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第11話

 遊羅くんに怒られて階段を下りて社から距離を取る。  放り出された際に頭を打っていたのを見ていたから心配になって灯織くんが下りてこられるだろうかと待っていたら、彼はふらふらと覚束ない足取りで下りてきた。  だがそこにオレがいるのを見るなり、なんでいるんだと言いたげに険しい表情を浮かべる。   「いくらキミのことを考えてしたことだと言っても、今は聞き入れてはもらえないんだろうね」 「そうだって灯織くんが考えている限りはキミの話も言葉も聞くつもりはないよ」    わからず屋と言わんばかりに同じことをくり返す灯織くんに腹は立ったが遊羅くんに怒られたのが効いたのか、さっきよりは落ち着いて返せる。  けれど灯織くんの言葉を受け入れるわけではない。寧ろ今のままではそれは無理だとキッパリと言い切れば彼はなにか悪態を吐きたそうに口を開いたが言葉が浮かばなかったのか思い留まったのか「あっそう」と吐き捨ててオレに背を向けて行ってしまった。  地面を滑ったせいでいつも綺麗にセットされている黒髪がくしゃくしゃになっていて、服も白い肌も擦れて砂だらけだし傷だらけだ。  今は心配だって駆け寄るのも違うだろうと自分に言い聞かせ、オレも彼に背を向け家へ帰ることにした。      *****      そもそも朧と仲直りするつもりで社に行ったのに、灯織くんと喧嘩になって今度は遊羅くんに仲直りしろと言われてしまった。  否、遊羅くん自身にそのつもりがあったのかはわからないけどまあ同じことだろう。  だって灯織くんとのことを解決しなきゃ彼は遊羅くんたちを祓おうと社に向かうだろうから、そうさせない為には縁を切るか仲直りするしかない。  縁を切るのは楽だし簡単だが、そうなるとそれこそオレは彼のすることに口を出せなくなるから朧やダンくんを危険な目に遭わせるのと同義になる。   「だからってなあ……」    実際、仲直りなんて難易度が高い。オレは縁を切ることで人との関係を保ってきた方が多いからだ。  修復できるようなものだろうかと思いつつ、そうしなければならないと理解はしているが未だに行動に移せていない。  それは何故か、結構な風邪をひいたから。   「しんどい……」    風邪なんてここ暫く引いていなかった。大きな怪我をしたことも中学以降はほとんどなかったのでどうしたらいいのかわからない。  それよりもっと昔はどうしていたっけと記憶を巡らせたが、病院を連れ回されていたことしか思い出せなかった。  手元の携帯で調べた感じだと消化にいいものを食べて薬を飲んで寝てるのがいいらしいんだが、作る気力もなければ外に出る気力もない。  病気や怪我をしてこなかったせいか、カゼ薬なんてないし解熱剤なんてものもない。常備してるのは絆創膏くらいだ。  引かぬ熱、痛む頭、怠い体に水を飲むこともままならず治るのだろうかなんて考えていたらインターフォンが鳴った。  だがなにか荷物が届く予定もないし、オレの家を知る人はいない。バイト先に出した履歴書には書いたが休みの連絡は入れてある。  勧誘だとしたら無視していればいなくなるだろうと居留守を使ってやり過ごそうとしたが、インターフォンはもう一度鳴りその上ドンドンッ! と乱暴にドアを叩く音までする。   「生きてる!?」    どちらにせよ居留守を貫くしかないと思っていたが、ドア越しにも聞こえた声にオレはゆっくりと立ち上がってふらふらと玄関まで歩いて向かい、ドアスコープを覗く。  そこにいたのは灯織くんで、色々と思うことはあったがオレは鍵を開け、ドアを押しやる。   「辛うじて生きてるって感じだね」    押しやっただけで押さえる気のないドアを引いて見えたオレのぐったりした姿を見て灯織くんは安堵した声でそう零しては「なにか食べられそうか、アレルギーはないか」とだけ聞いてすぐにいなくなってしまった。  それから少しして大きなビニール袋を持って戻ってくるなり、マスクをしてから部屋へ上がり冷凍のうどんで簡単な食事を作ってくれて、オレがそれを時間をかけて平らげた頃に水と薬を出してくれた。   「ありがとう」 「着替えて少し胃を落ち着かせてから横になった方がいい」    慣れぬ錠剤をなんとか飲み込んで、言われた通りに汗でびっしょりだった服を着替える。  その間に灯織くんは使った食器を片付け、一応と言って嘔吐時用の洗面器まで用意してくれた。  それが視界に入るとそれこそ具合が悪くなりそうだったので、自分の背後へとそうっと移動させる。   「熱さましのシート貼る?」 「そんなのあるんだ」 「あるよ。知らなかった?」 「知らなかった。風邪なんて久しぶりに引いたから」    冷やしてないけどと言って出されたのは、額に貼るなんかジェル状のシップのようなものだった。  初めて見ると呟いたら箱を渡されたので使い方を確認し、額に貼ったがうまく貼れているかの自信はない。   「社を追い出されてるから、主の加護が足りてないんだろうな」 「そういうものなのか……」    慣れぬ感覚に額を幾度も撫でつつ灯織くんの言葉に頷く。  今は遊羅くんの力だが、中学以降ってことはそれまではオレを呪っていた力が働いていたんだろうな。   「それで来てくれたの? 家、教えてなかったはずだけど」 「おれとのことが気まずかろうが充くんは大学には来るだろ。でも来た姿を見ないからよっぽどのことがあったんだろうと様子を見に来たんだよ。よっぽどのことだったみたいだから来てよかった」 「場所は」 「キミから妖の気配がしたのに気付いた時、それを辿ってきたことがある」    家に来た理由は心配してくれたんだってわかったが、場所を知られていた理由に納得はできないな。  彼の役目上仕方のないことなんだろうけど今ははいそうですかと素直に受け入れられない。  でもそれに悪態を吐こうと思えないのは心配したと言って、ここまで看病してくれたからだ。例えそれが役目の為だったとしても、今ここで追い出す気力はオレにはない。   「あわよくば話が出来たらと思ってたけど、別の意味で無理そうだから今日は帰るよ」 「今日がいい」 「ええ? そんな状態で?」 「頭がぼーっとしてる方が素直に聞ける気がする」    ここまで体調が悪いとは想像していなかったと零す灯織くんに、今の方がいいと包み隠さず告げれば彼は「ひどいこと言うなぁ」と苦笑をしつつ「わかったよ」と肩を竦めた。  灯織くんはオレの為に水を用意して、無理だと思ったらすぐに教えてくれと前置きしてから落ち着いた声で話し始める。    妖の気配がしたからオレに近付いたこと、最初に話を聞いた時から時期的にオレの好きな人が妖だろうというのが察しが付いていたこと、その気配を利用して妖の力量を測ろうとし払おうとしたこと。  最初はただただ利用するつもりで、けれどその内に本当に友達で在れたらと思い至り、だからこそ傷付けたくなくて行動に移ったこと。   「それがおれの役目であることも、キミを想っているからというのも充くんの気持ちを無視していい免罪符にはならない。おれの勝手だった、本当にごめん」    灯織くんの言葉をぼんやりとした頭でゆっくりと整理しつつ、謝罪をして下げられた頭を見やる。  意図的に出逢ったことも、利用する為に友達になろうとしたことも、悲しいかな今でも怒るほどのこととは思えない。  それは彼が本当にオレに対しての友情を感じてくれているからだとか、オレもそうだからとは違う。  役割としては当然なんだろうなという感情しか湧かないからだ。  だからといって、友達で在りたいと思ってくれていたことは嬉しいと思っている。  説明をして伝わるものだろうかと思案を巡らせているとそれに気付いたのか灯織くんは顔を上げると苦い笑みを零した。   「追い出したいならそうしてくれて構わないよ。今はキミがそれをできる人だと知っているから」 「ならしないってことは思ってないってことだよ。ただ許せることも許せないこともあって、言語化が難しい」    向けられた笑みと言葉に嫌味が含んでいるんだろうと察しが付いたがそこから悪意は感じない。  でも嫌味であるのは確かだろうから同じように嫌味を返してから、上手い言葉が見つからないと告げれば彼は「そうか」と呟いた。   「絶交だと言われるのも覚悟していたから少しホッとしてる。充くんは縁を切ることを大層なことだと思っていないだろうから」 「否定できない。でも灯織くんがホッとしてるってことにはオレも嬉しいって思ってる」    自分が相手にとってその程度だと知るのはいい気分にはならない。どうでもいい相手ではなければないほど。  だからこそお互いがそうはならないで欲しいと思っていると伝わっていることは嬉しいが、それ故に話が難しくなってるのも理解できてしまう。   「祓い屋だからというのもあるけど、やっぱりおれは認められないよ。充くんが妖を好きなこと」 「友達だからだと思っていてくれてるのが嘘じゃないとわかるよ。でもこのままならそっちの都合で勝手だっていうのは変わらない、それならオレは聞けない」 「そうだね」    本心がどうであれ祓い屋であることすら建前にして都合を押し付けられていることには変わりがないと首を振れば灯織くんは頑固だと言いたげに肩を揺らした。   「ならもう少しだけ聞いてくれる? おれの話を」    自分のことを話さないで事が済めばいいというのが明け透けだが、隠そうと思えば彼ならいくらでも噤んだままでいられるだろうとも思う。  話を聞いたからってオレの意見が変わるかどうかは、オレ自身にだって判断できない。それは灯織くんなら理解しているだろう。  それでも話そうとしてくれる彼の気持ちを汲んで頷けば、灯織くんは安堵したように息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。   「おれ、妖と人の子から生まれた半妖なんだ」 「え?」    想像もしていなかった言葉に、熱のせいだと言ったとしても間抜けな反応しかできなかった。  理解が追い付かず頭上に増え続けるだけの疑問符を感じ取ったのか灯織くんが眼鏡の向こう側で酷く寂しそうに瞳を細め、言葉を続ける。    母親が妖で、祓い屋として変わり者だと言われていた父親と恋に落ちたこと。  母は父の立場を知っていたから自分を妊娠したという事実を告げずに生んだが、隠し切れなかったこと。  その罰として父は母を己の手で殺めたこと。  父に見捨てられることはなかったがそれは妖からも一族からも嘲罵を浴びせられる日々の始まりでしかなかったこと。  そんな一族の中で半妖の自分が祓い屋として生きていかねばならなかったこと。  妖としても人の子としてもどちらにもなれないという事実は、祓い屋でなくともとても辛く苦しく終わりがないこと。   「オレには端から幸福なんてない。父も母も愛し合っていた時間こそ幸せだっただろうが、そんな事実あったところでおれにはなんの慰めにもなりゃしない」    灯織くんは多くを語って、最後にそう恨みがましくぽつりと呟く。  あの時灯織くんはオレに「不幸になる道を歩もうとしているのを見逃すことなんてできるわけない」と言った。  話を聞いてる途中までそれは彼自身のことだと思ってた。でも違う。  幸せな時間があったとしても、愛し合っていたはずなのに父親が母親を手にかけたことを、そういった事が起こり得るということが彼の思う【不幸】なんだ。  そしてその不幸が産み落とした者も不幸であり、幸福とは程遠い。  遊羅くんが言った「逆恨みで八つ当たり」が確かにしっくりくる。  彼の生い立ちに同情はする、彼もオレがしないとは思わないだろうがそれに流されてくれるとも思わないだろう。  黙って頷いているだけのオレを見て灯織くんは悲しそうに、けれど諦めがついたようにその口元に歪な笑みを浮かべてこちらを見ていた。   「誰にも望まれぬ恋愛だよ。それに人の道理を外れる苦しさはどうしたってキミについて回ることになる」    相変わらずオレは朧と想いが通じ合うとはまだ思えていないから先の長い話だなぁと感じるが、誰にも望まれぬというのはそうだろうなと納得せざるを得ない。  利というものは現状、オレにも朧にも、遊羅くんたちにもないだろう。もちろん灯織くんにも。  だからこそ今のオレでは想像の外を出ず「そうだね」と返すしかできない。  そんなオレに灯織くんは返す言葉を探していたが、その仕草は今までと違って納得させようというのとは違うように見える。   「そんな先のことを想像するより『今目の前にいる好きな相手のことしか考えられない』のが恋だと思う。先の不幸を見て見ぬフリをして自分勝手になる、汚い己ばかりを生み出す行為だ」    話を遮るべき時ではないのだろうが、言葉が口を衝いてぽつりぽつりと零れ落ちる。  好意の矢印が一方的であればそれは自分勝手で、双方に向いていれば想い合ってる二人だけの都合。  恋愛だけの関係で人は繋がっていない、ならばそれだけに夢中になると言う行為が円満であるわけなどない。  どこかに必ず(ひず)みが生まれ、その(ひず)みを頭の片隅で理解しつつもフタをし続ける。  今その時、その瞬間。恋愛感情を抱く相手以上に大事なものなどないと信じたいから、信じているから。  だから他のことをいくら大事だなんだって言ったって、他者にも明らかな嘘で愚かなものに映る。  そこに絶対的な理解など生まれない。   「綺麗も汚いも含めて相手に感情を捧げる行為が綺麗事ばかりであるわけがない」    誰かが自分勝手になる感情から引き起こる物事が全員満足できるハッピーエンドになることなんて有り得ない、と呟くと言葉に迷っていた灯織くんがそれを失ったのがわかってしまった。  だってなんか、明らかなほど絶句したって表情をしているから。  けれど少しして酷く納得したように「そうなりたいのか」と独り言ちては深いため息を吐いた。   「友達を想ってのやめろという忠告を聞かない上、それがこっちのトラウマであってもやめるつもりはないって態度崩さないの充くん嫌なやつ過ぎない?」 「灯織くんの気持ちは十二分にわかったよ、でも今ここで妖を好きなことをやめるって言ったら嘘になる。オレが嘘を吐き続けて成り立つ友情がお望みだっていうなら話変わってくるけど」 「おれも友情を盾にしたけど、キミも大概だよ」    振り切り過ぎじゃないかと引かれたが、嘘を吐くことが望みなのかと問い返せば灯織くんは幻滅を隠しもせず頭を振りながら文句を垂れる。   「遠慮しない関係になりたいって言ったのそっちだろ」    一方的に遠慮しててもしょうもなくなったのでもういいかと言い放てば予想外だったのか灯織くんは両手で顔を押さえると軽く俯いて「あーそうかぁ」とぶつぶつと一人呟いていた。   「うん、嫌なやつなんだ。オレ」 「ん?」 「そっちの都合でしかないって怒ったのに。オレも結局、灯織くんの気持ち無視して自分の考えを通そうとしてる」    自分の感情をないものにされたから怒っていたのに、今オレは同じことを灯織くんにしている。  嫌なやつだって彼が呆れなければ、例えば怒って罵声を浴びせられて彼がこの場からいなくなっていたらオレは同じように勝手だと言って彼を責めただろう。  でもそうじゃなかったから、自分の行動こそ自分勝手極まりなく自分が一番嫌悪したやり方で通そうとしていたと自覚してしまい急に彼の言葉が突き刺さる。  自業自得だとわかっている、でも自己嫌悪が止まらずに息を吐いたら灯織くんは「あーね」と呟いて、何故か可笑しそうにケラケラと笑った。   「でも充くんはおれの気持ちを嘘だとは言わなかったじゃない。おれの話を聞いた上で、それが綺麗な事ばかりでないことも十二分に理解して好きなことをやめないって言った」 「うん」 「それで『やっぱやめる』ってなったら簡単だけど。おれの勝手や都合を知った上で『やめない』って充くんが言うならおれはそれが答えなんだなって納得したんだ」    話を聞かないで納得してくれたら一番楽で、話を聞いた上で身を引いてくれても楽だと彼は包み隠さない。  けれどその上でも意見が変わらないならそれがオレが出した答えじゃないかと灯織くんは言った。  そうだって言われるのは想像の外だったので、返す言葉が見つからない。   「まあ、あまりにハッキリ言うから嫌なやつだなって思ったのは変わらないよね」 「もう否定する気も起きない」 「でもおれも嫌なやつだろ? ならおあいこだ」 「灯織くん、でも憎めないって思わせるからあんまりおあいこじゃない気がする」    お互い様ならお似合いだとでも言わんばかりの笑みと軽い口振りに、降参したと言われてるはずなのに負けた気分になる。  灯織くんのそういうところが本当に狡いと文句を垂れたが彼は眼鏡の向こうの瞳を嬉しそうに細めるだけだ。   「祓い屋として、半妖として、キミの友人としてやっぱり不幸になろうとすることを許すのは難しい」 「でも」    そして思い返したように看過できないと呟く灯織くんに言い返そうとしたのを、伸びてきた手によって遮られる。  怪訝に眉根を寄せたのを見て彼は肩を揺らすと初めて声をかけてくれた時と同じ穏やかな表情を浮かべて真っ直ぐにオレを見つめた。   「でも充くんの恋が叶って幸せになって欲しいと一番望んでいるのも、おれだ」    それが変わらぬ内は友達として恋を応援するからと言われ、安堵と喜びが一気に全身を巡る。  途端に熱が上がっていく感覚がして震えた声で「横になってもいいか」と聞いたら灯織くんは申し訳なさそうに「無理させたね」と言いつつも可笑しそうに笑っていた。  嫌なやつだなぁと思うと同時に、その笑みに安堵が混じっているのを見て彼のことをとても好きだと思ったし友人として自分にできる精一杯で大切にしたいとも。  帰り際に「風邪をうつしたらごめん」と謝ったら「元気になったらゆっくり家出させて、それでチャラ」と返されひとり残されたオレは笑うしかできなかった。    その後、眠るオレの頬を伝ったのはあたたかな涙だった。

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