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第15話

 肌寒さに身震いしながら起きる朝が増えてきた。  じきに秋は完全に鳴りを潜め、本格的に冬が訪れることとなるだろう。  それでもまだ、と厚手のジャケットを着込んで外に出た瞬間頬を掠めていく冷たい風に一瞬で心折られ、一度引き返し冬用のコートを羽織り直してからアパートを後にした。      差し入れを買ってから社へと向かうと、煙が上がっているのが見えてオレは急いで階段を駆け上がる。  姿が見えたら声をかけようと思っていたのだが、石鳥居を潜って見えた光景にそれはすべてオレの腹の底に消えてしまった。   「な、なにしてんの?」 「焼き芋の為の焚き火。しゆも食べる?」 「あ、じゃあ……もらおうかな」 「なら少し火、見てろぉ」    わかりきったことを聞いてしまったが、朧も遊羅くんもなんの疑問も持たず答えをくれた。  おこぼれに預かってもいいのかと思ったが、遊羅くんが火を見るように言って縁側からいなくなったので構わないのだろう。  焚き火の傍に行くとそこはほんのりと温かい。   「真っ赤、どうした?」 「寒かったのと、走ってきたのとで……かな」 「走った? なんで?」 「煙が見えたから心配で」    朧の近くに寄ると顔が赤いのを指摘され、何事かと聞かれたが思い当たる節が二つあったので両方答えたら寒いのはともかく、走ってきたのは追われていたのではと警戒したのが見て取れたので目の前の煙を差すと一瞬にして緊張が解け、ため息へと変わった。   「本格的に寒くなってくるとやるんだよね」 「恒例行事なんだ」 「ダンくんがオレと遊羅に落ち葉掃除をやらせる理由にもなるし、それを建前にして遊羅がオレたちが寒くないようにって気を遣ってる」 「え?」 「その顔、遊羅に怒られるよ?」    ぱち、ぱち、と弾ける火花の音を聞きながら時折朧が火種になる枝や松ぼっくりを放り入れる。  朧いわく、この時期には恒例らしいのだがあまりに意外な言葉がその口から聞こえたので驚いて目を丸くしたらすごく冷静に注意されてしまった。  それに悪戯にふふ、と笑って返してからオレは縁側に腰を下ろす。   「朧とダンくん、寒いの苦手なんだな」 「オレは……本能的なものもあるけど、ダンくんは嫌いみたいなんだよな。オレは遊羅が『白檀は寒いの嫌いだからさぁ』って笑って言ってんの聞いただけだけど。遊羅がダンくんの為に動くくらいのことだから、きっと相当」 「ふうん、そっか」    遊羅くんがダンくんと朧を大事にしているのはオレもよく知るところなのでそこに驚きはない。  自分の寒さ嫌いは本能的なものも含まれており意外でも特別でもないが、ダンくんは違うらしいと零す朧の声がどこか寂しそうなのでただ頷いて返したら不満そうに眉根を寄せ、こちらを睨んできた。   「なんだよ」 「なにも言ってないじゃん……」 「含みがあるのが腹立つ」 「寂しそうだなって思ったけど、オレよりも朧の方が二人のこと知ってるだろ。聞くことじゃないなって思ったんだよ」    一体なんなんだと思ったがオレの反応が不満だったらしい。  そうは言われたって、朧が不満に思ってもないことを聞き出そうとするのは違うだろう。言葉の端々に寂しさはあったが、納得しているんだというのも伝わってくるから。  野暮というものではないのかと首を傾げたら、手に持っていた枝を足元に投げ付けられた。   「しゆも火見てろって遊羅に言われただろっ!」 「はい、見ます」    休むな、と言われてオレは投げられた枝を拾い、火元に歩み寄り手に持っているそれを放り投げる。   「寂しかったよ。でも暴きたいわけじゃない」 「うん」    ぱち、ぱち、という音と同じほどの小さな声。  反しているはずなのにどちらも本心であるっていうのが成立するのって、本当に複雑で。それはオレにも理解できる気持ちだけどわかるよって同調するのは違う気がして。  そうしたら頷くしかできなくて、そのせいで静かな空気だけが流れる。   「これからしばらくは寒くなっていくだけなんだろうな。でもこの辺は雪も積もらなそうだからよかったよ」    なんとなく重たい空気に堪えられなくて、雪が降らない地域でよかったと呟くと朧が驚いたように「え?」と零したがすぐにオレの顔を見ては一人で納得したように頷いた。   「鳥居の外はそうなんだろうが、人の世の理から外れてるこの中はちゃんと降るし積もる」    オレにとっては地続きだからつい忘れてしまいがちだが、ここは妖の住む場所だ。  社の敷地内はずっと昔のままの時間が流れているんだから当然温暖化など関係なく雪も積もるだろう。  笑って流せるはずの話題だったのにそうは出来なくなり、顔を逸らすと朧がなにかを察して「まあ」と話を続けた。   「雪国ってわけじゃないからたかが知れてるけど」    朧は慰めのつもりで言ってくれたのかもしれないが、そのたかがもオレと朧では感覚が違うだろう。  オレが想像するたかがは1センチ程度だが、絶対に朧はそうじゃない。だって足元の動きが明らかにちゃんと積もっているから。  確かに足が雪の中に沈む動きをする足元を見ていると、朧がオレの視界に割り込んできた。   「え、なに?」 「雪が嫌い?」    急に目の前に朧の顔があって、真っ直ぐ見つめられて我に返る。  話を聞いていたつもりだったがなにか聞き逃してしまっただろうかと首を傾げたら、朧はそれを無視し単刀直入にオレにそう問うた。  あまりにも真剣な眼差しに、嘘が吐けない。誤魔化せない。  静かに頷くと、朧は一瞬だけオレから視線を逸らしたがすぐに戻し静かに瞳を細めると囁くような小さく優しい声で「オレも」と言った。   「忘れられない。静寂の中、柔らかな雪の中で重く身が沈み、四肢の先から熱が奪われ全身の感覚がなくなっていく。自分の命の灯が静かに消えていく感覚を」    朧はオレに向けた視線を足元の焚き火へと落とし、ぽつりぽつりと話し始める。  その声は震えていないのに酷く冷たく、鮮明に思い出せるのに思い出すのを拒んでいるようで胸の奥がギリギリと締め付けられた。   「そう、凍てつく体と同時に心も凍っていくんだよな」    朧が呟いた感覚を、オレも知っている。きっと自然で生きていた朧ほど過酷なものではないから同じだと言うには烏滸がましいのだろうが。  その時感じ取ったものを思い出し、つい口を衝いて零れ落ちる。  だが自分の冷たい声にハッと我に返り、朧を見たら突然怪しい挙動をしたオレに驚いてすぐに不愉快そうに顔を顰めた。   「ごめん、せっかく楽しく焼き芋しようって時に湿っぽくしちゃった。互いに嫌な思い出だからこの話やめようか」    思い出したくないと沈めたはずの嫌な記憶を掘り返してしまった上、寄り添うどころか自分の息苦しい感情を吐露してしまった。  余裕があれば朧の話を聞きたいが今のオレには無理だ。嫌な方へと引っ張られる感覚がある。  だから楽しい会に水を差してしまったこと、嫌な気分にさせたことを謝ると朧はじ、とオレの目を見てから鼻を鳴らし「いいよ」と低い声で吐き捨てた。    それから少しして芋を持ってきた遊羅くんとダンくんと一緒に焚き火で芋を焼いて食べた。  楽しかったはずなのに、妙に胸の奥がざわつくせいで心ここに在らずだったと思う。  そんな態度が遊羅くんやダンくんにまたオレが朧になんか言ったんじゃないかと勘付かせてしまったようで、時折二人になにかを聞かれては朧が首を振っているのを見た。  そのお陰か、遊羅くんの機嫌を崩してしまったものの出禁とはならなかった。  朧の優しさに甘えていると反省しつつ、次来るときは温かい差し入れにしよう、とオレは心の中で決意する。    今日はこれ以上ここにいても悪いようにしか向かわない気がして、オレはダンくんに手土産を渡してすぐさま社を後にした。    石鳥居を潜ったところでぽた、ぽた、と雨が降り出したのに加え、募る後ろ暗い気持ちに朧の視線がオレの背をずっと追いかけていたことなんて気付かなかった。      *****      社で焼き芋をしてから数日、雨は降り続いている。  この時期だと悪天候の日は気温が下がるイメージだが、ここ数日の雨は妙に生暖かく夏に降る小雨のようにじめじめと湿気を帯びている。  気温も下がり切らず、出したばかりのコートはめっきり着る機会を失ってしまっていた。    奇妙な雨のせいもあり、物思いに沈み社に行く気分にならなかったが折角の楽しい会に水を差してしまったのだから謝罪に行かなくては。  天候が落ち着いたらと考えていたが、もう数日は降り続く予報らしいのでいつまでも引きずっていても仕方がない。  道中にあるコンビニで蒸したての肉まんとあんまんを二つずつ買って社へと向かい、石鳥居を潜って玄関の前で傘を閉ざした瞬間、背後からばしゃんっと水が弾ける音がした。  重いなにかが落ちたような大きく鈍い音に驚いて振り向くと、そこに一人の青年がいた。  いわゆるバンカラ姿で、学生帽を被り、番傘を差している。どう見たって現代には似つかわしくない姿だ。   「シ、ゆウ、しユう」    彼は表情を隠していた傘を持ち上げると、オレを見てオレの名を呼んだ。   「遊羅くんの知り合いの方ですか?」    何故オレの名を知っているのかはわからないが、人ではないのは理解できるので社の主と知り合いなのかと問えば彼は驚いたように目を丸くし、頭を傾けて少しだけ思案した後、ゆっくりと首を振る。   「その、ユラとかいうやつに縁を切られた。だから、海から川を遡り、雨を伝って、ここへ来た。充、逢いに来た」    どこかたどたどしい口調で告げられた言葉に、目の前にいる相手がオレに呪いをかけた妖だと気付いた。  こちらの様子を窺う気配に悪意があるようには見えない。寧ろ穏やかだ。   「約束、しただろう?」    傘を持つのとは反対の手がこちらへ伸び、おいでと誘うがオレは一歩も動けず首を振るのが精一杯だ。  約束? 覚えているわけがない。目の前にいる妖のことだって思い出せないのに。  どうするべきか思案を巡らせていると、妖の気配がゆっくりと冷たくなっていく。   「充が求めたから、ボクは深海に迎え入れてやろうとしたんじゃないか。充が求めたのに、裏切ったのか?」 「裏切ったもなにも、オレは溺れたこと以外覚えてない。なにも知らない」    深海、という言葉に妖が視えるようになったきっかけが海に溺れたことだったのを思い出す。  だがそれ以外のことを覚えていないと再度首を振れば妖は一瞬にしてオレとの距離を詰め、至近距離からオレの目を覗き込んだ。  長い前髪の隙間から見える闇の深い瞳に見つめられ、なにも考えられなくなる。   「あの寂しさをお前は忘れていない」    真っ暗になった脳裏に響く低い声に、なにか重苦しいものがどろり、と溶け出す感覚に意識が遠のいていく。   「しゆ!」    あ、倒れる。  そう思った瞬間、背後の扉が大きな音を立てて勢いよく開き玄関から朧とダンくんが飛び出してきた。  朧はオレの首根っこを掴むなり引っ張って社の中へと放り、変化させた鎖鎌を見知らぬ妖に向かって投げる。  攻撃を受けぬようにと後方に身を引いたのをすかさずダンくんが追い駆け、長刀のような長柄武器を振るった。  雨が降り注ぐ中だというのにビュオンッと空を割く音が社の庭に響き、同時に妖が肩から掛けるマントを切り裂く。   「ッチ、祓い屋……!」    刀身の軌道を追うように走った光を見て、妖がダンくんを睨みながら舌を打った。  彼の言葉に灯織くんも来ているのかと思ったがそんな様子はない、なら誰のことを差しているのだろうなどと考えていると妖がマントを翻し、その勢いでダンくんに雨粒や泥水をかけ視界を奪う。   「くそがっ……!」 「充も社も見つけた! 二度と逃がさない! 充、お前の寂しさを知るのはボクただ一人だ!」    苛立ちに悪態を吐きつつ顔に付着した泥を拭っているダンくんの前にすぐさま朧が立ち二人の間に入って鎌を構える。  だがそんな二人には目もくれず妖はオレにだけ目を向け咆哮し、傘を閉ざすと同時に雨に溶けるようにして姿を消した。   「なん、だったんだ……?」    ドッドッド、と激しく心臓が鳴り響き荒くなった呼吸の中で声に出せたのはそんな言葉だけだった。  立ち上がろうにも腰が抜けているのと、気を抜いたら意識が途切れそうなのとで叶わない。   「白檀っ! 朧夜っ!」    状況を理解しようにも呆然とするしか出来ずに玄関にへたり込んでいるオレの頭上を遊羅くんが駆け抜けていき、泥に汚れたダンくんと雨に濡れた朧を心配している。  その足元にゆら、ゆら、と黒い影が蠢いているのが見えて、ぼんやりとした意識の中また怒らせてしまったと思った。   「矢張り蜃だったか」    そのまま静かに落ちていく意識の中で、頭上から愛司さんの低い声が聞こえたような気がした。

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