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第93話

白希は瞬きした。 「何で……そこまで」 もう目は冴えている。純粋な疑問をぶつけると、宗一は清々しいほどはっきり答えた。 「愛してるから結婚したんだ。何も不思議なことなんてないよ」 言ってる意味は分かる。 でもその心情までは分からない。 「うっ……」 気持ち悪い。 突如、猛烈な吐き気に襲われ口を手で塞いだ。 「白希……!」 異変に気付いた宗一に、身体を支えられる。視界は真っ暗になった。 現実から逃げたかった。 楽しかった出来事が霞んでしまうぐらい、辛いことがあったからだ。生を放棄したわけじゃないけど、弱かった自分はこうすることでしか自分を守れなかった。 でもそろそろ“出てきて”くれてもいいのに────。 「白希? 良かった、私が分かるかい?」 痛いほど眩い白が飛び込んでくる。 白希は寝室のベッドの上で、天井を見上げていた。その端には、心配そうにこちらを見下ろす宗一がいる。 「はぁ~、心配したよ。突然失神するから」 宗一は心底安堵した様子で、傍に腰を下ろした。 「……仕事行くんでしょう? 大人しく寝てますので、出掛けてください」 「本当に大丈夫? やっぱり心配になってきた……私も今日は有給を使おうか」 「大丈夫ですよ。私の身体は意外と強いみたいだし」 そのはずだ。ろくに運動しなくても、医者いらずで生活していたんだから。 煮え切らない様子の宗一をわざと冷たくあしらうと、熟考の末長いため息をついていた。 「わかった。ちゃんと休んでるんだよ」 宗一の出勤後。 ふらふらしながら水を飲み、用意されていた食事を食べる。でもやはり食欲がわかず、スープだけでいっぱいになってしまった。 早く帰ってきてほしい。 しかしそれに応えるように、渡されたスマートフォンの着信音が鳴った。 『白希、急にすまない。もしかしたら……だけど、私が帰る前に人が家に来るかもしれない』 少々切羽詰まった声だ。空も薄暗くなってきた為部屋の明かりを点け、カーテンを閉める。 「人? お客様ですか? 私が出ていいんですか?」 『いや……その、君が良いのなら。でも、できれば私が先に会いたいと思ってるんだけど』 彼にしてはやけに歯切れが悪い。こちらを気遣っているのが見え見えだ。 「別に大丈夫ですよ……適当に話合わせるので、その人と私の以前の関係だけ教えてください」 薄手のガウンを羽織り、受話器を持ったままソファへ戻る。返事を待っていると、数拍置いて低い声が聞こえた。 『君の友達だよ。君のことをずっと心配してたから、安心させてあげたくてね。……君が家にいると伝えたら、すぐに会わせてほしいと言われて、返事を言う前に切られてしまった』 「それはまた」 忙しい人だ。 そう答えようとした瞬間、家の中にインターホンの音が鳴り響いた。 本当に来たみたいだ。なんてタイミングの良い。 「すみません、いらっしゃったみたいなんで切ります」 『本当? あ! 出る前にモニターで誰が来たか確認してから』 彼はまだ喋ってる途中だったが、切のボタンを押してしまった。申し訳ないが仕方ない。 玄関まで小走りで向かい、内側の鍵を開ける。ドアを開けると、自分と同い年ぐらいの青年が立っていた。 彼が……以前の、自分の友人だろうか。 第一声をどうしようか考えていたが、それより先に強い力で抱き着かれた。 「白希! 良かった……体は大丈夫か? 連絡とれないから本当に心配したんだぞ」 「すっ……すみません」 動揺のあまり声が上擦る。抱きつくほど親しい仲なのか。それとも友人ならこれぐらい普通なのか……。 そもそも普通が分からない為硬直してると、彼はゆっくり離れた。 「宗一さんから、お前が家に戻ってきたって電話あってさ。申し訳ないんだけど、居ても立ってもいられなくて走ってきた。一体今までどこにいたんだよ」 「えっと……すみません、色々ありまして」 下手な嘘はつけない。それならまだ、黙っていた方がマシだろう。 「貴方なら何となく察してらっしゃると思うんですけど……」 適当過ぎるが、彼との信頼関係に賭けてどうとでもとれる台詞を吐いた。すると彼はハッとして、声を潜めた。 「やっぱり、お前の故郷が絡んでるのか」 ……! 予想外の返答に息を飲む。 結婚生活が嫌で家出してたとか、適当な理由と結び合わせようと思っていたのに。 この青年は白希の出身地を知っている。 以前の自分が話したのか? ……話しても良いと思えるほど、信用できる人物だったんだろうか。 「名前……」 でも、そういえば名前を知らない。 一番大事なことなのに、宗一から聞きそびれてしまった。 ぼうっと佇む白希を不審に思ったのか、青年な前で手を振った。 「おい、白希? 大丈夫かよ」 「大丈夫じゃないです」 「マジ? どうした」 「久しぶりにお会いしたら、貴方のことを何て呼んだらいいのか分からなくなりまして」 我ながら凄まじいボケを披露していると思う。 でも、こうしないと彼から名前を聞き出せない。この青年には、何故か記憶喪失ということを隠しておきたかった。 自分が全て忘れていると知ったら、きっと傷つくから。 無表情のまま青年の顔を見返すと、彼は心配そうに笑った。 「ったく、また先生とか言うなよ? 文樹でいいから」 文樹。……さん。 名前がわかっただけなのに、すごく嬉しい。 それにこの人、声も香りも仕草も……宗一さんと同じく、懐かしい感じがする。 「ご心配おかけしてごめんなさい。あの……もし良ければ、上がってください」 私の家じゃないけど。 心の中で宗一に謝りながら、スリッパを置く。せっかく会いに来てくれたのに、このまま帰すのも申し訳ない。 文樹は遠慮していたが、半ば強引に家の中に誘導した。 「あっ! そうそう、ここの住所なんだけどさ。何故か大我が知ってたから、それを聞いて来ちゃったんだ」 「大我さん!?」 思わず大きな声を出してしまい、青年は慌てた。 「う、うん。本当に悪い!!」 彼は両手を合わせ、頭を下げる。住所を聞き出したことを謝っているようだったが、白希が驚いているのは別件だ。 大我と知り合い。……まさか、この人……。 以前大我が言っていた、想い人のことが頭をよぎった。 「でも白希……何があったのかちゃんと教えてくれ。大我に何か脅されてんなら、俺があいつと話してやめさせるから!」 「文樹さん、落ち着いて。大我さんには何もされてないから大丈夫ですよ」 「本当か? あいつ、お前を襲った変な奴らと組んでたっぽいぞ!」 話から察するに、彼は事件当日の様子も知っている。白希と同じく渦中にいたようだ。 なら自分だって危険な思いをしたはずなのに……彼は白希のことばかり心配し、そして怒っている。 何て真っ直ぐで純粋な人だろう。 「大我さんはただの学生でしょ。犯罪に関わったりはしてないと思いますよ。文樹さんは大我さんのこと、信用してないんですか?」 「してないよ。直接行動してなくても、お前を襲った奴らと関わってたのは間違いないし」 「ほお……」 「信用したいけど、できない。それにあいつ、わざと俺を怒らせようとしてくるんだ」 「あぁ、それは……怒らせたいわけじゃなくて、……嫌われたいんだと思います」 グラスを両手で持ち、壁に寄りかかる文樹に笑いかける。 白希にも覚えがあった。道源の家にいた時は、自分も大我に嫌われようと頑張った。これ以上彼が苦しまないように……とにかく離れられるように。 「文樹さんを守りたいから。嫌われてでも距離を置こうとしたんじゃないかな」

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