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第18話

 ずっと、ずっと。あの時から。  自分の心の奥底に沈めていた重く暗い気持ちを仕舞い込んだ箱が壊れる音がした。  開いた穴から空気が漏れ、忘れていたかった記憶がぽこ、ぽこ、と泡になって溢れ出る。   「充はなァ! 寂しさを埋めてくれりゃあ誰でもよかったんだよ!」    蜃の言葉が、突き刺さる。  違うと否定できなかった。これまでのことも、朧とのことも。  オレは寂しさを埋めるために、ずっと自分の寂しさの為だけに朧を好いているなんて嘘を吐いていた。  誰かを好きになったり、友達を作ったり。フリが出来ればよかった。  だって人らしく在らねば。    ――今、オレが寂しくならない為に。      *   「――充くん!」    ビリッ、と耳に響く大きな声に一気に意識が浮上する。  目を見開き、見覚えのない景色に慌てて辺りを見渡せばそこに灯織くんがいて、オレを起こしてくれたのが彼の声だとわかった。   「灯織くん……」 「よかっ……!」    信用している人がいたことに安堵し名前を呼べば灯織くんはホッと息を吐くものの、へたり込んだまま俯いては両目からぼろぼろと大粒の涙を溢れさせ、かけている眼鏡を濡らした。   「ごめん、ごめん。おれが不甲斐ないばかりに寧緒(ねお)にきみのこと、社のこと知られてしまった」 「ねお……」    懸命に謝る灯織くんに、気絶する前なにが起こったのかを思い出す。  蜃のことも強烈だったが、そこにまた別の人が現れたんだった。蜃を気絶させ、灯織くんを乱暴に扱っていたあの人が【ネオさん】なのか?    「寧緒は、オレの兄だ。前に話したこと……あったよな」 「折り合いが悪いっていう。あの人がそうなの?」    灯織くんの言葉に、さっき一緒にいた茶髪で背の高い男で合っているかと問えば彼は小さく頷く。  そしてここが院瀬見の家の敷地内にある蔵で、今はもう妖を閉じ込めたりするような牢獄であることも教えてくれた。   「お、兄さんにあんな乱暴にされてるのか!? いつも!?」    幾度もくり返し照らし合わせようとしたのは、あの寧緒という人が灯織くんに強いた仕打ちをこの目で見たからだ。  蹴り飛ばして踏ん付けた上「半妖如き」とか言ってなかったか!?   遊羅くんたち妖が祓い屋でもある灯織くんに言うのとはワケが違うだろうと声を荒げたら「静かに」と制止されオレは慌てて口を閉ざす。  落ち着いてよく見れば、灯織くんのかけている眼鏡は歪んでいるし踏み付けられたせいで服は汚れているし、不思議な術で拘束されたままだ。   「寧緒は……あいつは、化物なんだ。幼い頃から、妖はすべて存在価値などなく焼き払うべきだと考えている。そしてその力を持っている自分を、誇らしく思っている」 「ってことは祓い屋のみんながそういう考えではないってことだよね?」 「祓い屋も人だからな。理解し合える妖がいると信じる人もいるし、害はない妖もいるのだから共存の道があると考える者もいる。そりゃあ過激派もいるけど」    灯織くんも最初、遊羅くんですら祓おうとしていたから祓い屋って人たちが目指しているのは妖の根絶なんだと思っていた。  でもその内の一人である彼がそうだと言うのなら納得が出来る、というか。  違う考えを持った人なんだから、そうでない者もいるっていうのは当然の理屈だ。  だとしたら寧緒さんの考えもその内の一つってだけではないのかと思うのだが。いやそりゃあ、灯織くんがここまでの仕打ちを受ける理由もないとも思うけど。  灯織くんがここまであからさまな嫌悪を露わにするのだ。それだけではないはず。   「あいつは、妖を許す祓い屋すらも許さない。妖に近しい考えを持つ者として妖と同等の存在だと宣う。それで、寧緒の考えに賛同できない者は……妖の命だって同じ命であると言った父を、殺した」    怒りと、悲しみの混じった声はどんどん小さくなっていくが、震えていても最後の言葉だけはハッキリと聞こえた。  灯織くんは確かに非嫡出子(ひちゃくしゅつし)だ。不幸を体現しているような自分を生んだことをよくは思っていない。  それでも、人と妖の間に生まれた子供として。両親が愛し合っていたこと自体を悪くは言わなかった。  半妖である彼にとって、妖である母親を愛した父親に憎しみの感情だけ抱くというのは難しいのだろう。  恐らくだけど院瀬見の家に引き取るように言ったのは父親なんだろうし。  だとしたら兄が自分と意見が合わなかったからと命を奪ったのは悔しかっただろう。そして妖を一番嫌悪する存在に従事しなくてはならないというのだって。   「本家の息子が、跡取りが……馬鹿らしい。跡を継げばいくらだってあいつの好きにできた。なにが『愚か者は一族から排除するべきだ』だ。悪戯にあんなに命を奪いやがって」    詳しく聞かなくたって灯織くんの口振りで伝わってくる。  寧緒さんや彼の意見に賛同する者は……この家の命を多く奪ったのだろうと。  灯織くんが彼を化物だと評したのがわかる。  本当は相手の意見も聞かないと正しく彼の人となりを判断できないが、ダメだ。  自分以外の考えはすべて間違っていて、不要だと吐き捨てる思考回路をオレは受け入れられない。   「きみとのこと、黙っていたんだ。最初は驕っていたのもあるけど、充くんは友達だから」 「灯織くん……」 「あの社は寧緒ですら見つけられなかった。おれだって、充くんとのことがなければわからなかったし。この辺りの強い妖は大方祓ってしまったから寧緒は興味がないと油断してたんだ。多分少し前きみとどこかで逢った。記憶ある?」 「ごめん、覚えてないな……」 「そうだろうね。きみが気付いてたら、あの社の主が気付いてるだろうから」    寧緒さんとどこかで逢っていないかと聞かれたけれど、記憶にない。  混乱状態から完全に抜けていなくても引っ掛からない。そもそも祓い屋だっていうのはオレには見抜けないし。  それに灯織くんの言う通り、オレに祓い屋と関わったなんてことがあれば遊羅くんが気付くからそうではなかったってのは、恐らく向こうが一方的にオレに気付いたんだろう。  申し訳ないと首を振れば、灯織くんも「そうだろうと思ってたから構わないよ」と同じように首を振った。   「もしかして、それで」 「黙っているつもりだった。でも、妖に使う自白剤を使われて……ごめん」 「灯織くんが謝ること何一つないだろ!」    灯織くんが口を割る以外、知る術がないと察せたが彼が妖でもあることを利用されたと知り、苦しくなる。  申し訳ないだなんて灯織くんが思うこと、一つもないのに。  悔しい、苦しい。  灯織くんのことも、朧のことも、ダンくんも、遊羅くんも。オレが、オレのせいなのに。   「寧緒がおれたちと一緒に連れてきた妖……初めて見たけど、あいつも社の関係者か?」    俯きながら拳を握っていると、それに気付いた灯織くんが蜃のことを聞いてきたので二人が社に来る前になにが起こっていたかを説明する。  蜃がオレが妖が視えるようになったきっかけの存在だったこと、オレを迎えに来たと言って社で騒ぎ暴れていたこと、彼に忘れていた記憶を戻されて混濁していること、落ち着いてきてはいるが状況をハッキリとは飲み込み切れていないこと。  オレが寂しさ故に自分のことしか考えていないような男だったことを告げると灯織くんは小さな声で「そうか」と零した。   「でも充くん。妖は他者のそういう負の感情を見抜いて近寄っていき唆す。だからきみの気持ちを含めて、非はないよ」    今回のことも含め、そもそもの始まりからそうなのだろうと優しく慰めてくれるが実害が出ているのにオレに非がないとは思えない。  それこそ中学生の頃なら露知らず。  遊羅くんたちは報復があることを端から想定していたみたいだが、オレはしなかったんだから愛司さんの言った通りあまりに浅はかだ。  その上寂しさを埋めるために、朧を好きになっただなんて言って。  一度思い出してしまうとそのまま芋づる式に掘り起こされる己の軽薄さに吐き気がする。   「寂しい気持ちも、故に誰でもいいと思ってしまうことも当たり前だ。堪えられないから寂しいんだ。それは充くんだけじゃない、おれだって同じだ」    両手で顔を覆うオレに、灯織くんが優しい声をかけてくれる。  寂しさを感じることも、それを埋めるのに求めるのが特定の誰かでないことも、なにもおかしなことはないと言われ手を退け目が合うと彼は深く頷いた。  自分もそうだと伝えてくれるように。  真っ直ぐに向けられる眼差しに、嘘や同情ではないと感じる。    嗚呼、本当にこんな深海のように暗い気持ちを抱くのは、オレ一人ではないのか。   「弱い自分を守って生きていくために冷たい心を生むのは当然だ。そうでなければ壊れてしまうって、心は知っているんだよ」    自分で自分を責めようが、苦しさから己を守る方法がそれしかなかったのだと告げる灯織くんの言葉に深くに沈めた箱が、息苦しそうにもがく。   「誰でもよかったんだと考えてたと知ってから、きみは朧夜さんのこと考えた?」    同時にそれはオレに安堵を与える。  黙りこくって浸っていると問いかけられ、そういえばそうだとばかりに頭がいっぱいになって考えていなかったことに気付き頭を振ったら「少し考えてみたら?」と告げられ、朧のことを思い浮かべる。  朧と過ごした時間を思い返し、確かに最初は呪いが解けて何者とも繋がれない恐怖故になんとか縁を繋ごうとした。  でも共に過ごす時間が増えると嬉しくて、彼の言葉に喜び安堵し惹かれる自分がいた。それは嘘じゃない。  未だって、彼が救ってくれていたからオレはここにいて、オレの心はここに在る。   「誰でもよくない……。オレは、朧がいい。朧との縁を自分から切るなんてもう、できない……っ!」 「なら今はもう、彼は他の誰とも違うってことだ」    心は変化しているのだと零す灯織くんの優しい声に、箱がガラガラと崩れ落ちた。  オレはその中身をずっと恐ろしいものだと思っていたけれど違う。オレ自身が大事にできなくて捨てた記憶や気持ちだった。    今ならたった一人。朧だけが特別なんだと、自分の心が惹かれてやまないのは彼だけなんだと理解できる。   「ああ、でも……」 「なに?」    朧はこれまでの存在とは違うと言ったところで、特別だと改めて自覚したところで。  蜃の術でオレが他者と縁を切ることが容易いと思っていたことは朧に知られてしまっているだろうと呟けば灯織くんがゆっくりと首を左右に振った。   「誰しも人を好きになるのに大仰な理由持ってないよ。彼が好きだから、たった一人特別だから傍にいたい。一緒にいたい。【今】きみがそう思っていることが一番大事だ」    後ろ暗い気持ちに隠して今大事なものを見失うなと言われ、オレは慌てて頷く。  それを見て灯織くんはへらりと笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情に変化させた。   「だったらそれを伝えないとな。でも、おれじゃこの術は解けない。おれの術が解けなければ、充くんのそれも解いてやれない」    助けてやりたいんだけど、と申し訳なさそうに呟く灯織くんに指摘され、初めて自分の足に呪符のようなものが貼られているのに気付いた。  やたら足が重い、というかべったりと地面に張り付いている感覚だったのだが術をかけられていたのか。  オレは視える以外になにも出来ないので、現状では灯織くんの言う通り彼が自分の術を解けない限りオレたちに脱出の手段はない。  どうしたらいいだろうと思案を巡らせていると、蔵の扉が重く鈍い音を立てながら開いた。  その音に灯織くんはオレを庇うようにして身構えたけど、すぐに見えた顔にオレたちから力が抜けていく。   「ダンくん!」    そこにいたのはダンくんで、彼はオレたちがここにいるのを見るなりそのまま乱暴に今し方開いた扉を閉めた。   「無事!? 怪我はない!? 社はっ……」 「あーはいはい。ちょっと落ち着け」    こちらへ近付いてくるダンくんに矢継ぎ早に問いかけたら呆れられてしまったけど、彼は「全部無事だよ」と言った。  それはつまり、社も、ダンくん自身も、遊羅くんも。そして朧も無事だということだろう。  よかった、と呟くオレを他所にダンくんはオレの足に貼り付けてある呪符を剥がして燃やした。   「ダンくん、あの。灯織くんのも解いて欲しい、んだけど……妖にかけるものみたいで」    足だけでなく、全身が軽くなっていく感覚がしたがそれに浸っている場合ではないと慌ててダンくんに灯織くんのも解いて欲しいとお願いしたが途中で本人で解けなかった理由を思い出す。  だがダンくんは「はあ?」と不満そうに吐き捨ててはすぐに肩を揺らして口元を歪めた。   「しゆお前、誰に言ってんの?」    その表情は遊羅くんが浮かべる笑みととても良く似ていた。傲慢でいて、とても頼もしい笑みに頷けば彼も満足したのか頷いて灯織くんをじぃと眺め始めた。   「拘束術……だけでなく折檻用のも重ねてあるとは。随分と気の違えた当主だな」 「これが折檻用だってわかるんですか?」 「わかるよ。院瀬見は昔からこういうの好きだもんな」    目視だけでどんな術かを見破ったダンくんに、灯織くんが驚嘆の声を零す。  ダンくんは興味なさげに淡々と返事をしつつ、拘束を解くと灯織くんの胸倉を乱暴に掴みその折檻用の術も解いてしまった。  バチバチッと散る火花の明るさに一瞬目がやられて瞬きをくり返していたが、それが落ち着いて二人を見たら灯織くんが目を丸くしたままダンくんを見上げている。  なんというか、呆然としている。   「あ、あんたただの妖じゃないのか? 寧緒のこの術をこんな簡単に解いて……。そもそもここに辿り着いたってことは屋敷を護る術を掻い潜っただけでなく、祓い屋の屋敷で迷わずにいられたってことだ」    並大抵の妖ではないにしても、妖ならばとその眼差しが訴えている。それにはプラスで術をかけたのが寧緒さんだというのが強くありそうだった。  当主だから当然というのもあるだろうが、それだけの力がなければ確かにクーデターだって起こせなかったよな。  兎角、灯織くんの言葉の端々から寧緒さんに敵う者がいるなんてというのが滲み出ていてそれはダンくんにも伝わったようだ。  彼はオレに一瞥をくれると面倒そうにオレたちから視線を逸らし、深い深い溜息を吐き捨てた。   「二度と足を踏み入れるつもりなかったよ、こんなとこ」    たった一言。それだけで彼がここの祓い屋であったことが伝わってくる。  直系ではないかもしれないが、灯織くんからすれば先祖に値するのだろう。だからなのか、灯織くんはオレが気付いた以上のことに気付いたようでヒュッ、と息を飲んだ。   「そうか、名前……そうか……」    そしてぶつぶつと青い顔で独り言ちていたが、それに苛立ったダンくんが灯織くんがかけていた眼鏡を外し握り潰したことで静かになる。   「ずっと思ってたけどお前邪魔だろ、これ」    ガラスを素手で握り潰したからダンくんの手からは血が溢れていて、これ遊羅くんに怒られそうだななんて見当違いなことを考える。  だってオレには二人の会話の内容がまったくわからないし。  でも本人たちは通じ合っているみたいだ。ダンくんの言葉に、灯織くんの表情は憑き物が落ちたように変化する。  その表情を、オレはよく知っている。  先に立ち上がった灯織くんを見上げれば彼は穏やかに微笑んで、オレが気に病むことではないと伝えるように首を振った。   「充くん、行こう。きみの気持ちを朧さんに伝えに」    そして薄い色をした瞳で真っ直ぐにオレを見つめては手を差し伸べてくれる。  オレは深く頷いてその手を取り、灯織くんとダンくんと共に社へと急いだ。

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