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第6話

 その日の夜。俺は、ノートPCを開いていた。学生向けワンルームマンションは幸い静かな立地で、窓の外には静かな夜が広がっている。  課題の論文を眺めながら、しかしどこか俺は上の空だ。昨日の告白から今日の出来事まで、全部が夢みたいな気がする――なんて思ってたら、ふと、スマホが震えた。  着信画面に表示された名前を見て、時が止まる。 「先生?」  目を疑った。今日登録したばかりの先生の名前が、着信表示で光っている。  頬をつねる間も惜しく、慌てて画面をタップ、受話器のマークをスライド。 「も、もしもし! 秋吉です!」 「忘れ物だ」  いつもと変わらない冷静な第一声。  天に昇りそうだったテンションが一瞬で急冷する。 「え」 「応数Ⅲの資料。三好先生の。今、手元にないな?」  一瞬呆然とした後、慌ててカバンの中をかき回した。ない。今日あの後、先生に相談してたやつだ。 「……ないです」 「研究室で保管している。早めに取りに来るように」  以上。という声が聞こえてきそうだ。  なんだ、ただの事務連絡か……。ドキドキした自分がバカみたいに思えた。  でも、先生が電話をかけてくれたことは事実だ。そう思い直すと、胸の奥がほんのり温かくなった。 「わかりました。明日、行きます。――失礼します」  名残惜しいけど電話を切ろうとした瞬間、受話器の向こうから何か聞こえた気がした。先生の、いつもとは少し違う息遣い。 「? 何か言いました?」 「いや」  一瞬の沈黙。 「その」  先生にしては珍しく、言葉に詰まっている。しばらくもごもごと聞き取れない音が続いた後、やっと先生の声が戻ってきた。 「一応、こうした連絡をすべき間柄だと認識しているから伝えておく。今週末からいろいろ締め切りが立て込んで忙しくなる。……だから、その、――しばらく、会えなくなる、と、思う」  え。  いま、なんて?  頭の中が真っ白になる。 「……秋吉?」  不安そうな声に呼ばれて、はっと我に返った。 「は、はい! 聞こえてます!」  大声で返事をしながら一気に真っ赤になる。こんなの想像もしてなかった。先生が、自分から、俺に会えなくなることを伝えてくる。これって、恋人として当然の行動なんだけど、先生がそれを理解して実行していることが信じられなかった。  どうしよう、嬉しい。だらしなく顔が笑っちゃうけど、電話だから見えない。良かった。 「了解しました! その、電話、ありがとうございました!」  動揺のあまり、気の利いたことも言えずに電話を切ってしまった。なんだこれ、俺らしくない。でも頭が追いつかない。  ドキドキの余韻に浸りながら、ソファに身体を預けた。先生からの電話。「こうした連絡をすべき間柄だと認識している」なんて、不器用だけど確かな気遣い。  スマホの画面を見つめながら、気づけば頬が緩んでいた。消えないニヤニヤ。この感情を誰かに説明するなんて無理だろう。 「……やっぱ先生、かわいいなあ……」  心の底からそう思った。  あの、『氷』なんて言われているくらいクールな先生が、ぎこちなく恋人らしい行動を見せてくれてるんだ。そう思うと、止められない笑みがこぼれる。  これからの日々が、どんな風に変わっていくのか。ただそれを考えるだけで、胸がいっぱいになる。明日、先生に会うのが今から待ち遠しい。  と。無邪気に思っていた俺の浮ついた頭は、先生が伝えてくれた後半部分の意味を、まだちゃんと飲み込めてなかった。 『しばらく、会えなくなると思う』  ――この電話を最後に、本当にひと月以上も先生と話せなくなるなんて、この時の俺は想像もしていなかった。 <了>

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