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一課の刑事

 日中の熱を溜め込んだ橋を渡りながら、門叶(とかない)は自身の腋窩(えきか)に鼻を寄せたあと、溜息を吐いた。  二日も風呂に入っていないし、もう三十路だから加齢臭も否めない——なんて言い訳も一緒に。  橋の上で雅に揺れる桜紅葉には目もくれず、鉛のように重い足を奮い立たせながら、家路を歩く。    久々に味わう定時退庁だけれど、後で落胆するのが予想できる。  早く帰れることは、まやかしだと知っているから素直に喜べない。  築二十年のマンションの二階。  角部屋と見晴らしのいいベランダだけが自慢の我が家に着くと、門叶はジャケットをソファに投げ、ワイシャツを洗濯機に突っ込んで風呂場へ直行した。  汚れと一緒に忙殺した時間を洗い流し、体も心もリセットしたい。そして仕上げは、冷えたビールを流し込んでベットに潜り込む。  それが地続きでやって来る、過酷な仕事への活力に繋がるのだ。  烏の行水を済ませると、タオルで髪を拭きながらビールを取り出した。  ゆるいパーマのかかった前髪をかきあげながら、プルタブに指をかけたと同時に、テーブルの上でスマホが震えた。  恨めしそうに門叶はそれを眺めながら、肩を落とした。  画面を確認して、やっぱりなと意気消沈する。 「……はい、門叶。キドさん、お疲れさ——」 『召集だ。赤羽台の常磐(ときわ)大学でホトケさんが出た』  先輩で相棒の錦戸(にしきど)の声を聞いて、嫌な予感は的中したと自分の勘を恨めしく思う。 「殺しで——」 『すぐ現場に来い、いいな』 「わかりました——って、もう切ってるし」  相変わらず要件しか言わない相棒に降伏すると、門叶は八つ当たり気味にビールを冷蔵庫へと戻した。  髪を乾かしながら、お情け程度の筋肉しかついてない上半身を鏡越しに眺めた。  手のひらで生っ白(なまっちろ)い肌を人撫ですると、ボディビルダーのように力こぶを作ってみる。  華奢な体が貧相で、ポーズをとっても笑いしか起きない。  中性的な顔は髭もほとんど生えず、荒々しさの欠片もない。  優しげな眼差しは一課に似合わないと、配属したてのころは、先輩刑事によく冷やかされたものだ。それでも一課の刑事になりたかった。  臭いセリフだけれど、正義のために。  髪を整えて手早く着替えを済ませると、玄関へ向かった。  靴を履きかけた耳に、再び着信音が届く。  ジャケットの袖に片腕を通しながら、もう一方の手で画面をスクロールした。 『最近店に来ないね。キレイな君の顔を快楽で歪ませて、バックで攻めたてる夢を見たよ。今度こそ後ろからヤラせてくれよな。連絡待ってる』  性的欲望を喚起する文面をスルーし、内ポケットにスマホを沈めながら、今の誰だっけ……と一瞬考えた。  記憶を手繰り寄せても、それらしい顔は浮かばない。いい意味でも悪い意味でも、印象に残らなかった男だったんだろう。  溜まった快楽を吐き出すのに、愛情はいらない。誰かを本気で愛しても、それが報われなければ、歪んだ感情に豹変するかもしれないことを、門叶は知っているから。  即席の愛はこんなものだと言い聞かせ、門叶は過去を閉じ込めるように玄関の鍵を閉めた。

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