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第50話
キャップに限らず、彼から贈られたものは全て大事な宝物だ。それを守る為なら、どんな目にでも合おう。
ぐっと拳を握ると、宗一さんは朗らかに微笑んだ。
「……ありがとう。でも、私は君さえ無事なら他は何もいらない」
それはわかる。俺も同じだからだ。
他の何が無事でも、宗一さんになにかあったら……どうにかなってしまうんじゃないか。
想像したら恐ろしくて、背筋がぞくっとした。外は温かいのに、鳥肌が立つ。パーカーの袖を伸ばしていると、また手招きされた。
「そろそろ行こうか。おいで」
「は、はい」
差し出された手をとり、白のアコードに乗り込む。シートベルトをつけると、横からサイダーを渡された。
「飲みな。少しは楽になるかも」
「わわ、ありがとうございます」
冷たくてしゅわしゅわしたものを喉に流し込むと、一気に目が覚めた。頭がスカっとして、気分もよくなる。
乗り物酔いしていたことはとっくにバレてたみたいだ。感謝と申し訳なさを抱えながら、宗一さんの長い指に視線を向けた。
綺麗な指だ。甲は男の人らしく、ごつごつと骨ばっているけど、爪の辺りは傷一つなく見惚れてしまう。
昨夜はあの手で触られたんだ。思い出したらまた恥ずかしくなって、なるべく窓の方を向いた。
万が一顔が赤くなってたら恥ずかしい。首が痛くなるぐらい窓の外を見ていると、やがて高速から下り、下道に入った。
「白希、ちょっと目を閉じて」
「えっ。あ、はい」
突然声をかけられ、反射的に瞼を伏せる。
何だろう。訳が分からぬまま待っていると、「左の方を見て」と言われた。
どきどきしながらゆっくり目を開ける。と同時に飛び込んだ景色に、思わず声を出してしまった。
「わあぁ!」
どこまでも広がる水平線。身を乗り出しても端っこが見えない、深くて鮮やかな青の世界。大きな車道の横には、テレビでしか見たことがない海があった。
「海だ! すごい!」
下手したら東京に来た時より興奮している。太陽に照らされた部分はきらきらと白んで、光の粒を散らしている。青一色に染まっているのに、空と海の境界ははっきり分かる。山しか見たことのない白希にとって、別世界とも言える景色だった。
「海を見るの、初めてです!」
「ふふ、そうだと思ってね。まだ春にもならないけど連れてきちゃった。初めて見た感想は?」
「最高です!」
窓に手を当て、目の前に広がる景色に目を輝かせる。
なんて綺麗なんだろう。
地球の七十パーセントは海で占められてる。知識単純なもので、さっき起きたことなんて全て吹き飛んでしまった。
「せっかくだから海沿いを歩こう」
少し先に行ったパーキングエリアに停め、二人で外へ出た。お店が並ぶ道を抜け、砂浜に出る。さすがに海沿いは肌寒いけど、同じように散歩している人はたくさんいた。
「気持ちいい……!」
潮風を全身に受け、思わず両手を広げる。打ち寄せる波の音も、ずっと聞いていたいと思った。
「宗一さん、もっとギリギリまで近付いていいですかっ?」
「あはは。もちろん」
下に屈んで、波に手を伸ばす。初めて触れた海水は冷たくて、潮のにおいが一緒に流れてきた。
まだまだ知らないことばかりで、何だか無性に色々勉強したくなった。こんなすごいものを知らなかったことも悔しいし、もっともっと素晴らしい景色を見てみたい。
「海って良いよね。私は山も好きだけど、雄大な自然は全てを忘れさせてくれる。ありがちな例えだけど、自分の悩みが小さく感じるよ」
「確かに……この大きな海を見てると、そもそも自分のことを忘れてしまいます。自分が何者で、何をして生きていたのか……とか」
人に誇れない自分も、大事なものを守った自分も、まっさらにしてしまう。それほど大きな力を持った存在。それが自然。
何となく分かってる気になっていたけど、実は全然理解できてなかったんだ。俺の力も、結局は自然に働きかけるものなのに。
「宗一さん。俺、“最高”が毎日更新されていくんです」
風に揺れる髪を押さえながら、ぬれた手を軽く振る。
感動が更新されていく。辛いことや悲しいことは常に心の奥底に眠っているけど、確かに埋もれていってる。
素晴らしい景色と大切な人がいるから。
「全部貴方のおかげです」
この希望と光が、俺の生きる意味だ。
振り返って笑いかけると、彼はひと呼吸置いて一歩踏み出した。
一瞬だけ視界が奪われる。……唇も一緒に。
「嬉しいけど、その台詞そっくりそのまま返すよ」
宗一さんはコートを脱ぎ、俺の肩にかけた。
「見慣れた景色も、君がいると二倍煌びやかに見える。美しい景色なら尚さらだ。……本当に、息をするのが気持ちいい」
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