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第10話

奥様、という言葉が突き刺さる。 ……まさかとは思うけど、そのまさかかもしれない。 頭が真っ白になって、気が付いたら一番手前にあったブラックのカーボンケースを手に取っていた。 「おお、シックですね。ではでは、フィルムとセットで会計します」 断るつもりだったのに、自分用のスマートフォンを用意してもらった。店を後にし、スマホが入った紙袋を抱いて彼に振り返る。お礼を言わなきゃ、と思って口を開いたはずだったが、 「宗一さん、ひとつお聞きしたいことが」 「うん?」 「私って、その、お」 「お?」 「男に見えませんか?」 心の大部分を占める不安が先に零れてしまった。 流れる沈黙。道の真ん中で立ち止まった為、通行人が邪魔そうに自分達を避けていった。 「はっ」 ふと我に返り、隅によって頭を下げる。 「……すみません! こんな高価なものを買っていただいて、本当にありがとうございます!」 「それはいいけど……さっきの店員さんに女性と思われたことを気にしてるのかな?」 どうやら彼も気付いていたらしい。尚さら恥ずかしくなり、白希は涙目で訴えた。 「危うくピンクのケースになるところでした」 「あはは、ピンクも似合うよ。白希が可愛いのは事実だからね」 可愛いと思われること自体心外だ。 しかし全ては自分の容姿が原因。今は髪が伸ばしっぱなしで長すぎるのもあるが、もうひとつ。 「私……という一人称がいけないのかもしれません。決めました。今日から変えます」 「ほうほう。じゃあ私も変えようかな」 「宗一さんは変えなくて大丈夫ですよ。かっこいいですから……」 そう、敬語として使う分にはそれが普通だ。自分の場合は周りが言葉遣いに厳しかっただけで、好きで使ってるというわけでもない。丁寧な口調も所作も叩き込まれたからしてるだけで、本当はもっと砕けて生きたいのだ。 ひとりで頷いてると、宗一はワクワクした顔で尋ねた。 「どう、自分の呼び方決めた?」 「は、はい。……できれば、“俺”が良いなと」 もうずっと昔のことだが、周りの男の子達は自分のことをそう言っていた。小学校低学年までは周りと同じように通えていた為、記憶は古くても印象に残っている。 宗一さんからしたら笑っちゃうような悩みなんだろうな……。 一人称はもちろん、外見も何もかも。 紙袋を抱き締めながら返答を待つ。段々恥ずかしくなってきて、顔が熱くなった。 ……っていうか、 「あっつ!!」 顔の何十倍も、掌の方が熱くなった。あまりの熱さに驚き、紙袋から手を離してしまう。 まずい。買ってもらったばかりなのに……! 絶望的な状況に心臓が止まりそうになったが───紙袋は地面につかなかった。 “落ちている”のは確かだが、非常に遅い。まるで鳥の羽が緩やかに落ちていくように、ふわふわと舞い降りていく。 「……っ!」 下に屈み、両手でキャッチする。その瞬間、さっきまでの重みを取り戻した。 「はあぁ……良かった。ごめんなさい……!!」 ホッとしたのと申し訳ないのと、感情が重なって目元が熱くなった。 パニックになる白希と反対に、宗一は落ち着き払っている。 「大丈夫だよ。箱に入ってるし、最近のスマホは衝撃に強いし」 「でも……せっかく頂いたものを傷つけたら、申し訳なくて立ち直れません……」 「平気平気。それより深呼吸して。感情が昂るとまた力が働くかもしれないから」 腰を支えられ、立ち上がる。彼の言う通りなので、目元を乱暴にぬぐって深呼吸した。 パニックになればなるほど、力が暴走する。落ち着かないと。 「……すみません。もう大丈夫です」 「ふふ。良かった」 宗一は子どものようなあどけなさで笑った。 これも歳上の男性に思うことではないのだろうけど、……可愛いな、と思った。 「ありがとうございます、宗一さん。……あと、びっくりしました。さすがですね」 「何が?」 「力のコントロールです。私とまるで違う力だけど、両親も絶賛してました」 ようやく気付いたというように、宗一はわずかに目を見開く。次の瞬間には、またいつもの柔和な笑みを浮かべた。 「覚えててくれたんだ。嬉しいな」 「もちろん。病院の前でもその力で助けてくださったじゃないですか」 白希が缶を拾おうと飛び出し、車と接触しそうになった時、彼は車の“前方”のみ重力操作をした。地から離れてしまうほど軽量にし、浮かび上がらせたのだ。 普通なら自分の目を疑うか、夢でも見たと思うだろう。 有り得ないことを目の当たりにして、すんなり納得できる者など存在しない。 彼の力を知っていたからこそ、白希は冷静に状況を理解できた。 宗一の家は、白希と同じく春日美村で長い歴史を持つ名家だ。村にはいくつか勢力があり、宗一が生まれた水崎家は村内で最も土地を有し、財力を持っていた。……過去形なのは、先代の家督が妻と息子を連れて村を出て行ったからだ。 その息子こそが宗一で、白希が最も会いたかった人物。 重量操作という異質な力を持って生まれた、美しい青年だ。

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