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第19話

 寂しさが雪のようにしんしんと降り積もって、心を凍らせていく。  この寒さを、寂しさを。埋めてくれるなら誰でもよかった。誰でもいいと思っていた。   「なら今はもう、彼は他の誰とも違うってことだ」    その気持ちは嘘じゃない。  でも今は違う。  朧と出逢ったことで、朧がかけてくれた言葉でその気持ちは変わっていた。  その気持ちを灯織くんが肯定してくれて、朧に惹かれた心が雪を溶かしていく。  ずっとずっと遠いと思っていた暖かな風に、長い眠りから覚めるのを感じた。    *     「充くん、行こう。きみの気持ちを朧さんに伝えに」    灯織くんの兄で院瀬見家当主である寧緒さんの術を解いてくれたダンくんと、オレの心の憂いを晴らしてくれた灯織くんと共に遊羅くんと朧が残っているであろう社へと急ぐ。  一緒にいる二人曰く、追われてないってことは社の方に寧緒さんがいる可能性が高いらしい。   「遊羅さんがどうこうってより、寧緒がなにしでかすかわからないから不安だ」 「お前、その出自でよくあの環境に耐えてこられたな」 「耐えるしかないって。方法がそれだけしか思いつかなかっただけです」    社まで駆けながら、なにをするか想像できないから恐ろしいと申し訳なさそうに不安を吐露する灯織くんに、ダンくんが同情の眼差しと言葉をかける。  それに答えた灯織くんは声にこそしなかったけれど自死という選択肢があったのが滲み出ていて、オレとダンくんは一瞬顔を歪めたが彼はオレたちのそんな表情を見てにこ、と笑った。   「でも今日、貴方に逢って少し考えが変わりましたけど」 「あー、手本にすんなよ」    けれど彼の笑みと口調からその選択肢を取る可能性が今は随分と低くなったことが伝わってきてオレは安堵する。  同じ家の出身として二人はなにか理解している事柄があるみたいで、灯織くんの言葉にダンくんは褒められたことではないからと手を払っていた。    ようやっと社へと辿り着き、階段を駆け上がると矢張りそこに寧緒さんの姿があった。  彼がいるのは石鳥居の向こう側、そして更に奥に遊羅くんと彼の後ろに朧がいる。  オレたちの前にはいの一番に灯織くんが立ち、石鳥居に向かって呪符を投げたが激しい炎と共に弾かれた。   「一匹足りないと思ったら、眷属風情が……。足手まといにしかならない出来損ないも連れてなにをしに来たんだ?」 「しょおがねえだろ、しゆが友達だってんだから」    音に振り向いた寧緒さんが、オレたち三人をその目に捉え冷たい視線を向ける。  灯織くんを一緒に連れて来たのを見てその選択を取ったことが理解出来ないと吐き捨てた寧緒さんに、ダンくんが仕方なくだよと肩を竦めて見せた。  でもそれは質問した寧緒さんにというより、奥にいる遊羅くんに言っているような気がするのはオレの勘違いだろうか。   「つーか、その眷属に出し抜かれてることについてはいいんだ?」    ダンくんはニタリ、と口を歪めると舌を突き出して彼を煽った。  それを見て灯織くんがヒュッ、と息を飲んだのがわかってどれだけの仕打ちを受けていたのだろうと案じてしまう。   「ふん、無意味な挑発だな。社への道を封じてしまえば眷属であるお前は生き永らえることも出来まい。これ以上手を煩わせることはない、勝手に自滅してくれる」    今にも崩れ落ちてしまいそうな灯織くんの傍に寄ると、ダンくんがオレたちを自分の背に隠すようにして立った。  背中から伝わってくる。  怒りと、嫌悪、そして憎悪。  ダンくんは包帯で隠している方の目の上をトントンと指の背で小突いては、はああぁぁと深い深いため息を吐いた。   「祓い屋ってのは何十年、何百年経っても身勝手で傲慢な生き物だな。懲りるってことを知らないで本当に愚かだよ」 「ッチ、口の減らない妖め。その言葉、態度、後悔しても遅い。自滅を待たず今ここで祓ってくれる」 「はははっ! やれるものならどうぞぉ!?」    学ばない、とハッキリと軽蔑の意思を持った言葉は、祓い屋ということにプライドを持つ寧緒さんには侮辱となるだろう。  彼は細い瞳を更に細め、舌を打つと高笑いして尚も挑発を続けるダンくんに向かって一目散に駆けてきた。  寧緒さんの視界に灯織くんが映らぬように慌てて隠そうとしたが、背を向ける寸前で。石鳥居の向こう側で遊羅くんが笑っているのが見えてオレは動きを止める。   「業火に焼かれ塵となれ妖が!」 「いい気になるなよ砂利がッ!」    寧緒さんが握り締めた呪符がナイフのような形に変形し、ダンくんの額を目掛けて振り下ろされる。  が、ダンくんはそれを掌打でいなし寧緒さんの腹部に隠し持っていた呪符を押し付けると、トントンッと身軽に二歩下がってから同じところ目掛けて膝蹴りを食らわせた。  その衝撃で石鳥居のバリアが火花を散らせながら弾け飛んでいく。   「っしゃおらぁ! おい遊羅!」 「ははははっ!」    寧緒さんが蹴り飛ばされたのを見て遊羅くんは子どもが無邪気に遊んでいるのを見守るような優しさが滲んだ声で笑って、ダンくんの声にひらりと軽く手を上げて返すと自分の足元に崩れた寧緒さんの胸元に片足を置いた。  踏み付けてはいるのに力が入っていないのは、必要がないからだ。  それは以前、愛司さんがオレの首を絞めた時と同じだ。押さえ付けるだけの力があるのだ。   「灯織くん、一緒に中に」 「充くん」    寧緒さんが身動き出来ない状態になったので灯織くんに危険が及ばぬように行こうと手を差し出し声をかけるも、彼は首を振り先へ行くよう視線だけで促した。  オレはそれに頷いてから、鳥居を潜り脇目も振らず朧の元まで駆け腕を引き、強く抱き締める。   「しゆ、」 「朧、オレの本心を見たよね」    朧はそれに驚きもせず、オレの問いに小さく頷いた。  それにやっぱり、と思ったがだからなんだと言うのだ。と己に言い聞かせ、オレは腕の力を緩めて朧の目を真っ直ぐに見つめる。   「朧、好きだ。今の、オレの胸を占める正直な想いだ」    蜃が見せたものを、確かにあった過去の気持ちを隠したりはしない。朧がそれを知ったというなら嘘を吐いたって仕方がない。  だから今伝えられるのは、今ここにある正直な気持ちだけだと告げれば朧は片眉を上げ、オレから視線を逸らすと肩を竦めた。   「しゆのそういう。一方的で自分勝手な好意、最初から変わらないよな」    ため息交じりにそう吐き捨てられ一瞬拒絶だと思ったが、朧は悪戯が成功したように口元ににんまりと笑みを浮かべてこちらを見上げる。   「だからこそ信じられる」    自分勝手だからと言われて喜ぶのは違うんだろう。でも出逢ってから今までのオレを知っているからと言ってくれたことが、それが朧からであることが。  オレには一番、一等嬉しい。  飲み込み切れぬ歓喜の息を深く吐いては、目一杯吸い込んで朧の手を掴みながら顔を遊羅くんへと向ける。   「遊羅くん! ごめん! オレ朧のこと好き!」 「知ってらぁ」    蜃の行動を止めてくれたのは遊羅くんだったから、彼もオレや朧と同じものを見ているだろうと。  それでも尚、こうして迷惑をかけても尚、彼らを危険に晒しても尚、諦められないと宣言したが今更なんなんだよと吐き捨てられてしまった。   「妖に好意を持つなど気が触れている。否、有り得ない。唆されたのだろう可哀想に」    身動きが取れない状態だった上、黙っていたから気絶していたと思っていたがいつの間にか寧緒さんが意識を取り戻していたようだ。  嗚呼、と零れ落ちた寧緒さんの声は落胆であったがそれよりも強く感じたのは哀憐で。  そして、なんとしても妖を否定しようとする意思にオレは首を振って返す。   「自分が朧を好きだと思うことは彼らに唆されたわけではないし、それが気が触れていることだと言うならそれでも構わないです。理解できぬアナタに同情される筋合いはない」    オレの心が惹かれ、オレ自身で選び取ったことを否定される謂れも、憐れまれる謂れもないと告げる。  まあ、言ったところでそうかと頷いてくれる相手とは思えないけど。だからって黙っていたらそこにオレの意思がないのと同じだ。   「ははははははっ!」    言いたいことを言い切って最早悔いはないと荒く吐いた鼻息を聞いてか、遊羅くんがのけ反りながら大きな笑い声を上げた。なんていうか、大笑い、爆笑って感じ。  遊羅くんは空気も読まず手を叩くほど笑っていたが暫くして満足したのか、はぁーあと楽しそうに息を吐く。   「なぁんでこの社には気の触れたやつばっかりが居着いちゃうのかねぇ」    そして独り言のように呟いたのを聞いたダンくんが不愉快さを滲ませたが、遊羅くんは意に介すことなくその顔にいつもの覇気のない笑みを浮かべては足元を見下ろし、寧緒さんを踏み付けている足に僅かに力を込めた。   「不本意ながらこの社の主はこのオレだ。その加護下ではお前の方が部外者だというのをまだ理解できないみたいだな? 祓い屋の小僧」 「ぐっ……! なにが、加護下……! 存在自体が無意味どころか害悪であり排除されるべきだというのを理解できていないのはお前らの方だろうが!」    比較的落ち着いた声で話しかける遊羅くんにも、彼から与えられる痛みにも寧緒さんは屈しない。  どころか彼らの命そのものを否定し侮辱する。  それに朧が表情を歪めたのを見てオレはそっと片腕で朧を抱き寄せ、寧緒さんから隠した。   「本来ならオレの大事なもんを傷付けて許してはやれんが、その内の一匹に免じて今回ばかりは大人しく退くか二度と姿を見せないか選ばせてやる」    だがそんな態度は想定内なのか遊羅くんは口振りを変えぬまま、足を前後させ寧緒さんの体を揺らす。  傍から見たら小石を転がしてるような力に見えるが、険しく歪む寧緒さんの表情を見れば痛みを伴っているのはわかる。   「大人しく退く! 院瀬見は金輪際この社に関わらない!」    侮辱されプライドを傷付けられたのもあって懲りずに声を上げようとしたのを止めたのは、灯織くんだった。  鳥居を潜って中にいたのはわかっていたが、彼はこちらに近付いてきては社の主である遊羅くんにハッキリとそう告げる。  灯織くんが怯えているようにも見えるのは、遊羅くんが発した「二度と」という言葉に殺すという意味が含まれているのに気付いたからだろう。   「院瀬見のことをお前が決めるな! 足手纏いの半妖が! 私が生存を許していなければお前の存在とてこの妖らと変わらないんだからな!」    妖から向けられる殺意にすら屈さぬ姿を見て、その力量を察すると共に彼のことを理解できない。  当主であるとか、院瀬見の人間であるとか、祓い屋であるとか。そういうものとは別のものに取り憑かれているように見える。  灯織くんはそんな兄を見ては苛立ったように舌を打ち、勢いよくしゃがむなり彼の胸倉を掴んだ。  横目に遊羅くんを一瞥したらしれっと足を退けている。   「そうだよおれは祓い屋としても役立たずだ! 半妖だからな! だとしてもあんたは院瀬見の当主で、おれはあんたの弟だ! あんたを認めたわけでも、言うことを聞くわけでもないけど、あんたがおれにくれて寄越したあんたの命を守る役目はまだ生きてるんだよ!」    与えられた役目を全うする理由はあるんだと掴んだ胸倉を乱暴に揺さぶりながら声を荒げる灯織くんに、寧緒さんは一瞬黙ったが本当に一瞬だけだ。  初めてまともに反抗されたから理解が追い付かなかっただけで、自分が見下していた存在に抗われたことで憤慨し拳を握り振るおうとしたが突如としてその体からバチバチッと光が散った。   「な、んっ……!?」 「喋ってっと舌噛むぜ?」    なにが起こったのかと理解できぬ寧緒さんに話しかけたのはダンくんだ。  驚いて自分を見上げている寧緒さんを見ては、ダンくんは首を傾ける。そして再び彼がなにかを言おうとした瞬間、雷が落ちたような大きな音が響いた。   「がっ、……!」 「言ったろ、舌噛むって」    焦げたような気配はないが、寧緒さんの体を襲ったのは確かに落雷だ。  強すぎる衝撃のせいで舌を噛まずにいられたんだろうが、ダンくんはしれっとした口振りで「よかったなぁ」なんて吐き捨てる。   「な、んでお前のような低俗な妖なぞがこの術を……!」 「知っててこいつに使ってたんだろ? なんで自分に通用してるかわかんねえのか? それで院瀬見の当主? 嗤わせる」    痺れが残るのか寧緒さんが口に出来たのは多くはなかったが、ダンくんはそれらを汲み取り「なんでわかんねえんだよ」と鼻で笑って嘲った。  そう言えば来る途中でダンくん、灯織くんに確認してたな。「使えるのは強いやつか」って。それに灯織くん「強いやつから弱いやつにしか使えない」って返してたけどつまるところ、そういうことなんだろう。  ようやっと事態を理解したのか激高することはなかったが、その顔には納得できないと浮かんでいた。   「院瀬見の人間が妖なんぞに堕ちたなど聞いたことがない」    高尚な者だけが残っているはずの自分の一族にそんな弾かれ者がいたなんてと首を振っては、さっきのダンくんを真似るように鼻で嗤う寧緒さんに笑ったのはダンくんではなく遊羅くんだった。 「ひゃははっ!」と子どもが笑うみたいな高い声に、この場の全員の視線が彼へと向くなり場違いだと察したのか消え入りそうな声で「続けて」と呟く。   「そりゃあお前らみたいのは一族に反逆した一個人がいたことなんて、しかもそれが分家のガキだったなんて恥ずかしくて正しく残したくねえよなあ」    だがダンくんはそれで気が抜けたのか肩の力を抜くと淡々と寧緒さんが欲しただろう答えを返す。   「もう二度とあの敷居を跨ぐものかと思ってたけど、おかげで目論んでた通りに自分のことが残っていたのがわかったよ」    完全に黙ってしまった寧緒さんに追い打ちをかけるように吐き捨てた言葉が、彼の中でなにかしらの合点がいってしまったようで初めてその目の奥が動揺に揺れていた。   「貴様が、まさか……あの、白檀……」    そんなわけないと思いたい心に反して真実を確認しようとその声が零れ落ちていたが、ダンくんは頷きも首を振りもしない。  ただ冷めた目で寧緒さんを一度見下ろしては、すぐに灯織くんへと視線を向ける。  二人は無言だったけれど灯織くんが頷くのを見ては、その視線を今度は遊羅くんへと移動させた。  遊羅くんの顔には「仕方ねえなあ」と浮かんでいたがポーズだというのは丸わかりで、灯織くんと入れ替わるようにして寧緒さんの胸倉を掴むとそのまま勢いよく石鳥居の向こうへと蹴り飛ばす。  同じ方法で追い出されたことを思い出したのか灯織くんは一瞬顔を歪めていたが、オレを見ると少しだけ可笑しそうに笑ってから、遊羅くんたちに頭を下げ兄である寧緒さんのことを追い駆けて行った。   「一族の血をありのまま継いだ愚かな癇癪坊やはとっととおうちへお帰りよ」    見えなくなった姿に向かって独り言のようにぽつりと呟くダンくんの声に寄り添うと遊羅くんはその体を強く抱き締めた。  ダンくんの腕はぶら下がったままで、遊羅くんもそれ以上のことはなにもしない。  誰もなにも喋らない静かな時間が少しだけ流れて、それを最初に打ち破ったのは遊羅くんだった。   「さぁて、邪魔虫は追っ払ったし社に戻るぞぉ」    普段と変わらぬ声に、ダンくんと朧が頷く。  オレと遊羅くんが二人を自分の腕の中から解放したのはほぼ同時で、主の声に従ってふらふらと社に戻っていくのをぼんやりと眺めていたらぎゅむ、と頬を抓られた。   「いひゃい……」 「ほら、突っ立ってんなよしゆ」    硬い頬を解すようにぎゅむぎゅむと捏ねられ、形だけの文句を零すオレに遊羅くんが「お前も」だよと告げる。  なんてことないように言われて、胸の奥が安堵と苦しさの相反する気持ちで酷く酷く痛んで喋れないから。  必死で何度も頷いて返したら遊羅くんは呆れたような口振りで「次はちゃんと土産持って来いよぉ」と言った。

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