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あれから、四年

 カラカラと引き戸が開く音に反応し、「いらっしゃい」と、新客に威勢よく声をかける。  そのあと、律は席まで案内すると、手際よく注文をとった。  大学と自宅の間にあるラーメン屋、『麺結(めんむす)吾一(ごいち)』で働きだして、もう五年目を迎えようとしている。  高校二年の時は声すら出なかったのに、今では常連さんから名前も覚えてもらえるようになった。  おまけに、くだけた会話まで出来る成長を遂げていた。 「律、お前もう上がっていいぞ」  店長の加賀美真吾(かがみしんご)が、中華鍋を揺すりながら声をかけてきた。 「はい、じゃ五番片したら上がります」  空いたテーブルを拭いたあと、どんぶりを流しに置いた律は、「お先です」と言って事務室のロッカーを開けた。  脱いだTシャツをリュックへ押し込み、頭に巻いていたタオルで汗を拭く。   パーカーから顔を出したタイミングで、事務所に入って来た加賀美に気付き、「お疲れ様です」と声をかけた。 「律、ちょっといいか」  五分刈り頭にタオルを巻き、顎髭といった風貌は一見して強面に見える。  けれど、性格は真面目で超がつくほど優しい。  四十手前に見えない若々しさと、面倒見の良さは学生バイトから兄のように慕われている。 そんな彼に律はバイトを始めた頃から世話になり、今でも気にかけてもらっている。 「どうかしました、真吾さん」 「あのさ、お前シフト入れすぎじゃないか? 大学もあるのに働き過ぎだろ」  頭のタオルを取ると、そこをガシガシと掻きながら加賀美が言う。  煙草を口に咥えて眉根を歪めるこの顔、このセリフ。  昔、同じことを言われたなと、浅はかだった自分を思い出した。 「ありがとうございます。でも平気ですよ、体は丈夫なんで」 「勉強は大丈夫か? 留年なんて——」 「それも大丈夫です。前期の成績もA判定だったんで。約束を破ってないですよ」 「……ならいいんだ。まあ、実際、お前がシフト入ってくんないと店、回らないけどな」  加賀美の言葉で安堵し、「気にかけてもらってすいません」と頭を下げた。   心の中で、今も昔も、と、付け足して。 「そんな殊勝な態度はよせよ。ただ、お袋さんを心配させることだけはするなよ」  高校生のとき、金が必要な理由を律は加賀美へ告白した。  そして、半ば強引にフルで働くことを了承してもらった。  だからこそ、今もこうやって彼は自分を心配してくれている。  感謝しても仕切れないほどに。 「ありがとうございます。真吾さんのお陰で俺、安心してここで働けるんです」 「……まあ、無理だけはするなよ」 「はい。それじゃまた明日、お疲れさまでした」 「おお、おつかれさん」  爽やかな笑顔で挨拶する律に、煙草を指で挟んだままの手を上げると、成長した背中を見送った。         ****  ドアが閉まり切ると、紫煙を吐きながら、「あれから四年か……」と、呟く。  あのときの、あの切羽詰まった律の顔を加賀美は忘れていない。  いや、忘れようにも、忘れられない。  学生らしい遊びもせず、生真面目に働く姿は、しっかりしてそうで脆さを感じていた。  枯れ枝のように、今にもポキっと折れそうで、心配するなと言う方が無理だった。 「俺は見守るしかないよな、今も昔も……」  タオルを頭に巻き直しながら呟くと、加賀美はやるせない気持ちと一緒に、煙草の火を消した。

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