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4-2 両片思いのおわり

 バン! と夜中に突然、勢いよく自室の扉が開かれ、俺は書物を開いたまま転寝をしていたせいで、危うく椅子から転げ落ちそうになった。 「たのも~!」  言って、キラさんが白煉の手を引いて部屋に入ってきた。なんだ? 決闘でもしに来たのか? って、そんなイベントないだろう!  「····か、() 雲英(うんえい)····こんな時間になにか用か?」 「青藍様、ハクちゃんから聞きました。皇帝陛下たちの前で謁見すると」 「それがどうした? 前々から決めていたことだ」  そんなのキラさんだって知ってるでしょ!  そういう本編の流れなわけだし! 「ハクちゃんがその件について、ひとりで悩んでいることは知ってました?」  え? 悩むってなんで?  そもそもこれが正規のシナリオだし、なにもおかしくないはず。白煉がこの婚姻に対して異を唱えることはない。それにあの分岐でハッピーエンドのルートが確定して、青藍の気持ちもちゃんと伝えたはずだ。 「ということで、ハクちゃんとちゃんと話し合ってください。あ、このまま青藍様のお部屋にお泊りしても、私は黙っててあげるから安心してね☆」 「は? え? お泊りって····どうしてですか?」  キラさん、たぶんそれまったく伝わってない。  いいから、いいから、あとは当人同士で! と白煉の背中を押して俺の前に差し出すと、自分はさっさと部屋から出て行ってしまった。しん、となった部屋の中で気まずい空気が流れる。 (いや、困るんだけど⁉ 変な空気のまま残されて、俺にどうしろと?)  話し合うってなにを? 「····ここ、座ってもいいですか?」  白煉が自分から寝台の方へ向かって行き、訊ねてくる。椅子じゃ駄目なんだろうか。正直、また同じ過ちを犯しそうで怖いんだけど。  俺の答えを聞く前に白煉は座ってしまった。あんなこと(押し倒された過去)があっても、不安じゃないんだろうか。  俺も遅れてその右横に腰を下ろす。肩が触れるか触れないかギリギリの距離。白煉の左手首を飾っている半透明の青い腕輪。それは、このゲーム内の設定では現実セカイでいう指輪の代わりなのだ。それを青藍が白煉にはめた意味を、今更わからないなんてあり得ないだろう。 「俺は、白煉じゃないって前に言いました。記憶がないとか、それ以前に····俺は転生して気付いたら彼になっていたって」 「ああ、聞いた。でもそれがどうしたんだ?」  白煉の中身が白兎であること。それを知った時、俺は胸の奥から込み上げてくるものを抑えきれなかった。そして白兎が想い続けている"誰か"に嫉妬したんだ。けど、あの市井でのイベントや過去を取り戻すための試練を乗り越えて、俺たちは想いが通じ合ったんじゃないの?  白煉じゃないとか、記憶がないとか。  それって大事なこと? 「俺、本当の名前、教えていなかったかもって····雲英さんが、それなら今すぐ教えてあげた方がいいよって。でも、こんな時間に来るべきじゃなかったかも、です」  名前?  確かに俺は白兎だって知ってるけど、青藍は知らないはずだもんな。でも確かに今じゃなくてもいい気がするけど。  キラさんが改変のペナルティで、カウンターひとつ減らしてまでそうした方がいいって思ったなら、なにか理由があるってこと? 「青藍様には、俺の本当の名前、憶えてて欲しくて。きっともう、誰にも呼ばれること、ないと思うから」  白煉の泣き出しそうな顔に、俺は気付いたら唇を噛み締めていた。  そうだよな。現実セカイの俺たちは、もう····死んでるんだもんな。本当の自分を知っているのは、自分たちだけ。  俺とキラさんは早い段階でお互いの存在に気付けたけど、白兎は未だにひとりぼっちなんだ。俺たちが転生者であることを話せないせいで、たったひとりでこのセカイに放り込まれているようなもの。 『駄目ですよ、(マスター)。あなたはもう後がないんですから。他の方法を』  わかってる。  あとひとつで俺は強制排除。そうなったら、もう本当に白兎を守れなくなってしまう。それだけは絶対に避けなきゃならない。 「教えてくれる? 君の名前。望むなら、今後はその名で君を呼ぶ」 「だ、だめです。他のひとたちにこれ以上は話しちゃだめって、青藍様が言ったんですよ?」 「じゃあ、ふたりきりの時に呼ぶ」  俺は白煉の、白兎の手を取り、真っすぐにその赤い瞳を見つめた。その瞳が瞬きもせずにこちらを見上げてきて、やがて柔らかい笑みが浮ぶ。  その表情に、絆される。疼く。あの淀んだ感情をなんとか抑え、俺は同じように笑顔を浮かべて覆い隠した。 「教えて、君の名前」  顔を近づけて覗き込むように訊ねると、白兎は真っ赤になって俯いてしまった。こんなの、もう、好きといっているようなものだ。青藍を、好きだと。俺のことなんて見てないって、わかってる。それでも。向けられている感情は、確かに俺へのものだって。そう思って、いいんだよな? 「······は、白兎、です。俺の名前」 「白兎。それが、私がこの世で一番大切なひとの、本当の名か」 「お、大袈裟ですってっば! でも····嬉しいです」  愛しいひとの名前。  壊したいくらい、閉じ込めたいくらい、狂いそうなくらい愛しいひとの。  でも、もう絶対に傷付けないと決めたんだ。だから、優しくして、甘やかして、白兎がずっと笑っていられるように努力する。  けど、ひとつだけ。  どうしても終わらせたいことがあった。 「何度も、しつこいって思われるかもしれないけど、訊いてもいい?」 「え····? なんですか?」  ぽつりと呟いた言葉に、白兎は不思議そうに首を傾げていた。俺には大切な問題で、現実セカイでの未練を断ち切る意味でも、知らなければならないことだった。 「前に言っていた好きなひとって、誰のこと? 大丈夫。この前みたいにはならないから。だから、正直に教えて欲しい」  白兎はものすごく困った顔をして、俺から眼を背けた。そんなに言いたくないのか? っていうか誰だよ、白兎にこんな顔させる奴! 年上の先輩とか?  やっぱりいつも白兎のことを気にしてたあいつ(・・・)? 昔から事あるごとに、俺の邪魔してきたっけ。俺はもうひとりの幼馴染である、同級生の顔がふと浮かんだ。  彼女は海鳴のキャラの参考にしている同級生で、俺と白兎の幼馴染でもある。同性から『格好良い』といわれるような見た目の、クールビューティーな女の子。  けれども彼女が同性にしか恋愛感情をもてないことを、一番親しい白兎が知らないはずはない。つまり、俺と同じ叶わない恋をしているってこと? 「それは····その、言わなきゃダメですか?」  涙目で訴えるように訊ねてくる白兎に俺は心が折れそうになるが、これから先のことを考えると、やっぱり今しかないと思った。 「君が白煉としてではなく、白兎として私の傍にいてくれるのなら、どうか教えて欲しい」  精一杯の言葉を尽くして。それが伝わったのか、白兎の唇が微かに動く。どんな答えが出ようが、もうどうでもいい。それは過去のことで、俺はこれから訪れる未来だけみると決めた。  いや、未練がないっていったら嘘になるし、数日闇落ちするかもしれない。その答えを聞いた瞬間、俺の初恋は完全に終わるのだから。 「俺、青藍様を見ていると、そのひとのことを思い浮かべてしまうんです。すごく、その、似てて。そのひとは、小さい頃に容姿のせいでイジメられていた時に助けてくれた、俺にとってのヒーローで。今も昔も誰よりもカッコ良くて。みんなの人気者で。それでも俺なんかに声をかけてくれるような、優しいひとで」  うん?  え? あれ? 「あの時····青藍様がいってくれた言葉。俺を見て、って。俺、その言葉をもらった時、本当に、目の前にそのひとがいるんじゃないかって思って····びっくりして。甘い物苦手なのも一緒って····これって偶然ですか?」  白兎の好きなひと····って?  忘れられないひとって? 「俺が好きなひとは――――、」  それを聞いた瞬間、俺は思わず白兎を抱きしめていた。  だってそんなこと、考えてもみなかった。  叶わない恋だって、両思いなんて絶対にあり得ないって。  始まる前から終わっていた恋のはず、だった。  もっと早く伝えておけばよかった。  俺が俺として生きていた時に。  この感情から逃げずに、踏み出す勇気が少しでもあったなら。 「ごめん、白兎」  抱きしめていた身体をゆっくりと離し、大きな瞳を見開いて驚いた顔をしている白兎と、数秒ほど見つめ合ったのも束の間。  俺は、白兎の唇に自分の唇を重ねていた。

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