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第85話

────白希は筋が良いね。 いつもはあまり笑わない祖母が、自分の舞を見て微笑んだ。 心の一番深いところに仕舞った記憶。 がらんとした稽古場で春風が吹き抜ける。 汗を手で拭いながら、何だか鯉幟みたいだ、と呑気に考えた。 『兄に比べたら、全然……』 『ふふ。確かに、大胆で華があるのは直忠かもね』 本当にその通りなのだが、グサッとくるものがある。 落ち込んで俯くと、祖母は笑いながら頭を撫でてきた。 『でもこの村の舞は華美なだけでは駄目なの。切なさや悲しみやを表現するのも大事なこと。繊細な表現は、白希の方が上だよ』 『切なさ……』 すぐに想像できないけど、暗い気持ちのことだ。 どんなに頑張っても兄の足元にも及ばない、自分のような。 でも卑下していたら、貧相な芸しかできない。兼ね合いが難しいが、やり過ぎす、控え過ぎず、その場の空気に溶け込めるような舞がしたい。 どれほど厳しくても、自分を褒めてくれるのは祖母だけだ。 そして唯一、自分が踊る姿が好きだと言ってくれる。 ここが居場所だ。村じゃない。家でもない。祖母がいる、このちっぽけな空間だけが……。 『きっと他にも、白希の舞に感動してくれる人が現れるよ。その人を大切にしてね』 そんな人現れるかな。 私は確かにここに存在してるけど、誰にも見えてない。いつだって兄のおまけで、舞踊の継承も、兄が忙しいから代わりにやってるだけだ。 教えてほしい。 私を必要としてくれる人なんて、本当に存在するのか。 「ん……」 あたたかい。 気持ちのいい温もりに包まれ、白希は目を覚ました。 白いシーツと、壁にかけられた風景画。羽澤家とは違う作りの寝室。 「っ!」 慌てて飛び起きる。次いで隣を見ると、誰もいなかった。 謎の焦燥に突き動かされて部屋を出る。自分でも不思議なぐらい不安を覚えていたが、音が聞こえた為奥の部屋に向かった。 そこでは宗一が、優雅に食事の支度をしていた。 なんてことのない光景なのだが、今の心情と違いすぎて気が抜けてしまう。 彼はこちらに気付くと、満面の笑みを浮かべた。 「おっ。白希、おはよう。よく眠れた?」 「……」 あまりに清々しい笑顔で、朝からくらくらする。彼の挨拶には返さず、ダイニングの高いテーブルに両腕を乗せた。 「相変わらず呑気ですね。私が逃げ出さないと確信してるみたいな」 「うん」 うんって……。 やろうと思えばいくらでも逃げようはある。でも“いつでも逃げられる”と思ってるからこそ、こうして留まっている部分もある。 宗一は、白希のそんな心中も見透かしているんだろう。余裕ぶってるのはお互い様ということ。 「よし、パンが焼けた。朝ごはん……の前に、顔洗っておいで。寝癖もすごいよ」 昨日熟睡してたもんね、と笑っている。 とりあえず言われた通りにした。ここ 寝巻きのまま、とりあえず洗顔整髪だけして、ダイニングへ戻る。 「昨日は何も食べなかったからお腹空いてるでしょ?」 確かに腹は空いてたが、クロワッサンひとつとスープを飲んだら満腹になってしまった。 紙ナプキンで口元を拭いてると、彼は席を立って出かける準備を始めた。 「食べて早々悪いけど、出掛けるから着替えてね」 「出掛ける? どこに?」 村かと思い、咄嗟に身構える。しかし彼は腕時計をつけ、淡白に答えた。 「もちろん、病院」

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