49 / 104

第49話

考えてみたら普通に有り得ることなのに、どうして思いつかなかったんだろう。子どもの頃の自分なんて、今の何百倍もそそっかしくて、見るに堪えない愚行を晒していたに決まってる。想像しただけで目眩がした。 「何度も申し訳ないんですけど、どうか忘れてください。村にいた時の俺は全てが悲惨なんです」 「私はそんな風に思ったことは一度もないんだけどね。……でも、そういうものかもね。皆が皆、過去の自分を好きとは限らないか」 そう言う宗一さんは、過去の自分を好きなんだろうか。ちょっと気になったけど、急に腰を引き寄せられてバランスを崩した。 「わわっ……」 「さて。踊りも見せてくれないということだし、お姫様をさらって何処か行こうかな」 宗一さんはサングラスをかけ、車のキーをとった。 「お出掛けですか?」 「そう。またの名をデート」 あくまでそういうことらしい。意識させようという魂胆が見え見えだ。 でも、外へ行くのは素直に嬉しい。少し厚手のジャケットを羽織ると、キャップも頭に被せられた。 車に乗り、シートベルトを閉める。 今日もすごく良い天気だ。窓を開けていいか尋ねると、彼は自動で助手席の窓を開けてくれた。 風を切る音が強くなる。 結構遠くに行くんだなぁ……。 もう、高速道路に入ってから一時間以上経つ。何となく行き先を訊くのは憚られた。宗一さんは楽しそうに運転してるし、俺は俺で、少し酔いそうになったからだ。 具合が悪いなんて言ったら、秒速で帰ることになりそう。せっかく彼と出掛けられたんだから、一秒でも長く外に居たかった。 「あ、サービスエリアで休憩して行こうか」 た、助かった……。 「運転お疲れ様です。すみません、俺ちょっと先にトイレに行かせていただきます……」 少し首がガクガク揺れてしまったけど、駐車場に着いてすぐ、足早にトイレへ向かった。 胃の中のものを全て戻すという最悪の事態は防げたけど、宗一さんより先に入ってしまったから、外へ出てひとりになった。 はぁ~、すごい。 たくさんの車と、行き交う人々。大きなモニュメントや出店、キッチンカーが並んでいる。初めてのサービスエリアは街中とは違う賑やかさがあった。 「いてっ!」 「あ! 申し訳ありません」 ぼうっと突っ立ってしまっていたせいで、前から来た男性とぶつかってしまった。四十代ぐらいだろうか。彼はこちらを見て、急に声を荒げた。 「ちゃんと周り見てんのか? もう少しでスマホ落とすところだったぞ」 「あ、それは……本当に申し訳ありません」 スマホは本当に高いし、大事なデータがたくさん入ってるから怒るのも無理ない。 頭を下げて謝るものの、彼の怒りはおさまりそうになかった。 「謝るだけなら猿でもできんだよ!」 「お、仰る通りです」 それにしても怒り過ぎな気が……。どうしたら怒りをといてくれるか考えていると、ふと妙な臭いを感じた。 これは何だっけ。ええと確か……。 肩に腕を乗せられる。距離が縮まって確信した。……お酒の臭いだ。 これは訳が違う気がして、さりげなく離れようとした。ところがキャップを取られ、慌てて振り返る。 「よく見たら綺麗な顔してるじゃんか」 「あ。それは返してください……!」 彼の手にあるキャップを取り返そうとしたが、難なくかわされる。焦りより、別の感情が胸の中で渦巻いた。 何だろう、この感じ。 さっきと同じでふらふらして、気持ち悪い。でも間違いなく似て非なるものだ。 「ご迷惑をおかけしたことは、心からお詫びします。何でもしますので、その帽子は今返してください」 「言ったな? じゃあまずトイレに行こうや。帽子はその後で」 返す、と言ったところで、彼は「熱っ!」と叫んだ。 キャップから手を離したところを見計らい、地面から拾い上げる。 「……すみません、もう大丈夫です。お聞きします」 彼が触れている部分のみ熱くした為、キャップは無事に取り返した。驚いて自分の手を見ている彼の元へ近寄ったけど、突如後ろに引っ張られる。 「大丈夫? 白希」 目の前のことに頭がいっぱいで気付かなかったが、背後には宗一さんが立っていた。 心なしか、無表情が怒ってるように見える。 「そ、そいつが今何かしやがったんだよ! 急に帽子が熱くなって……!」 「帽子が熱く? 面白いことを仰いますね」 宗一さんが不思議そうに首を傾げると、周りでクスクスと笑い声が聞こえた。見ると周りには少し人集りができていた。思ったより大声で騒いでしまっていたみたいだ。 「嘘じゃない、本当に……」 「本当だとしたら、貴方自身が熱くなってるせいかもしれない。お顔も赤いし、ひどくお酒臭いですよ。まさかここまで運転されてきたとか?」 宗一さんが薄く微笑むと、男性はさらに顔を赤くした。 「運転は連れがしたんだ! くそ、気をつけろよ、クソガキ!」 彼は打って変わって、逃げるように去って行った。本当に運転だけはしてないと信じて、キャップについた埃を落とす。 「宗一さん、すみませんでした……」 「謝る必要はないけど、白希……素直に彼について行こうとしてただろう。こういう時は逃げるか、近くの人に助けを求めるんだよ?」 「は、はい」 普段より強い口調と目つきの彼にたじろぐ。 けど、全ては自分の警戒心のなさが原因だ。頭を下げ、自分に対しため息がもれる。 「約束だよ。……でも私が離れていたことが一番悪い。怖い思いをさせてごめんね」 「いやいや、宗一さんこそ何も悪くありません!」 いつものやり取りをし、こそばゆさに踵を浮かす。ちらほらいた人も離れていき、ようやく息をついた。 「ふう。目を離した瞬間厄介なタイプが寄ってきちゃうんだから、本当に心配で仕方ないよ」 宗一さんは深いため息の後、こちらに背を向けた。そして先程の男性が乗った車を、スマホのカメラでズームアップし、撮影した。多分ナンバーを確認したんだろう。 「宗一さん、それは盗撮では……」 「ん? 記念に駐車場を撮っただけだよ?」 「……」 宗一さんは振り返り、涼しい顔をしてスマホを仕舞う。 「何があろうと、私の白希に暴言を吐いたことは絶対に許さない。本人も気付かないやり方でお返ししよう」 俺に気付かせまいとしてるけど、思ってることが声に出てしまっている。つっこんでいいのか分からなくて、とりあえずキャップを被った。 「ごめんなさい。俺が邪魔なところに立っていたから、彼とぶつかってしまったんです。そしたらトイレに一緒に来い、と……」 言った瞬間、ガコン、という破壊音が聞こえた。 最初は何の音が分からなかったけど、彼の真隣にあった立て看板の足がわずかに地面にめり込んでいることに気付く。 「宗一さん……それ……」 「ん?」 指さしてようやく気付いたらしく、彼は看板をわずかに移動する。 「大丈夫、傷はついてない。地面は少しえぐれたけど」 「本当に大丈夫ですか……?」 地面はもちろん、宗一さんも。 絶対平常心じゃない。いつも冷静で穏やかな彼らしかぬ暴走だ。これは間違いなく自分のせい。 「次からは気をつけます。その、力も使ってしまったことも本当にごめんなさい」 限界まで頭を下げると、キャップの上からぽんぽんと叩かれた。 「君は悪くない。強いて言うなら、可愛さが罪かな。さっきの男の人も君の容姿に見惚れて暴走したんだよ」 宗一さんはやれやれと腕を組む。なるほど、そういうことか。さっきの人が男色だったのかどうか分からないけど。 「それはそうと、白希は案外落ち着いていたね」 「いえ全然……ただ、帽子を返してもらおう、ってことだけ考えてました。これも宗一さんに頂いた大切なものだから」

ともだちにシェアしよう!