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第55話

空欄が埋まった婚姻届を返してもらった後も、しばらく現実味がなかった。 ただ間違いなく、この世で一番大事な物だ。そっとファイルに入れ、鞄の中に仕舞う。 「あの……本当に、ありがとうございます……! これから宜しくお願いします!」 「うふふ、もうお義父さんとお義母さんって呼んでいいのよ」 「おい、気が早いぞ」 二人は本当に仲が良いようで、見ていてとても和やかに見える。宗一さんが彼らの子どもというのは納得だ。 彼らがいたから、宗一さんは周りを信用できない中でも成長してこれたのかもしれない。俺の手紙はさほど重要じゃない。 やっぱり、近くで支えてくれる人の存在はとても大きいんだ。 「式はどうするの? 家も決めないと」 「式は身内しか呼ばないよ。確かに、引越しは考えてたんだ。でも追々だね。今だって色々パンクしてるのに、白希が疲れてしまう」 四人で軽くお茶をして、昼過ぎにはお開きとなった。 最初は絶望しかなかったけど、今では心がぽかぽかあたたかい。宗一さんのご両親は、本当に優しい人達だった。 エントランスまで見送っていただき、頭を深々と下げた。またすぐに会うことになりそうだけど、握手もしてもらった。内心力が働かないかビクビクしたけど、無事に手を離す。 別れる間際、お父様は宗一さんに耳打ちしてた。 「ところで……羽澤の人間に気をつけろ。東京に来てる奴らがいるという話を聞いた」 「本当に?」 「ああ。それも、聞いたこともない力を持つ奴がいるらしくてな」 聞くつもりはなかったけど、かすかに聞き取れてしまった。 羽澤家。それも村にいた時はよく聞いた名前だ。余川や水崎家と同じく、力を発現した者がいる。 不安に思って立ち止まると、後ろからお母様に背中を押された。 「白希ちゃん! 婚姻届は明日出すのかしら?」 「あっ。ええと、明日は宗一さんも仕事なので……お時間があれば、でしょうか」 「あら~! 遅刻していけばいいのよ。役所に提出する方が先よ!」 そんなプライベートを優先するのは、いくら彼らの会社とはいえ良くないような……というか、お母様は想像以上にお茶目で陽気なひとみたいだ。 「宗一が誰かをここまで好きになるなんて、私達にとっては夢のようなの。本当に心を許した相手以外は機械がなにかだと思って接するような子だったから……本当にありがとうね」 「お、お礼を言われるようなことはありません! むしろこちらこそ、本当にありがとうございます! ががが頑張りますので!」 何を頑張るのか自分でもよく分からないが、最敬礼で答えた。 宗一さんもお父様と話が終わったようで、こちらにやってきた。 「行こうか」 頷き、彼の車に乗り込む。お母様は見えなくなるまで手を振ってくれた。 二人きりになって、ようやくいつまの心拍数に戻った気がする。さっきまでは二倍速だったんじゃないかと疑ってしまうほど興奮していた。 「あの……宗一さん、ご両親が同意してくださってることを知ってたんですね」 「もちろん。というか、前に白希にも言ったよ?」 「人伝ですもん。……冷静に考えて、反対されるのが普通だから」 両手を組み、自分なりに不安を伝える。 だけど宗一さんは、嬉しそうに窓側に頬杖をついた。 「父さん達に啖呵切る白希は男らしかったよ。惚れたし、初めてかっこいいと思った」 「たっ啖呵なんて! そんなつもりじゃありませんでした!」 どこの世界に、ご両親の挨拶に喧嘩を売りに行く婚約者がいるんだ。ため息を通り越して泣きたくなったものの、不意にこちらに伸びた手に頭を撫でられる。 「ごめんごめん。とにかく怖がらせて悪かったね。私は全然心配してなかったんだけど」 「そうだ! 宗一さん、俺が力をコントロールできてるなんてことも言うし」 少し頬を膨らませて顔を逸らすと、少しだけ車の速度が落ちた。 「……そんな意地悪なところも好きなんじゃないの?」 「……っ!」 本当にこの人は……。 この堂々たる自信が心底羨ましい。と同時に、どこまでも惹かれてしまう。 「好きです」 「あはは! ありがとう。私も君が大好きだよ」 悔しいけど、これは絶対的だ。覆ることは一生、ない。 宗一さんが好きで好きでしょうがない。もはや病的なまでに。 もしかしたら、俺も重いのかな……。 ちょっと不安になりながら、窓の外に視線を移す。ようやく見慣れてきた街中。たくさんのお店が並ぶ大通りをゆっくり進みながら、道行くカップル達を眺める。 俺ももう、あの人達と同じように宗一さんと歩いてるんだろうか。 そう思ったら、途端に見える景色が変わった。これからはもう他人ではなく、家族になる。 まだいまいち想像できないけど、すごいことだ。 俺は血の繋がった家族とすら、ちゃんとした関係を築けてないのに。 ……でも、それもいつか変えたい。 「宗一さんのお父様とお母様は、やっぱり優しい人達でした」 顔は窓の方に向けたまま、はっきり呟く。 振り向かなかったけど、隣に座る宗一さんは笑った気がした。

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