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第6話

「それじゃあ今日はここまで」    講師がそう言うと同時に、教室内が賑やかになり人が流れ出ていく。  それが少し落ち着くのを待ってからオレも帰ろうと足元のリュックを机に置いたところで「月待くん」と声をかけられる。  声のした方に視線を向ければそこにいたのは最近仲良くなった院瀬見灯織(いせみ ひおり)くんだった。   「今日はもう帰り? よかったら一緒に帰らない?」 「この後バイトだから駅まででよければ」    誘いを受け、今日は院瀬見くんと駅まで一緒に帰ることにした。  駅まではバスで行くことになるので、まずは二人でバス停まで向かう。   「そうだ院瀬見くん、デートできたよ。ありがとう」 「もしかして気になってたのバレた?」 「いや、普通に報告のつもりだった」 「ふふっ、墓穴掘ったか」    その道中、ふと思い出したので朧とデートをしたことを報告すれば何故か院瀬見くんは焦っていたけど、気にされてたのには気付かなかったので首を振ったら余計なことを言ったと頬を掻いていた。  院瀬見くんとは少し前に同じ講義を受けた時に隣に座ったのをきっかけに話すようになって、以降大学で逢うとこうして声をかけてくれる。  事の始めは覚えていないが恋愛か恋人の話になって、好きな人がいることを告げたら「デートしないの?」と言われ、恋愛なんてしたことなかったから逢う以外のことも時には必要なのだと衝撃を受けてオレは朧をデートに誘ったのだ。   「うまくいった?」 「デートが?」 「うん? デートを介してその好きな人と距離は縮まった?」 「向こうのこと知って、オレがもっと好きになっただけだった」    誘ってみるよと言ったからそれが叶ったって、本当に報告のつもりだったからそれ以上のことを聞かれて一瞬戸惑った。  うまくいった? がどこまでのことを差しているのかも理解が追い付かなかったから聞き返したら、想像していたより深かったがデートは成功とは言えなくてそれはつまり距離も大して縮まっておらず。  ただオレの気持ちに変化はあったと告げれば院瀬見くんは長い睫毛の生えた瞼を惜し気もなくぱちぱちと忙しなく瞬かせた。   「あはっ、はははっ! そうなんだ」 「笑うとこあったかぁ?」 「あははっ、ふふっ。ごめん。想像してたのと違う答えが返ってきたから」    一瞬の間がありなにかと思ったら、院瀬見くんが声を上げてケラケラと笑い出す。  今のどこに面白いところがあったのかわからず首を傾げたら、彼はオレは悪くないと頭を振ったがオレがちょっとズレてたんだろうなってのは察した。   「でもよかったね」 「よか、ったのか?」 「自分の気持ちがあるのを知ってるっていうのは、大事だよ」    だが友達と恋愛の話なんてしたことがないからどこが普通じゃないのかもわからず、返す言葉を見つけられずにいたらよかったと言われ、またも意味がわからずに疑問を投げれば数秒前まで大笑いしていたのとは思えない落ち着いた声で返されて頷くしかできない。   「この前も言ったけど、オレ……そういうの疎いから全然わからなくて。デートって発想もなくて。でも院瀬見くんのおかげで好きな人とデートできて、もっと好きだって思えた。本当にありがとう」 「おれは気になったことポロっと言っただけで、行動に移したのは月待くん自身だ。大したことしてない」 「でも今日だって話聞いてくれてる」 「気になったから聞いてるだけ、聞いた話に思ってることを返してるだけ」    オレにとっては大したことだからお礼を言ってるのだけど、院瀬見くんには微妙に伝わりきらない。  適切なラインってのがイマイチわからないんだよなぁと思案していると、隣を歩く彼の顔にふと笑みが浮かんだのが見えた。   「月待くんって、友達少ないでしょ。あといなくても大して困らない人」 「確かに興味が薄い自覚はあるけど、急」 「だってあまりにおれのこと美化してるから」 「適当な距離感がわからないのはある」    突然逸れた話に答えはするけど、なんでと零せば痛いところを突かれた。というか考えていたところをピンポイントで刺された。  しつこかったのかもしれないと反省し、気に障っただろうかと表情を窺えば綺麗な瞳と目が合って思わずドキッとしてしまう。   「怒らないんだね」 「怒るところあった?」 「いや、キミがないならないんじゃないかな」    ぽつりと零れ落ちた言葉に、逆なんじゃないかと考えてたところだったから理解が追い付かないが院瀬見くんが違うならいいやと視線を逸らしたのでまあいいか。  こういうのってもしかしたら聞く人が聞いたら悪意がなくたって嫌味なんだろうけど、あんまりにもその気配がないので人付き合いがあまり得意ではないオレは感心するばかりだ。  それは院瀬見くん自身の持つコミュニケーション能力もあるだろうが、端整な顔立ちもその後押しをしていると思う。  キリっとしたツリ目と長い睫毛、薄く色のついた眼鏡で正確な色はわからないけど色素の薄い瞳がまず目を惹く。  陽に当たると時々キラキラと光る黒髪もすごく綺麗だ。だからって女性的ではなく。  どことなく感じる儚い印象も合わせて【綺麗な男の人】ってこういう人のことを言うんだなっていう感じ。  彼に指摘された通り友達らしい友達がいないのもあるけど、院瀬見くんはどこをとってもオレの周りにはいなかったタイプで全部が新鮮だ。   「おれがキミによくするのに深い理由なんてないよ。友達になりたいって自分の直感に従ってるだけだから。あ、でも今日もそういう下心で声をかけたから不純ではあるか」 「友達が多い人に言われても……」    恥ずかしげもなく友達になりたいって言われても友達が多い院瀬見くんと、友達がいないオレとではその比重が違ってきてしまうのではないのかと首を傾げていると、彼はいつもと変わらぬ穏やかな声でいつもと同じように「ふふ」と笑みを零す。   「多いのは知り合いだよ」    零れ落ちた言葉は違和感を覚えるほど渇いていたが、それは意味を違えないでと訴えているようにも聞こえた。  オレには彼の周りにいる人々は彼の傍でよく見る人たちだけれど、院瀬見くんには院瀬見くんの友達の基準があるんだろう。それこそオレにとやかく言えることではない。  それを彼の言う知り合いがどう思うかは想像に容易い気もするが、オレはそちらさんとは関わりがないので優先する理由もない。   「自分で選ぶよなあ、友達くらい」 「それ、オレに言うんだ?」 「そういうことが言い合える関係になりたいって話をしてるからね」 「すごい口説き文句」    彼がカラカラと明るく笑って言った言葉が普通はこういう場で言うものでないことくらいはオレにでもわかる。  それが嫌味でないこともわかるが相手はオレで合っているのかと聞けば、微笑まれながら返されて照れるなというのは無理だ。  恐らく彼は自分の良さを理解していてそれを武器として扱うことが出来るのだなと思いつつ、友達としてそれに振り回されるのは悪くないと思えてくる。本当に不思議な人だ。  喜びも重なって勝手に熱を持つ頬を抑えていると、同じように照れた表情で院瀬見くんが「こんな恥ずかしいこと、誰彼言うわけじゃない」と呟いた。      *****      院瀬見くんに言われた通り、友達……に関わらず、オレは人との関わりに関心も興味も薄いんだと思う。  だからそれが自分の傍になくたって困ったこともない。  でもあることが喜びであるとオレは朧に出逢い、遊羅くんやダンくん、院瀬見くんと出逢って知ることが出来た。  自分の呪いも祓われ、友達もできてあの社は良縁を結んでくれるのかも、と思ったらお礼参りした方がいい気がしてオレは社へと向かった。  まあ半分は朧に逢いたいが為の口実づくりなのだけれど。    いつものように石段を駆け上がり、鳥居を潜り、ちゃんと玄関から中に入ると珍しく遊羅くんが一番最初に出迎えてくれた。   「なんだしゆ、また性懲りもなく来たんか。帰れ」 「来たばっかじゃん……。これお土産」 「また甘味……」    ため息を吐く遊羅くんに朧と、珍しく姿の見えないダンくんのこと聞こうと思ったらオレがなにかを言うより先にダンくんが出てきた。   「今日も貢ぎに来たな、しゆ」 「お邪魔します。カステラ持ってきたよ」 「甘味だ」 「お、いいところに」    遊羅くんに渡した紙袋はそのままダンくんの手に渡る。  お茶淹れると言いながら上がるように指を差されたので靴を脱いで台所へ行こうとするダンくんの背中を追うように靴を脱ごうとしたところで、違和感の正体に気付いた。   「ダンくん、もしかして具合悪い?」    ハッキリわかる違和感なんて出迎えてくれた人がいつもと違う、くらいだから外れている可能性は大いにあるんだけど。  ダンくんに限らず具合悪い人がいるなら上がるわけにはいかないと、デリカシーがないの承知でその背に問えばダンくんはこちらを振り返り、一度遊羅くんを睨み付けてから視線をオレに向けた。   「悪くない。疲れてて多少機嫌は悪い」 「オレはしゆ帰った方がいいと思うけどなぁ」 「土産受け取ってんだろうが!」 「オレのことはいいよ、それは三人で食べて。悪いから帰るね」 「しゆもうだうだ言ってねえでさっさと上がれ!」    疲れてるのって具合が悪いってことなんじゃないのか。お土産渡しちゃったから上げなきゃみたいな決まりがあるっぽいんだけどダンくんの体調無視してまでお邪魔したいとは思わないから帰る、と言ったけど直前の遊羅くんの揶揄も相俟って完全にキレてる。  上がらなくても機嫌を損ねるのではと思い「お茶自分で淹れるよ」と言ったら「黙って上がれ!」と物凄眼力で睨まれた。   「こっわい……」 「あいつのああいうとこ可愛いよねぇ、ほんとさ」    具合じゃなくて機嫌が悪いってこういうことかと受け取りつつ、家鳴りを起こすほどの怒号に怯んでいると恍惚とした表情を浮かべた遊羅くんがぽつりと呟いた声が耳に届く。  ヤンキーが殴り掛かってくる一歩手前みたいなキレ方してるのを「可愛い」なんて思えるのよっぽどだと思って遊羅くんを見上げたら本当に嬉しそうに笑ってる。  いや、ダンくんとは別の意味で遊羅くんも怖い。   「そうやって遊羅が煽るからダンくんがますます怒るんじゃない?」    触らぬ神に祟りなしと言わんばかりにようやっと姿を見せた朧が遊羅くんに呆れていたけど、なんの効力もなく彼はご機嫌に「えへへぇ」なんて笑ってオレたちの間をすり抜けて茶の間へ行ってしまった。   「遊羅くんとダンくんって、本当に恋仲じゃないんだよな?」 「しゆより遥かに長いこと一緒にいるオレが断言する。違う」 「朧が言うなら違うんだろうな」    二人の背中が見えなくなってから確認のためにこそっと朧に聞いてみたが、答えは是だった。  前に遊羅くんが冗談めかしてそういう関係があるみたいなことを言っていたのを、ダンくんがハッキリと嘘だと言っていたのを聞いてたからそれを信じていたけど今のを見ると疑念が湧くというか。  恋仲じゃないにしてもどちらか一方……この場合はあからさまに遊羅くんの方は好きって可能性は捨てきれないかもと質問を変えるべきかと悩んでいたら、隣で朧が唇を尖らせながら小さな声で「うーん」と呻いている。   「違うっていうのはしゆでもその内わかるかもしれないけど、でも……違わない」 「違わない?」    どうしたのかと首を傾げ視線で訴えればそれに気付いた朧が一瞬視線を泳がせた後、答えてはくれたけど朧自身もうまい言葉が見つからないのか迷っているのでどう足掻いてもオレには理解が及ばない。  人間より長く生きる妖ならそりゃあ人間関係以上に色々あるのだろうなと思考をうっちゃろうとしたオレの隣で朧が急にすっ、と背を正した。   「それもしゆが変なことして出禁にならなければわかるかもしれない」 「それはとても難易度が高そう」    言葉に迷って泳いでいた目があまりに真っ直ぐにこちらを見上げるので、朧の方が先に言葉にして伝えるのを諦めたようだ。  同時に来られなくなったら知らなくていいことだったと言いたげに投げやりな口振りで吐き捨てられ、オレはもう笑うしかなく。  そんなオレに朧が「ダンくんに怒られる前に上がったら?」と平然と言うのでオレは慌てて靴を脱ぎ、茶の間へと向かった。    それから少ししてお茶を淹れたダンくんが戻ってきて、いつもより随分と乱暴に円卓に湯飲みと皿が並べられた。  第一印象も結構怖かったけど、ここまで機嫌の悪いダンくんは初めて見るのでオレは動作一つ一つにいちいちビクついてしまう。   「あ、黒文字忘れた」 「手で食うよぉ」 「じゃあお前はそうしろ」    お盆の上の物が並べられたところで、フォークがないって立ち上がったダンくんに遊羅くんが声をかけたけど一刀両断されていた。  それに再び台所に行ったダンくんの背中が見えなくなってから遊羅くんは「んふふぅ」と笑ってはそのままカステラを掴んで食べ始める。  目の前に好物の甘味があるのにお預けを食らっている朧はそわそわと落ち着かない様子だ。  だが一瞬にして二人の動きが止まり、部屋の空気がピン、と張り詰めたかと思うと台所とは別の方向からドシドシと重たい足音が近付いてきて、この部屋に繋がる襖がスパーンと高い音を立て勢いよく開いた。   「やあやあ強く権力もありその上見目麗しい私が逢いに来たよ愛しい人!」    その音に驚いて顔を上げると、そこにどこか見覚えのある人が立っていた。  頭から赤い角が生えてて、金髪で、がっしりした体格で背も高い。   「あ、」 「おや、お前はいつぞやの迷子」    あの時とのテンションがあまりに違って一瞬繋がらなかったけど、オレに向けてくれる声や口振りは変わらない。  立ったまま見下ろされると、オレが座ってるのもあって益々威圧感がすごいな。  だが圧倒されている場合ではない。助けてもらったお礼を言わなければとオレは慌てて頭を下げる。   「あの時はありがとうございました。無事に朧とも逢えたし、帰ってこられました」 「そうだよ、私のお陰で無事だったんだ。ちゃんとその胸と生涯に恩義を刻んでおけ」    随分と傲然たる態度だけど、妖相手に機嫌を損ねてもいいことはないと思うから「はい」と頷いたら彼はその瞳を細めた。   「あ、えっと。遊羅くんはこの人と知り合いなの? 偶然もあるんだね、オレこの前迷子になった時この人に助けてもらったんだ」    何故そこで黙るんだろう、と思ったがそもそも社の主である遊羅くんがなにも言わないでいるのも不自然で。  社以外の人とオレが関わりを持ってるのを怪しんでいるのかもしれないと慌てて顔見知りである事情を説明したが、遊羅くんは何故か引いていた。   「お前本当に馬鹿だ。そいつがすべての元凶だ馬鹿」    そして呆れてものも言えないと肩を竦められ、ため息と共に吐き捨てられた言葉にオレが返せたのは「え?」なんて間抜けな一言だけだった。

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