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第10話

 「それで律儀に逢わないでいるんだ?」    校内にあるカフェテリアで、コーヒー片手に灯織くんはオレの話を聞いて酷く困惑した表情でこちらを見ながら問いかける。  それに深く頷けば彼は「落ち込んでるねぇ」と言って苦笑いを零した。      前回の社での突然の宿泊だが、結果的に大失態で終わった。  朧が求めているものから話を逸らしたことが彼の機嫌を損ね、当然それが遊羅くんの反感を買いオレは今社から出禁を食らっている。  つい腹が立ったから朧に強く出てしまったのは反省しているが、それでもやはり納得はできないからあの件に関してオレが意見を変えることはない。  ただそれが役目の後の機嫌の悪い遊羅くんの耳に入ったというのが最悪のタイミングだった。  否、機嫌がよかったとしても彼がオレに下す判断は同じだっただろうがその時の彼の怖さったら。  彼が多くの者に畏怖される片鱗を垣間見たという感じだ。  遊羅くんが疲れているのもあって彼は朧の様子を見るなりオレを社の外へと放り投げ、鳥居を潜れなくした。オレは彼の力がないとあの場所まで辿り着けても鳥居を潜れない。  許されるためには潜れないと謝罪もできないのだけど、運悪くフィールドワークやレポートの提出期間が重なってしまいオレはあの場に向かうこともできない日が続いていた。    それもやっと落ち着く気配が見え始めたので気持ち的にも少し楽になったのか、校内にいた灯織くんに声をかけたら落ち込んでいるのを見透かしたように「どうしたの?」と聞かれたので「自分を好きになった理由は勘違いだった」と言われたのに腹が立って「ただのきっかけでしかない」と返したこと、わかっていて話題を逸らそうとして彼の怒りを買ってしまい「逢いたくない」と告げられたとかなり掻い摘んで伝え……今に至る。   「逢う時間も取れなかっただけと言えばそうなんだけどね」 「目の前にやらなきゃいけないことが山積みだと焦るし、苛立ってくるよね。でもちゃんと学業に専念してるんだから充くんは冷静だ」    自分がうまく立ち回れていないだけだとも言えると愚痴を零すと灯織くんは純粋に「真面目だ」と言ったけどそうではない。  そういう優先順位の組み方しか知らないのだ。  縁を切ったとはいえかなり一方的であったから両親がオレのことを探さないとも限らない。今のところ問題なく過ごせているからなにも言わないだけで、単位一つ落としたり事故や大きな病気をして家に連絡が行こうものならそれ見たことかと言わんばかりにオレのことを連れ戻しに来るだろう。  可能性が低くともその選択を彼らに与えてはいけない。恋愛だけにすべてを投げ打つことはできない。  いつか本当に彼らの加護下から抜け出すまでは。    僅かばかりでも余裕ができてしまったせいで余計なことを考えてしまう。  家のことを話していない灯織くんにそこまでの愚痴は零せない。  思案して黙っているオレを心配そうに見てくる眼差しに首を振って返すが、当然納得はしてない顔だ。  でも彼はその一線に踏み込んでくることはしない。家に対していい感情がないのは共通しているからかもしれない。   「おれは【恋愛】が好きじゃないし、充くんが好きだからキミに偏った意見になるんだけど。話を聞く限りおれにはキミがそこまで想いを寄せるほどの相手には思えないのが本音かな」    灯織くんはホットコーヒーの入った紙コップをくるくると揺らしては、その手で頬杖を突きながら遠回し気味に「どこがいいの」と聞いてきた。  確かに今までの話からオレが朧のどこが好きなのかを理解してくれというのはかなり難しいよな。妖が好きだとは当然言えないし、ざっくりと「危ない目に遭ったのを助けてもらった」くらいの話しかしていないわけだし。  それが彼が恋愛というものに対していい印象がないなら尚のことだ。  でも灯織くんは「オレが好きだから心配している」というのを真っ直ぐに伝えてくるからすごいというか、だからこそオレは腹を立てられないんだよな。納得させられてしまうというか。  他の人だったら怒るところだったりするんだろうか。自分の好きな人をそんな風に言うなんて! とか、好きだって言うなら味方して欲しいのに! とか。   「客観的に見える人にそう言われるのは仕方ないかなと思う」 「充くん、その人のことすごい好きだって言うわりにはこういうの冷静に受け止めるから余計わからなくなるよ」 「うーん、恋愛初めてだしな……」    感情的でないと言われ、悪口ではないにしろ褒め言葉ではないのもわかる。有り体に、わかりやすく表現するなら「変わってる」と言いたいのだろう。  オレはそれを人を好きになるのが初めてだからと思うのだけど、この感じだと恐らく「だからこそだろ」ってなるんだろうな。灯織くんの眼差しがそれを雄弁に物語っている。   「すごく好きだよ」 「ああ、信じてないわけじゃなくて」 「うん、わかってるよ。でも本当に好きなんだ。何気ない態度や、言葉に救われてる心がある。それが彼にしか反応しない。これが特別でないならなんだろう、と思う」    理性をかなぐり捨てて彼だけに夢中になるというのは確かに無理だが、朧が救ってくれた心や抱いてる想いを表現する他の言葉が見つからないと告げれば灯織くんはずっと険しさを残していた表情を和らげた。   「降参。充くんはその人のことすごく好きなんだって伝わってきた」 「別に言い負かそうとしたわけじゃないよ。ごめんつい」 「逢うための時間をできるだけ早く作ろうとしたり、逢えないと落ち込んでるんだ。そりゃあ、そうだよね」    こっちが照れるよと灯織くんは肩を揺らすと、悪戯に両手を上げて降参のポーズをして見せる。  彼にそんなつもりはなかったのにムキになってしまったのはこっちだからと首を振ったら、灯織くんは「好きじゃなきゃ逢いたいって思わないよね」とぽつりと小さな声で零した。  本当に彼が知りたかったのは「オレが本当に朧のことを好きかどうか」なんだろうというのを察する。  どこがと思ってしまいそうなものだがそうではないのだなと思って首を傾けたら彼は酷く満足そうに、けれどどこか寂しそうに笑った。    その後すぐにカフェテラスが混み始めたので帰ることにして、二人で校外のバス停へと向かう。   「で、逢いに行けそう?」 「うん。色々落ち着いたから近い内に謝りに行きたい」 「そっか。仲直りできるといいね」    最後尾に並んで次のバスが来るのを待っていると大事なこと聞いてなかったと言いたげに問われ、そのつもりでいると頷けばいい事態に向かうといいと灯織くんは笑ってくれたけど遊羅くんのことを考えると「本当に……」と苦笑いを零すしかできなかった。      *****      急遽夕方からのバイトのシフトが変更となり、時間に空きが出来たので意を決し社へと向かうことにした。  途中で蕎麦を買って、陽を隠すほどの雑木林の中にある、長く長く続く古い石段を駆け上る。  石鳥居の外側からでもオレの声は届くだろうかと考えながら歩を進めていたが、見えた背中にオレの足はぴたりと止まった。   「灯織くん?」    それは灯織くんで、彼は石鳥居の向こう側にいる。  否、普通の人でも鳥居を潜ること自体は可能だ。だがそこが遊羅くんたちのいる社に繋がるかどうかというのはまた別の話だとダンくんに聞いたことがある。  だからオレから見て鳥居の向こう側に灯織くんと遊羅くんがいるということは、彼は【社に繋がる石鳥居】を潜れたことになる。  何故そんな状況になっているのかが理解できず、呼びかけたら彼は驚いた様子で振り返った。   「充くん? どうして」 「どうしてって?」    どうして、と聞きたいのはこっちだ。  彼の言うどうしてにどういう意味が含まれるのかがわからず首を傾けると、灯織くんは一瞬横目に遊羅くんを見た後すぐにオレに視線を戻した。   「しゆ、お前なんか用事あったんじゃないのか」 「え? ああ、バイト……じゃなくて仕事が……。でも他の人と変わったんだ」    黙ってしまった灯織くんの代わりに何故か遊羅くんが聞いてきたけど一応答える。  バイトって言っても伝わらないと思って言い直したけどそれが伝わってるかはわからない。ただ遊羅くんは納得したように「ふうん」と頷いていた。   「灯織くんも遊羅くんたちと知り合いだったの?」    以前、愛司さんとそういう出逢いをしたのを思い出し灯織くんに問いかけながら残る石階段を駆け上り鳥居を潜ろうとしたが、弾かれた。  バチンッと大きな音を立て、潜ろうとした体に痛みが走る。  静電気のすごいでっかいのって感覚は、以前にも感じたことがある。  痛みと痺れが残る手を見やってから顔を上げると、鳥居の奥で遊羅くんが重たそうに頭を傾けてはその顔ににたりと歪んだ笑みを浮かべた。   「祓い屋だァ、そいつはぁ」    前はハッキリと声にして「なにを連れてきたんだ」と聞かれたが今日は眼差しで「なんてものを連れてきたんだ」と訴えられる。  灯織くんの姿が見えた時から嫌な予感がしていてそれは当たってしまったが、彼がそうだったなんてオレは知らなかった。  慌てて首を振るがオレが危険を呼んだことは変えようもない事実で、それは遊羅くんの怒りを買う。   「灯織くん! なんで黙ってんだよ!」    どうして、とオレに聞いて以降彼は口を噤んだままだ。  遊羅くんに祓い屋だと言われて明らかに顔色を変えたからそれは事実なんだろう。だとしたら黙っていられたってなにもわからないと声を荒げれば、彼は苛立ちに表情を歪め手に持っていた呪符のようなものを投げやりに遊羅くんの方へと放った。  遊羅くんは舌打ちしながら鬱陶しそうに払うだけで効力はまるでなさそうだ。   「充くん、ここになにしに来たの?」 「え?」 「ここにあるのはボロボロの社だけのはずで、でもキミはそこにいる妖と話してる。それってキミは妖と知り合いだってことになるけど」    灯織くんは先程の取り乱した様子とは違って、至極冷静な声でオレに問い、話しかける。  さっきのどうしてよりはなにを聞かれてるのかはわかるけどそれでもイマイチ要領を得ない。  話しちゃってるの見られてるしオレは別に遊羅くんたちと知り合いであることに後ろめたさはないので頷こうとするより先に灯織くんが口を開いた。   「ああ、ごめん。視えるから区別が付かないって可能性もあるな」    その声にピリ、と気配が張り詰めたのがわかった。  オレを真っ直ぐに射貫く視線がここで頷いておけと訴えていて、知り合いだとオレが認めるのを拒んでいる。  灯織くんにもなにかしらの事情があって認めさせたくないのはわかるが、知らぬまま頷けって言われてそうする道理は悪いがオレにはない。   「オレの好きな人、その社に住んでるんだ。だから謝りに来た」    数日前、喧嘩別れをして謝罪しに行きたいんだって話をしたのを彼が忘れているわけがない。  敢えての言葉選びでも灯織くんは意味を理解し、そして怒りと失望にその表情を冷たくいびつに歪めていく。  いつだって穏やかな春風のような灯織くんが感情を揺らし表情を変えたのを初めて見た。  恐らく彼が知り合いだという人たちだって誰一人、見たことがないだろう。   「知ってたよ。否、想像に容易かったと言えばいいのかな。充くんの好きな人が妖だってわかってた。おれは祓い屋だから」    けれど彼は数度ゆっくりと瞬きをすると怒りを鎮め、冷静を努めながらオレに知っていたと告げる。  祓い屋だからというのは恐らく、遊羅くんたちがその気配を察知できるように逆のことも可能ということなんだろうな。   「祓い屋だから、遊羅くんたちを祓おうとした?」    つまり知っていて、オレの話を聞いて、オレの知らぬところで朧たちを祓おうとしていたことで合っているのかと問い返せば彼は頷いた。  それに怒りは、ない。  だってそれが彼の祓い屋としての役目なのだろうと思うから。遊羅くんがこの社を護るのと同じだ。  だから「そうか」とだけ零したら何故か灯織くんと遊羅くんが同じような表情を浮かべた。驚いたような、焦ったような。  【理解できない】が目の奥に揺蕩っている。   「充くん。人と妖が結ばれたところで満たされるのは本人たちだけで、それもほんの一時でしかない」    それでも遊羅くんは黙っていたが、灯織くんは言葉を探るような仕草をしてからオレにそう言った。   「オレは恋愛のことはあまりよくわからないけど、それは人同士でも同じじゃない?」    恋愛によって昂った感情が一時のものだというのは相手が同じ人であっても変わらないのではと素直に疑問をぶつけると灯織くんは一瞬言葉に詰まっていたが、すぐに頭を振り乱しては「違う!」と声を上げて否定する。   「同じなものか! 人の道を外れ、戻れぬことを後悔した時にはすべてが遅いんだよ! 人同士の恋愛で起こる程度のことと同じわけがない!」    オレは勝手に朧を好きなだけで、好きでいるだけで精一杯で。  最終的に好きになってもらいたいとは思っていたけどその先の未来図を想像できたかと聞かれたら否だ。  今の状況で手一杯というのもあるし、朧に好きになってもらうことが想像できないレベルなのだから致し方ないとも思うが。  でもきっと祓い屋である灯織くんにとっては妖を好きになった時点でそこまで考えて当然なのかもしれない。そしてそれがどれほどの事態かを知っている。  だからってオレ自身はまだそこまで考え至れていないと首を振ろうとしたが、灯織くんが眼鏡の向こう側で涙を浮かべているのが見えてしまって途端に動けなくなる。   「キミが不幸になる道を歩もうとしているのを見逃すことなんてできるわけない! 友達だからこそ守りたくておれはここにいるんだよっ!」    だがそうだと叫ぶ灯織くんの声が聞こえた瞬間、自分の中の糸がピン、と張り詰める。   「それは灯織くんの勝手だろ。オレは望んでない」    腹の底に熱が集まり、ふつ、ふつ、と温度が上がっていくのを静めようと腹部で拳を握りながら首を振る。   「それに、仮にオレのことを想ってのことだとしてもオレの考えも聞いてないし、そっちの話も隠したままだというのがそっちの都合過ぎるんじゃないのか?」    オレの都合を無視している時点でオレの為だというのは破綻していると告げればその自覚はあったのか灯織くんは眉根を寄せ、オレから視線を逸らした。   「そんなの、充くんを傷付けたくなかったから……」    涙は引っ込んだのか、納得したのか落ち着いた口振りで申し訳なさそうに呟いた言葉に張り詰めていた糸がプツンッと切れる。   「人の感情を無視して事を進めて、傷付けたくなかっただなんて虫がよすぎる! オレに人形でいろというのと変わりない! そんな相手に心配だなんて言われる義理はない!」    オレに傷が付くのが嫌なのではない、オレが傷付くのが嫌というのを建前にして自分のプライドに傷が付くのが嫌なんだろうと。それで心配しているだなんて嗤わせると声を荒げれば灯織くんの表情に再び苛立ちの色が滲み、一瞬にして怒りへと噴き上がった。   「お前みたいななにも知らぬ、知ろうともしない考えなしがおれのような不幸な者を生み出すんだ! 二人だけで完結する話だと思い上がるな!」    陽に透けて消えてしまいそうな真っ白な肌を怒気に赤く染めながら叫ぶ灯織くんと睨み合いになる。  静かに揺蕩っていた水の中に、溶岩を放られて一瞬にして沸騰する感覚に熱が引いていかない。   「逆恨みで八つ当たりだろ」    次になにかを言えば一線を超える、そういう危険を感じながらオレと灯織くんどちらがなにかを口にするよりも先にオレたちの耳に届いたのは今までずっと黙っていた遊羅くんの呆れた声だった。  慌てて遊羅くんの方へと視線を向けたオレたちを見て「くだらねえぇ」と吐き捨てると、遊羅くんは一瞬にして灯織くんとの距離を詰め彼を蹴り飛ばして社から放り出す。  肌が地面に擦れる音と、硬いものが鈍い音を立てたのが聞こえたが灯織くんはそれに構わず石鳥居へと駆けたがオレと同じように激しい電撃が走りその向こうへと行けなくなっていた。   「お前みたいな成り損ないにゃあ、もう二度と潜れんよ」    衝撃や痛みを気にも留めず灯織くんは石鳥居に張られた壁に拳を叩き付けたがびくともしない。  それを遊羅くんはせせら笑い、オレを見て不機嫌そうに鼻を鳴らした。   「お前ら小童のくだらねえ争いごとにオレたちを巻き込むんじゃねえ」    関係がないから外でやれと言い放った遊羅くんの意見は尤もで、先程までの怒りは引いたが同時に焦りが湧く。  オレも手を伸ばしたがそこには壁があり、叩いてもびくともしないどころかさっきと同じように痛みが走るだけだ。   「オレはっ! 朧に謝りに来たんだ!」    何度叩いたところで変わらないと思い手は引くが、来た理由はちゃんとあると言えば遊羅くんは足元の石を拾ってオレの腹目掛けて投げてくる。  小石とはいえ、それなりのスピードで命中し殴られたように痛い。   「オレには朧を危険な目に合わせてえって言ってるように聞こえるがぁ?」    腹を押さえ、痛みに震えながら顔を上げれば遊羅くんはどろりとした黒い怒りを足元に揺らめかせて低い声でそう吐き捨てた。  その一線を越えたら命はないと言われているのがわかり、冷や汗が背中を伝う。  恐怖に声も出なくて首を振って帰ると意思表示し、オレは踵を返し社を後にした。

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