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第21話
彼も白希の事情はほとんど知っているに違いない。
それでも深いことは訊かず、丁寧に接してくれることが本当に有難かった。
「真岡さん、今さらで申し訳ないんですけど、呼び捨てしてください。様を付けられるのは慣れてないし、ただの一般人ですから」
「あはは、でも白希様とお呼びすることに慣れてしまったので……あ、着きましたよ」
役所に到着し、地下駐車場に車を停める。窓口で転入届の手続きを行い、必要な書類を渡した。
こうしていても未だに実感がない。村を出たことはもちろん、大勢の人の中に存在していることも。
待合席に腰掛けて、瞼を伏せる。何組もの人達が難しいことを話しているのが聞こえた。
「……」
ふと、周りの男性が皆脚を開いて座っていることに気付いた。
和服で過ごしたから失念していたが、そういえばこれが普通だ。ぴったり脚を閉じてることに急に違和感を覚え、さりげなく座り直して脚を開いた。
仕事の電話がかかってきた為、真岡は外へ出ている。戻ってきて、白希が突如大股を開けて座っていたら驚く可能性がある。やっぱり明日からにしようか……。
何とも重要性のないことで悩んでいると、すぐ傍に小柄なお婆さんがやってきた。
「ごめんなさい。隣座っていいかしら?」
「あ、はい! どうぞ!」
周りは全て埋まっていて、空いてる椅子は白希の隣だけだった。最大限端に寄り、もう一度周りを見回す。
また高齢の方が来るかもしれないから、立って待ってようかな。
立ち上がりかけた時、隣に座ったお婆さんがにこやかに笑った。
「あら……あなた、とても綺麗な手をしてるわね」
「え? いえ、全然そんなことは……」
掌を持ち上げ、自分で見てみる。手が綺麗なんて一度だって思ったことないけど、そんな風に見えるんだろうか。
聞けばお婆さんは去年旦那さんを亡くし、一人暮らしをしていたらしい。ところが最近は足腰が弱った為、この近所の息子さん夫婦の家に住むことになったという。
旦那さんがいなくなってから今までひとりだった為、話し相手が欲しかったようだ。
「息子と暮らした方が安心だって分かってるんだけどねえ。あの人と暮らした家を手放すのは寂しいわ」
「そう……ですよね」
その人の一生分の思い出が詰まった家から離れるのは、本当に辛いだろう。きっとまた新しい住人がやって来ると思うけど、それまで暮らしていた人達の軌跡は失われる。
楽しい引越しができることは幸せだな。本当は移りたくないのに、住まいを移らないといけない人がたくさんいる。
でも気の利いたことも言えず、首元をかいた。
……あ。
「あの、手、切れてません?」
「え? あぁ、さっき紙で切っちゃってね。しようもないね」
お婆さんの右手人差し指に赤い切れ目が見えた為、ズボンのポケットの中をさがした。絆創膏を取り出し、彼女の指に貼る。
「ばい菌が入るといけませんから」
「あら……ありがとう。お話を聞いてくれただけでも嬉しかったのに、本当に優しい方ね」
朗らかに笑う顔を見て、こちらも心が綻ぶ。絆創膏は、すぐに怪我するからと宗一さんに持たせられていた。こんなところで役に立つとは。
そうこうしてると、お婆さんが持っていた紙の番号が呼ばれた。
「本当にありがとうね。私、今度からこの役所で色々ボランティアに参加するつもりだから……なにか困ったことがあったら声をかけてちょうだい」
「ありがとうございます。また」
軽く手を振ると、彼女も振り返してくれた。たった少しだけど、宗一さんと真岡さん以外の人と話せて楽しかった。
気付いたらまた脚を閉じていたので、ちょっと開く。
申し訳ないけど、周りの男性を観察するのが一番“普通”に近付く方法だと思う。
宗一さん達は完璧過ぎて、お手本にならないからだ。
「白希様、お待たせして申し訳ございません!」
膝に頬杖をついてみたり、ポージングの勉強をしてるところに真岡が戻ってきた。すぐに立ち上がり、こちらも彼の方へ向かう。
「お疲れ様です。それよりお仕事の方大丈夫でしたか?」
「ええ、ただの業務連絡でした。疲れたでしょう、もう宗一さんの家に帰れますよ」
夕方にさしかかり、区役所も終わりが近付いている。彼の声掛けに頷き、車に乗った。
明日は銀行へ通帳を取りに行って……そしたら、少しだが自分で使えるお金が入る。これだけお世話になったんだから、宗一さんと真岡さんになにか御礼がしたいな。
色々考えていたが、疲れがピークに達して意識を失った。
外の事情は何もかも新鮮で刺激的だけど、やっぱりまだ心細い。宗一さんの家がどれだけ安心できるところだったが、改めて実感した。
早く宗一さんに会いたい。会って、あの笑顔を見てホッとしたい。いつの間にか、そう思えるところまできていた。
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