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淡色の錆(失恋の話)
01.
「必殺技は最後までとっておいて」
そうよくわからない事を言った柊は、コントローラをがちゃがちゃ鳴らす俺の横で、同じ画面を見ながら麦茶を飲んでいた。深夜二時、とっくに静まり返った夜に成人した男ふたりきりですることと言えば…ゲームだった。太陽がまぶしい時間から太陽が昇る時間まで、俺は連日柊の家に転がり込み、恨みを晴らすかのようにひたすら悪と戦っている。ばかな俺にはこれぐらいしか方法が見つからなくて、けれど多分柊はそれをわかってくれていた。ゲームをして、食事をして、寝て、起きて、帰る。その繰り返しだ。大学生の柊は夏休みだったし、俺はバンドマンで、丁度ツアーが終わった後の休暇だった。何かから逃れるように、俺たちふたりはずっとガキのふりをしている。
「あっ」
何度目かのゲームオーバーにごろりと転がった。勝って知ったるなんとやらだ。柊の家は一人暮らしにはすこし広く、ごちゃごちゃした俺の部屋とは違い、綺麗に整頓されている。ふかふかのソファはここ連日すっかり俺の定位置だった。ただし、にゃあ、とこの家のお姫様の抗議が聞こえたら退かなければならない。
「だから言ったのに」
いつのまに席を立っていたのか、呆れたような声と共に上からグラスが下りてきた。同じものを持った柊が横に座る。タイトルに戻った画面がちかちかと眩しい。
「…ぎりぎりまで貯めて、最後に打つといいよ」
「それまでに俺が死ぬ」
「死なないよ」
呆れたように笑う柊を見て、俺はようやくほっとするのだった。
数日前、柊から「別れた」と連絡が入ったのは突然だった。俺はその時スタジオに入っていて、深夜遅くにようやく気付き、慌てて電話をかけ直した。眠っているかと思ったが、柊は数コールの後に静かな声で電話に応じた。そして、眠れないのだと言った。高校時代、息をしているか眠っているかゲームをしているかしかなかったあの柊が、だ。
柊が付き合っていたのは男だった。同じ大学の人なのだと聞きだしたのがつい最近だったように思う。最初は驚いたが、同性愛に偏見もない俺は純粋に応援していたし、見かけたときはとても仲がよさそうで羨ましかった。それなのに、何があったんだろうか。
原付を飛ばして文字通り転がり込んだ俺は、柊の姿を見て何も言えなかった。柊はぼろぼろだった。構築している部品が抜け落ちたみたいに、何もなかった。
02.
睡眠は柊のリセットボタンだ。ゲームをやる柊は人格が変わったように生き生きとする。そして終わった途端力が抜け、ぎゅうっとパワーを貯めるみたいに眠る。昔からその繰り返しだ。
俺が転がり込んでから柊はようやく少しずつ眠るようになった。少しずつ柊が柊に戻っていく。それがうれしくて、俺はいつもそばで眠りを見届けてから眠った。俺が寝ていることが気に食わないのか最初はにゃあにゃあ怒っていたお姫様も、最近は静かに柊の傍で丸まっている。
柊はよく、寝る前に錆の話をした。柊が専攻している古生物学の話を聞き出すうちに、何故か最後、必ずその話になるのだった。肝心なことはなにも話さないまま、うとうとと聞く柊の声は子守唄のように優しい。内容はちんぷんかんぷんだったが、俺はその時間が意外と好きだった。
だから、まさか昼間に聞くとは思わなかったのだ。何か嫌な予感がする。柊が入れてくれた麦茶をごくごくと飲みほし、窓から刺す暑い夏の日差しを浴びながら、俺はじっと画面を見つめていた。柊は俺の空いたグラスを見つめている。画面の中の俺は、相も変わらず悪と戦っていた。
「…もらい錆になるから」
蝉の声が聞こえる。柊の声がいつもと変わらない涼しそうな声だったことにほっとする。顔も向けないまま、俺は適当な相槌を打った。
「もう、大丈夫だから」
「うん」
「山田」
「うん」
わかっている。柊の言いたいことは、とっくに俺にもわかっていた。本当は気づいていたのに、ずっと見ないふりをしていた。やっぱり俺はばかだ。柊は眠っていても、ぼろぼろだったのだ。ずっとずっと、ぼろぼろだった。
「柊」
コントローラを握りしめたまま、小さく深呼吸する。柊の錆なら、もらったっていいんだ。俺は何としてでも柊を助けたかった。
「俺と付き合おう」
ずっと昔から好きだから。
「冗談」
「冗談じゃないって」
柊が呆れたように言うので、俺はむきになっていた。確かに俺は女の子が好きだ。でもそれ以上に柊は大事で、今手を離したら本当になくしてしまいそうで怖かった。ふたりして逃げるように隠していた仮面がぽろぽろと崩れ始める。俺たちはもうガキじゃない。どれだけ誤魔化したって、もう、ガキじゃないのだ。
「俺と付き合ってどうするの」
「どうって」
言われてようやく頭の中で付き合ってる俺たちを浮かべた。今と変わらない、陽が高いうちからゲームをして、食事をして、寝て、起きて、隣にはいつもと変わらない涼しい顔の柊がいる。誰も柊を傷つけないし、俺は柊を守ることが出来る。
そう言うと柊は口を閉じ、部屋はゲームと蝉の鳴き声だけになった。しばらく静かに黙っていた柊が口を開いたのは丁度動かない画面の中の俺が死んだタイミングだった。
「…俺は、壊したくないよ」
「え」
言われた意味がわからず、俺はようやく自分の言ったことを頭の中で反芻する。
「恋愛感情じゃないのに違う関係を始めて、終わって、壊したくない」
何だよそれ。どうして最初から終わらせようとするんだよ。言いたいことはたくさんあるのに、柊があまりに悲しい顔をしているから胸が詰まってしまった。
「そうなったら、もう立ち直れないよ」
ばかだ。やっぱり俺はずっとばかだった。目の前で泣きそうな声で柊が笑っていた。どうしようもなくなって、何も言葉にならないまま俺はぼろぼろと泣いていた。それがつらいからなのか、悲しいからなのか、理由も何だかわからないままただぼろぼろと泣きながら、柊を見ていた。
「俺も」
「うん」
「俺もなくしたくない」
「うん」
柊は昔からずっと好きな、大切な友達だから。
泣いてる俺を見て、柊はすこしだけ目を揺らして笑った。
「…必殺技は最後にとっておいてよ」
その通りだとばかりに、猫がにゃあと鳴く。
おしまい
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