。
あの身体中をめった刺しにされるような初期の痛みや苦しさはないが、時々手足が痺れたり、上手く話せない時があった。これもあのすごく苦くてマズい煎じ薬を飲むことで、なんとか改善されていた。
(こういうところは、現実的というか。煎じ薬を飲んで全回復! にはならないの、よっぽどヒロインをイジメたいんだなぁ)
もしくは常に体調悪いヒロインにして、青藍が助けてくれるみたいな、好感度アップイベントを狙ってる?
「お茶会、ですか? 姚妃様が主催の?」
「はい。体調が問題なければ、ぜひ参加していただきたいとのことです。もちろん、断って頂いても大丈夫です。青藍様が適当に誤魔化してくれるかと」
って言っても、選択肢が出ないってことは、強制参加決定では?
「ハクちゃん、どうする?」
「····行きます。わざわざ私を参加させるということは、なにか考えがあるんだと思いますし、そもそも姚妃様の命令には背けません。それに、逆にここから離れる機会を与えてくれるかもしれませんし」
「離れたいのですか、ここから」
海鳴が雲英越しに、怪訝そうにこちらを見据えてくる。
あ、マズい····いや、別にマズくはないよね? だって、海鳴だって青藍の傍に身元も不明な得体の知れない者を置いておきたいとは思わないだろうし。
むしろ、喜んで協力してくれるのではないだろうか。いや、駄目だ。もう少しだけここに留まると決めたばかりだった。俺ってもしかしてすごく優柔不断なのかも。
「それは困ります。青藍様は、あなたの傷が癒えるまでここで保護すると言っているので。私はその命令に従うしかないのです。あなたを監視するという意味でも、その方が好都合だと言えば、わかりやすいでしょう?」
「······監視、ですか。そう、ですよね。私は怪しすぎますもんね」
きっと有能な護衛である海鳴のことだから、すでに俺の身元は判明しているんじゃないかな。姚妃が用意したと思われる資料を手に入れれば、その情報を基に簡単に調べられるはず。
俺の身元はすでに偽造だとバレていて、それでも牢に入れないのは、姚妃が関わっているだろう証拠を集めるためかもしれない。けれども記憶喪失は半分嘘で半分本当なのだ。でもそれを証明する術は、俺にはない。
事実、俺は暗殺者。姚妃とも顔見知りかもしれなくて、彼女は俺が本当に記憶喪失かどうかを確かめるために、このお茶会に参加させようとしているのかも。
立ち上がり、ふたりの方へ向かってゆっくりと歩いて行く。扉の前に立つ海鳴のすぐ目の前まで近付き、俺は真っすぐに彼を見上げた。
「····海鳴さん。私がもし悪人で、青藍様を脅かすような人間だったら····迷わずに止めてくれますか?」
海鳴は意外にも驚いた顔でこちらを見下ろしてきて、少し間をおいて「わかりました」と小さく頷いた。俺が言い終えた後に笑ってみせたから、びっくりしたのかもしれない。
もし、万が一にでも青藍を殺してしまうようなルートがあったら、それを止めるのはきっと海鳴の役目なのだ。
「では、青藍様の所へ行きましょう。雲英殿は今回は待機していていただければ、」
「わかりました。ハクちゃん、気を付けてね?」
小さく手を振って、華 雲英が心配そうに声をかけてくれた。俺はそれに気を取られて足元をよく見ていなかったようで、次の一歩を踏み出そうとしたその時、長いスカートのような漢服の裾を踏み、お約束のように前のめりに身体が傾いでしまう。
(やばい!)
腕が上手く動かないこの状況で、受け身がとれる気がしない! このままだと完全に顔面スライディングになる! と思わず目を閉じたその時、ふわりと身体が浮く感覚を覚えた。
「大丈夫ですか?」
耳元で囁かれたその声に、俺は恐る恐る瞼を開く。そこには俺を抱き止めるように支えてくれている海鳴の姿があった。普段の無表情からは想像できない心配そうな顔で見下ろしてくる海鳴に対して、俺は思わずドキッとしてしまう。
「だ、だ、だ、だいじょぶ、です!」
びっくりした!
これじゃ、俺が海鳴の胸に勢いよく飛び込んで行ったみたいに見えないか? ちらりと華 雲英の方に視線を向けてみれば、頬を両手で包むように覆い、瞳の中に星でも輝いているようにキラキラとした眼差しで、こちらを見ている姿が目に入った。
(雲英さんがめっちゃ喜んでる····やっぱり腐女子設定なのかな?)
こちらの視線に気付いたのか、華 雲英は「はっ⁉」と我に返って、今度は親指を立ててウィンクをしている。なんだろう、「グッジョブ!」的な雰囲気を感じる。
「良かったら、手を」
「え? あ、えっと、」
答える前に、海鳴は俺の左手 を取って歩き出す。もしかして気を遣ってくれた? いや、それより、このひとも距離感おかしくないか?
繋がれた手を見つめ、俺は耳まで真っ赤になる。海鳴って本編でこんなキャラだっけ? もっとこう、硬派で無口な、「自分、不器用なんで」って感じのキャラじゃなかったかな?
そんなことをぐるぐると考えていたら、ふと、目の前が霞がかったかのように真っ白になる。脳裏にぼんやりと浮かんだ、なにか。
子供の姿。
三人?
これは······小さい頃の記憶?
(あれ、今、なにか····)
一瞬、どこかの場面を切り取ったかのような映像が、頭の中を過った気がした。それがなにかを確かめる間もなく、霧が晴れるようにすぅっと消えてしまう。
これは、既視感 ? もしかして記憶の一部? でもそれがなにか、いつのことなのかさえ、まったくわからない。
思考が混乱する中、海鳴に手を引かれて連れられる形で、俺は青藍の部屋の前に辿り着いた。
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