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律と一楓 「いつか、きっと」

「もうすぐ春だって言うのに、まだ外は寒そうだね」  ベッドから体を起こし、冬枯れの木々を見つめながら一楓が呟いた。 「そうだな。一楓、寒くないか?」  日曜日の午後、白いシーツの上で揺れる陽だまりに手を透かす一楓を、律は愛おしそうに見つめていた。 「うん、平気。今日は気分も悪くないし咳も出てないんだ。これって律がいるからかなぁ」  青白くこけた頬の一楓が笑っている。  頑張って作る笑顔が痛々しくて、でもそこには僅かな強さを感じられた。  生きようとして死に抗っている姿は尊い。  どんなに痩せ細っていても、一楓は本当に美しい。 「それだったらもっと会いに来ないとな」  一楓の頭に手をやると、律は出来る限りの笑顔を意識した。  ふわふわの髪は消え、代わりに頭部を守るのは律が買ったニット帽だった。  赤茶系のグラデーションで編まれており、先端にはポンポンが付いている。  白い肌によく似合っていた。 「毎日来てくれてるじゃない、これ以上の贅沢はないよ」  十代のみずみずしさを失った頬が表情筋を駆使し、唇を両端に上げて頑張っている。  一楓の笑顔はこれまでと変わらない、大好きな安寧の結晶だ。  唯一無二の笑顔を守りたいのに、それができない。自分のできることは、涙腺が緩みそうになるのを必死で堪えて笑顔を見せることだけだ。  絶対に一楓の前で悲しむ顔は見せない。  絶対に……。 「もっと暖かくなったら、桜もいっぱい咲くかな……」 「あ、そう言えば病院の近くにも確か桜並木あったよな」 「うん……」  一楓の瞳に窓の外の景色が映り込み、律は消え入りそうな横顔に焦りを覚えた。  だから慌てて、「一楓、一緒に見に行こうな。桜」と、切なる願いを込めて言った。  手をそっと握り、骨の浮きでた甲を何度も撫でる。  窪んだ瞳の周りが色素沈着で黒ずんでいるのは、見えない場所で増殖する悪性の腫瘍や、抗がん剤の副作用がそれを生み出した根源だ。  そんな敵と一楓は毎日戦っている、か細い体で……。  一楓の輪郭がぼやけてきたから、律はこっそり目頭から雫を追い払った。 「絶対一緒に行こうな。桜の下を一緒に歩きたいって言ってたろ」 「律、覚えてたんだ……」 「当たり前だろ、俺だってお前と一緒に行きたいんだから」  握り締めていた指先に唇を寄せ、律は冷えた肌を吐息で温めた。  当たり前だったことの価値を、弱って行く姿で学んだ。  空や、見慣れた日常の景色でさえ、一楓と一緒に見ることは全て特別で、でも、永遠ではない……。  どうか一楓を連れて行かないでくれ……。  当たり前の明日を一緒に過ごせるよう、律は心の中で何度も何度も祈った。

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